第4話 その娘、フリーダムにつき

「……これで朝礼はおしまい。紅羽、霧矢、あんたたち二人は残ってちょうだい」

「はーい」

「へいへい」

 任務遂行開始当日。朝礼が終わり、社員たちがそれぞれの現場に散っていく。すぐ現場入りする予定の真冬が、純白の三つ編みを揺らしてオフィスボードに近づいた。『終日 テロ組織掃討』と書き込む姿を眺め、唯は抗争に向かう二人に向き直る。

「さて、午前のうちに純姫が来る予定だけど……コンディションに問題は?」

「いちいち聞くなよ、ンな事。あっても俺がどーにかすりゃいいだけだろ」

 霧矢が片手を握っては開き、面倒そうに言い放つ。彼の天賦ギフト……『施療』の性質上、体調の問題は意味をなさないに等しい。だが、夜久霧矢という少年の性格上、それができたとて……。

「しないでしょ」

「しないじゃん」

「……否定しようがない事実」

「真冬は黙ってやがれ!!」

 背後で呟いた真冬に噛みつくが、当の彼女は涼しい顔をして人差し指を伸ばした。空間転移の天賦ギフトを行使し、黒いゲートを通じてさっさと現場に行ってしまう。それを見送り、霧矢は盛大にため息を吐いた。

「……まァいい。天賦ギフトは問題ねえし、武器の方も異常ナシ、だ」

「オーケー。紅羽は?」

「特に変わりなし! いぇい!」

「いぇい、じゃないのよ……」

 無意味にダブルピースする紅羽に、唯は頭痛に耐えるようにこめかみを押さえた。……つまり、召喚生物レッドカードの制御はできていないということになる。とはいえ、生物召喚系天賦ギフトの持ち主にとって制御は至難の技であり……同時に至上命題でもある。故にこの依頼に彼女を派遣したのだ。

「まあいいわ。……敵性存在のデータは頭に入ってる?」

「まァ、一応は」

「だいたいわすれた!」

「そんなこったろうと思ってたわ。あ、泊まり掛けの任務になるし、一日に一回は私に状況を報告すること。あと先方にご迷惑はかけないように。特に紅羽」

「えー!? あたし信用なさすぎない!?」

「……逆にあると思ってたのか……!?」

「失礼なぁ!」

 未確認生物でも見るような霧矢の視線に、紅羽はむっと頬を膨らませた。軽く手を叩いて話題をぶった切り、唯は二人を見回す。

「はいはい。最終確認は以上ね。現地に着いたら先方の指示に従うこと。それから逸脱しない範囲なら、任務遂行のためのあらゆる行動を許可するわ。……私からは以上。純姫が迎えに来るまで、適当に待ってなさい」


 ◇◇◇


「失礼する。皇純姫だ」

「わーいいらっしゃーい!」

 少女の声に反応し、紅羽は喜び勇んで飛びはねた。派手な音を立ててデスクに仁王立ちし、堂々とピースサインをする。その様子に唯は形のよい眉をひそめ、苦言を呈した。

「……紅羽、いきなりはしたないじゃない。フリーダムにも程があるのよ。それでも社会人?」

「シャ怪人……? って何?」

「ほっとけや社長」

「それもそうね。……いらっしゃい、純姫。騒々しくてごめんね」

 軽く一礼する唯に、純姫は構わない、と片手を翻した。真っ直ぐな黒髪をなびかせながら紅羽のデスクに歩みより、無邪気な笑顔を見上げる。

「……君は、この間にも顔を見たな。話は聞いてる。白銀紅羽、だったか?」

「そーそー! あたし紅羽! よろしく!」

「ああ、こちらこそ」

 微笑む純姫からは、紅羽の様子を不快に思っているような雰囲気は見て取れなかった。デスクの上で鼻歌を歌う彼女から視線を外し、別のデスクに頬杖をついている霧矢の正面に立つ。

「……もう一人はお前だったな、霧矢」

「まァな。他の連中が空いてなかったんだと。でも面白そうな案件だし、受けて後悔はしねェだろーよ」

「……」

 好戦的な声に、純姫はふっと目を伏せた。罪のない者を戦場に斡旋してしまったかのように。しかしすぐに顔を上げ、どこか子供のような微笑みを浮かべてみせる。

「……さて。では早速、私たちの拠点に向かおう。先に作戦や配置案を詰めておきたいからな。二人とも、準備はいいか?」

「言われるまでもねェよ」

「あたしもオッケー!」

 霧矢が椅子から腰を上げ、紅羽が軽い音を立ててデスクから飛び降りる。そんな二人を眺め、唯は軽く片手を上げた。

「純姫、そっちのことは任せたわ。……行ってらっしゃい、二人とも」


 ◇◇◇


「……さて、と」

 MDC本社を出て、十分ほど歩いた辺りに公園がある。夕方や休日には子供たちの笑い声が響く場所だが、今は平日の午前中。人っ子一人いない公園の木陰で、純姫は二人を振り返った。

「……ああは言ったが、その前に少しやることがある。というか……話しておくこと、かな」

「え、なになに? なんか専務っぽい秘密兵器ができたって話?」

「な訳ねーだろ。……こんなとこまで連れ込むってこたぁ、他の連中にゃ聞かせらんねェ話だってか?」

「そんなものだ。……MDCや皇会の拠点だと、にマークされている可能性があるからな。監視の目がない場所で、話しておきたいことがあった」

 新緑で着飾った木々がざわざわと踊る。木漏れ日が三人の姿を点々と照らす。梅雨が始まる少し前の、逸るような風が公園を吹き抜けていく。しばし息を整えるように深呼吸をし、彼女は紫色の瞳を開いた。


「夜久霧矢。忠告しておく」

「……あ?」

「お前……今回の任務では、敵性存在の前で天賦ギフトを使うな」


 純姫の瞳が鋭い光を宿す。研ぎ澄まされた刃のような、隙のない光。それに呼応するように、霧矢はすっと目を細めた。異論はないが、疑問はある。

「……なんか、理由あんのかよ。それ」

「ああ。ある勢力が探している特殊な天賦ギフトがあるんだが、お前のがそれに該当するかもしれない。……要らん危険性は、事前に排除しておくに限るからな」

「社長みてーなこと言いやがンな……まァ別にいいわ。使う機会ねェだろうし」

 右の手のひらを見つめ、霧矢は憎々しげに吐き捨てた。乱雑に片手を払い、学生服のポケットに突っ込む。

「オーバーヒールでぶっ殺すこともできねェ仕様みてぇだしよ……ったく。で、言いたいことってのはそれだけか?」

「ああ。……くれぐれも行使しないように」

「わぁっとら」

「良し。さて、拠点に向かうか……って、紅羽? どうかしたのか?」

 先程から妙に静かな紅羽は、何故か虚空を見つめて静止していた。数度瞬きすると、先程まで眺めていた方角をそろそろと指差す。

「……あっち、なんかいる」

「いや、なんかってなんだよ」

「わかんない! でもヤバそう! 楽しそうだから行ってくる!」

「お、おい!」

 制止も聞かずに、さっさと走って行ってしまう紅羽。即座に刀に手をかけ、純姫は声を硬くする。

「……あいつ、察知能力は高い方か?」

「どっちかって言や、嗅覚だな。特に血の匂いには無駄に鋭いぜ」

「そうか。……追うぞ」

「そうなると思ったわ、ったく!」

 既に遠くなった紅羽の背を追い、二人も走り出す。

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