2
「ねえ、藤本くん。ちょっといい?」
振り返った瞬間、やめておけばよかったと思った。
朔をじろりと見上げてくる目がもう胡乱だ。嫌な予感しかしない。
「ね、いいかどうか聞いてるんだけど」
「何?」
有無を言わせない口調で問いかけておいて返事を求められても困るが、言うだけ無駄かと、朔は彼女に向き合った。
彼女は朔のその態度もお気に召さないらしく、ますます朔を睨みつけた。
「あのね、どういうつもり?」
どういう?
朔は首を傾げた。
「どういうって? 何のこと?」
「分かんないの?」
「…だから何?」
彼女に何かをした覚えはなかったが、朔は薄々事情を察していた。これはきっと青桐絡みだ。けれど、自分から言う気にはなれなかった。
「青桐くんにつきまとうの、やめてくれるかな?」
やっぱり、と朔は内心でため息を落とした。
彼女は──確か細川という名前だった。隣のクラスで、朔のクラスに仲の良い子がいるらしく、休み時間にはしょっちゅう教室に入り浸っている。
青桐が声を掛けてきてからもうすぐ半年が経つ。彼は相変わらず朔に構いどおしだった。すぐに終わると思っていた青桐の気まぐれは、朔の予想に反して、いつまでたっても終わる気配を見せなかった。
「藤本くんがいっつも青桐くんにくっついてるから、はっきり言って迷惑なの」
「迷惑…」
「邪魔なのよね」
まっすぐに朔を見て細川は言った。
「私と遊びに行く約束したのに、朔がいるから行かないって言われたの。それだけじゃなくて、いつ約束したって藤本くんがいるからってそればっかり! だからもう離れてくれるかな、他にも友達いるんでしょ。離れてよ、口きかないで、私と青桐くんの邪魔しないでよ」
細川の口ぶりから、彼女は青桐と付き合っているように聞こえた。
「付き合ってるの?」
思わず訊いてしまった朔に、細川は心底嫌そうな顔をした。
「…あんたに関係ないでしょ、それよりどうなの」
心の中がすう、と波が引くように凪いだ。
知らなかった。
そうか。青桐には、彼女がいたのか。
いつから付き合ってるのだろうか、とふと要らぬことを考えてしまい、わざわざ自分に言うことでもないかと思い直した。
青桐ならいてもおかしくない。むしろいないほうがおかしいような人だ。
「ねえ、聞いてるの」
教室の隅とはいえ、周りには人が多くいる。細川の声は興奮のためか次第に大きくなっていて、気づいた何人かがこちらの様子をそれとなしに窺い始めたのを、朔は感じていた。
あまり刺激しないように静かに言う。
「それ、青桐に直接言ったらいいよ」
「なんでよ、なんで私が言うの! 藤本くんが離れればいいだけの話でしょ」
苛ついたように細川が頬を歪めた。
こんな顔をしてしまうほどに青桐が好きなんだ、と朔は思った。好きな人に自分を向いてもらえないのは寂しいことだ。
でも気持ちは自分で直接伝えたほうがいい。
「自分で言った方がいいよ、俺が言っても…」
ばん、と細川が近くの机を叩いた。
「そっちがくっついてくるから…青桐くん優しいから、断れないんじゃない! あんたみたいな地味なやつ、全然似合わないわよ!」
なんで青桐くんがあんたみたいなのを──今まで、青桐が自分を構うようになってから散々聞かされてきた言葉だ。
本当にどうしてだろうと思う。
朔には青桐に執着される理由が分からない。何かしただろうか。
考えても思い出せない。
分からないものは答えようがなかった。
「そうだね」
結局はそんな言葉しか朔は返せなかった。
自分が悪いわけではない、けれど説明したところで彼女にはきっと届かないだろう。今までの女の子たちもそうだったから。
誰もが皆、朔のせいだと思っている。
誰にでも親しまれる青桐と自分を比べれば、それは仕方のないことかもしれない。
付き合っている細川は尚更歯痒いのだろう。
「ごめんね」
「…あ、っ」
朔が微笑むと、はっと虚をつかれたように細川が声を失くした。
背中を向けて朔は、水を打ったように静まり返った教室を出た。
六限の始まりを告げるチャイムが鳴り始めた。
そういったものに疎く、まるで興味のない朔は知らなかったけれど、青桐由也はいわゆるスクールカーストの上位にいる生徒だった。
朔の通っているこの高校は周りの進学校に比べ、割と一般的な、普通の家庭からの生徒が多く在籍してるが、そんな中でも目立つ生徒はそれなりにいて、そんな彼らは自然発生的にグループ化していくものだった。
その中でも青桐由也は抜きん出て目立っていた。
明るい性格に、恵まれた──いささか恵まれ過ぎた容姿、運動神経もよく、成績も良い。特に勉強をしているふうに見えないのに。
誰にでも分け隔てなく接する青桐。男女問わず慕われている。
特に女子には絶大な人気があった。
じゃあどうして、と朔はもう何度目になるか分からない問いを繰り返す。
俺に構う理由はなんだろう?
半年経って分かったことと言えば、その理由がいまだに分からないということ。そして、もうひとつ──
「やっと見つけた」
屋上に張り巡らされた高いフェンスに寄りかかっていると、重いドアを開ける音がした。
目を向けなくても誰だか分かってしまうのが嫌だ。
「何飲んでんの?」
朔は唇に当てていたストローを離した。それは購買の自販機で買った紙パックのジュースだった。
「ジュースだよ」
「ちょっとちょうだい?」
屋上に設置されている貯水タンクの影が、フェンスの一角を覆っている。暑い日は風がよく通るし、年中陰ってひんやりしているので朔はこの場所が好きだった。その影の中に、青桐が入ってくる。
ちょっとちょうだい、ひとくちちょうだい、は青桐の口癖のようなものだ。もう何度も聞き慣れたそれに、朔は無言で飲みかけの紙パックを差し出した。
そんな行為に慣れつつある自分に朔は少しだけ呆れている。
「まっず!」
受け取った青桐がストローに口をつけた直後、顔を思い切り顰めてストローから口を離した。さも嫌そうに腕を思い切り伸ばして紙パックを遠ざける。
「なにこれ!」
「なにって…、野菜ジュース」
「なんでそんなん飲むの」
「好きだから」
青桐が目を瞠った。
「好き…?」
ぽつりと呟く。
そんなに驚くようなことだろうかと、朔は青桐の手から紙パックを受け取った。
「うん、好きなんだ、野菜」
そういえば、先日一緒に食事を──強引に連れて行かれて──したとき、彼は野菜が苦手と言って、皿の端に全部避けていた。
返されたそれを見下ろして、朔は当たり前のようにストローに口をつけ、残りを飲み干した。
じっと見ている青桐の視線を頬に感じて、ほんの少し居心地が悪くなる。青桐が黙り込むと、周りの空気さえも変わるような気がする。
「…あのさ、青桐」
意を決して朔は切り出した。横目に青桐を見る。
「彼女は大事にしたほうがいいよ」
え、と青桐が言った。
細川にはああ言ったけれど、自分からも青桐にはひとこと言いたかった。
「可哀想だよ。せっかく付き合ってるのに。俺に構うのはもうやめにして、それで」
「ちょっと待って」
彼女の話を聞いてあげて、という朔の言葉は鋭く青桐に遮られた。
吹き抜ける風が青桐の髪を揺らす。癖っ毛の長めの前髪が横に流れ、片目を覆ってしまった。
アーモンドのように綺麗な形の目が大きく開かれ、朔を見た。
「彼女ってなに? 俺付き合ってる子とかいないけど?」
今度は朔が目を見開いた。
「え? あの、細川さんは?」
「は?」
「…細川さんと付き合ってるんじゃないの?」
青桐は顔を顰めた。
「細川? 誰それ」
「……」
「朔?」
ああ、と朔は思った。まただ。
青桐くんは誰にでも優しいと言った、細川の言葉は本当だ。でも青桐にはその自覚が全くない。
半年の付き合いを経た中で朔が気がついたことは、青桐が誰にでも優しいのは、裏を返せば誰にも興味がないということだった。興味がないから、分け隔てることがなく、誰とも同じ距離で接している。それは異性に対しても勿論そうで、朔は何人かの女子にあからさまに嫌味を言われたりもした。
彼女も──細川もそうだったのか。思わせぶりな態度を取られ、付き合っていると思い込んでしまったのか。
ほとんど無意識に人を惹きつけるくせに、彼の目は周りをまるで見てはいない。
青桐が見ているのは──
「──」
凪いでいた胸の内が、またざわざわと波立つように感じられた。
「その細川ってやつになんか言われたの? ね、そいつ誰?」
「そいつって…、女の子にそういう言い方は」
「関係ないだろ」
青桐が一歩踏み出してくる。
近い。
朔は背筋を伸ばし、きつくフェンスに体を押し付けて出来るだけ距離を保とうとした。
朔、と言われ、渋々朔は答えた。
「隣のクラスの子。青桐も──」
「何で隣のクラスの女の名前なんか朔が知ってるんだよ」
「だから…」
うちのクラスによく来ているから。
青桐もきっと知ってるはず。親しいはずだ。話をしたり、遊んだり。そうでなければ彼女があれほど強く青桐との事を思い込むわけがない。原因があるからああなったのだ。
そう言いかけて朔はやめる。無駄だと思った。
青桐にはきっと分からない。
はあ、と大きくため息をついて言った。
「偶然、知ってただけだよ」
「ふーん…、で? その女が何」
「何でもない」
「何でもなくないだろ、朔」
言ったところで青桐にその自覚がないのだから意味はない。むしろ朔が言ってしまったら、細川にあらぬ感情を向けていきそうで怖かった。きついことを言われたけれど、彼女はいうならば青桐の被害者だ。気の毒だと、朔は思った。あんなに、あんなに青桐に好意を抱いているのに。完全な一方通行だ。
せめて親しいのなら、名前くらい覚えておけばいいのに。
「言えねえの?」
剣呑に変わる気配に、朔はため息を落としながら諦めたような視線を返した。
「もっと、周りを見たら、って話だよ」
「どういう意味だよ?」
「自分で考えたら」
「朔、言わなきゃ分かんないだろ」
苛立ちを隠そうともせず、青桐が手を伸ばした。掴まれそうになった肩を、すっと朔は躱す。
「もう戻らないと。行こう」
自習だった六限はそろそろ終わる時間だ。はじめからサボっていた朔と、多分途中で朔の姿が見えないからと抜け出して来た青桐。このままふたりしてホームルームにも顔を出さなければ、また周りから要らぬ想像をされたり、嫉妬の上書きをされるのは目に見えていた。
「じゃあ帰りは一緒に」
帰ろう、と言われて朔は首を振った。
「木曜日だから、悪いけど」
歩き出すと青桐は後ろをついて来た。大概強引に朔を振り回す青桐だったが、朔から起こす行動には従順で、何も言わず大人しく従ってくる。
どうしてだろう。
どうしてこうも青桐は…
背中に青桐の気配を感じながら、重い鉄のドアを開けようとノブに手を伸ばす。その一瞬早く、青桐が朔の手を追い越してノブを掴んだ。朔に覆い被さるようにして青桐はドアを開けた。
「──」
ギイ、と押し開かれたドア。
青桐の腕が朔の頬を掠めるほど近い。
ほんの少しで触れそうなほどの距離。
肌に触れる空気に朔は温度を感じた。
青桐の体温。
朔、と青桐が言った。
「開いてる」
「あ──、」
無意識に息を詰めていた。
項にかかる声にびく、と肩を揺らし、朔は慌てて足を踏み出した。
***
毎週木曜日の放課後は、この高校の敷地内にある私設図書館が近隣の子供たちに開放される日となっている。市内にある公立図書館の半分ほどの規模ではあるが、場所が遠く、気軽に子供が行けないため、付近の子供たちからは喜ばれていて、木曜日を待ち遠しく思う子も多かった。
「はい、いいよ。座って読んでね」
「はーい」
「次の人、どうぞ」
元気よく答えた女の子に笑い掛けながら、朔は後ろに並んでいる子に目をやった。
今日は木曜日、図書委員の朔は毎回閉館時間まで何人かの委員と貸出カウンターにいる役目だ。本来は当番制なのだが、出てこない委員も多いため、必然的に毎回ほぼ同じメンバーになってしまう。今日は二年の他のクラスの委員と三人、前回と同じ面子だった。
「さっくん、これ、続きまだ返って来てないの?」
「ああ、これね…」
リュックから出された本の表紙を見て、朔は困ったような笑顔を浮かべた。
「まだ返って来てないんだよ、ごめん」
「ええーまだなのお…」
「うん、続き読みたいのにごめんな」
がっかりした顔をしてカウンターに貼りついたのは、毎週欠かさずに来ている、すぐ近くの小学校に通う三年生の男の子だ。顔を合わせるうちに自然と仲良くなり、朔のことを「さっくん」と呼んでくれる。
「調べてみたんだけど、誰が借りてるのか分からなくて。多分勝手に持ってっちゃったみたいでさ、今司書の先生が新しいの探してくれてるとこ」
「えー…、じゃあもうちょっとしたら読めるってこと?」
「うーん。そうだね」
ふーん、とあまり納得していないのか、その子──準一は首を傾げるようにして頷いた。
「じゃあ今日は別のにする」
「うん。ゆっくり読んでって」
準一がカウンターから離れたので朔はその後ろの子に、どうぞ、と笑いかけた。子供と接するのは好きだ。ひとりっ子だから、きょうだいがいたらこんな感じだろうかと思う。父親は長く単身赴任で離れているし、母親もフルタイムで仕事をする身だ。家に帰れば大抵はひとりだから、子供たちと過ごす時間は朔にとって楽しみのひとつだった。
彼らもカウンターにいる朔を覚えていて、準一と同じように朔をあだ名で呼び、懐いてくれている。
「はい、いいよ」
「さっくん、これ面白い?」
訊かれて朔は頷いた。女の子が朔に見せたのは見覚えのある絵本のだ。
「うん、面白いよ? 俺も読んだことある」
「そっかあ、じゃあ読む!」
嬉しそうに本を胸に抱えた女の子に笑い返すと、はにかんで走って行った。朔は並んでいた子に、どうぞ、と声を掛けた。
開館と同時にカウンターに押し寄せていた子供たちも目当ての本を見つけてテーブルに着き、少し落ち着いてきたころ、一緒にカウンターにいた委員の前村が朔に声を掛けてきた。
「藤本、オレちょっとトイレ行って来ていい?」
「いいよ」
「ついでに購買でなんか買ってこっかな。そろそろ交代で休憩するだろ? 藤本はなんか飲むのいる?」
「あー、じゃあ」
せっかくだし、と朔は好きな飲み物を前村に頼んだ。ポケットの財布から小銭を出して渡す。貴重品は身につけておくのが鉄則だ。
「おっけ、じゃあ行ってくるわ」
「うん、ありがとう」
前村を送り出すと、本の整理をしていた安西がワゴンを押して戻ってきた。
「お疲れ」
「あーもうやんなるねえ、他の委員全然来ないんだもん。今日の返却、在校のもめっちゃあるのに」
「だね。代わろうか?」
確かに女の子には大変だったかもしれない。気がつかなくて悪かったと朔が申し出ると、安西はいーの、とあっさりと手を振った。
「座っとくのは性分じゃないもん、動いてた方がマシ」
「はは、そっか」
彼女らしい言い方に朔は笑った。
安西はショートボブの髪型が似合うすらりとした女子だ。涼しい目元に性格はさっぱりとしていて、なかなかに男勝りだった。春ごろまでは水泳部に所属していたのだが、コーチの方針が本人の性格と合わず、辞めてしまったのだそうだ。
「それよりねえ…」
「さっくんっ!」
安西が何か言いかけたところで、向こうから準一が走ってきた。
割と大きな声だったので、思わず朔はしーっと唇に指を立てた。
「準くん、静かに」
「だあってえ!」
「なあに、どーしたの」
カウンターに身を乗り出した準一を面白そうに安西が覗き込む。準一はむう、と唇を尖らせて安西を上目に見、そして朔に向き直った。
「あのマネキンみたいな兄ちゃん、すっげえ邪魔なんだもん! おれのことめっちゃ見てくる! さっくん追っ払ってよ」
「マネ…」
マネキン──
「あは、あははっ」
朔が目を点にしていると、安西がぶは、と噴き出して笑い出した。
「ちょ、安西さん…」
「マネキンだって、あはははは」
「声、こえおっきいから」
朔は安西に言って、仕方なしとばかりに周りを見回した。
子供たちが何事かとこちらを見ている。
その向こう、数段下がって作られた円状のスペースの縁から、見覚えのある姿がわずかに見えていた。そこは子供たちが寝そべって本を読んだりできるように作られたフリースペースだった。
はあ、と朔は肩を大きく下げてため息をついた。
いつの間に。
「藤本お、あんたも大変だよね。あいつずーっとあそこにいるよ、気づいてなかったでしょ」
「えっ、あのマネキン兄ちゃん、さっくんの知り合い…?」
さっき言おうと思ったんだけど、とにやにや笑いながら朔に耳打ちする安西を見て、準一がなんだか複雑そうな顔をしてそう言った。
小学生には彼の整った容姿も胸を打つには程遠いようだ。
「──青桐」
不貞腐れたような顔をして、青桐はスペースの段差に腰かけていた。
「青桐」
読んでいたのかいなかったのか、長い足を折った膝の上に開いていた大判の絵本から、ゆっくりと青桐は顔を上げた。
「何してるの?」
じっと朔を見つめる。
朔はため息を落とすと、少しだけ肩を竦めた。
「今日は遅くなるから一緒には帰れないよ」
「分かってる」
分かってるんだ。そうだよな。
この半年余り、長い夏休みを除けば、木曜日はいつも青桐は先に帰っていた。朔の都合は確かに嫌と言うほど分かっているだろう。なのに。
今日はどうしたのか。
ちゃんと屋上でも確認したつもりだったけどな。
「こいつさっくんの友達なの?」
朔の後ろから準一が顔を覗かせて言う。準一を振り返ると、視界の端で青桐が身じろいだのが分かった。
「…そうだよ」
と朔は言った。
「ええ、こんなマネキンが?」
「青桐はマネキンじゃないよ」
子供の無自覚な言葉は時に鋭すぎて、想うよりもずっと、否応なく相手を傷つける。青桐は気にしないだろうが、何となく朔はいい気持ちがせず、やんわりと準一を窘めた。
「そういうの、だめだよ」
「……はあい」
小さく口を尖らせる準一の頭をそっとひと撫でした。青桐に向き直ると、彼は食い入るように朔を見つめていた。
「青桐?」
朔の声にはっとしたように、青桐の目が焦点を結ぶ。
どうかしたんだろうか。
「? 具合悪いのか?」
首を振る青桐の前に朔はしゃがみこんだ。目の高さを合わせる。
その動きを追っていた青桐が、ぽつりと言った。
「終わるの待ってたい」
そう来るか。少し考えて、朔は言った。
「片付けとかあるから、18時近くなるけど」
「待ってる」
被せるように強めに言われて、ふう、と朔は息を吐いた。いつもは明るく自信に満ち溢れているけれど、時折青桐はこんなふうに、駄々をこねる子供のようになる。それもこの半年余りで朔が知ったことだった。
「いいけど…」
「えーじゃあおれも待ってる!」
一緒に帰ろ、としゃがんだ朔の背に乗っかるようにして準一が叫んだ。大きな声にしーっと言うと、けらけらと笑う。
「マネキン兄ちゃんいいよな、おれもさっくん待ってる」
「準くんは…」
「はあ? なんでだよ、さっさと帰れよ」
「なんでだよ、いいじゃん」
「嫌だ。つーかさっくんとか呼ぶな、離れろよっ」
「なんでだよっ」
子供相手に不機嫌さ丸出しで大人げなく青桐が向かっていき、準一も面白がって声を上げる。図書館内に響き渡るふたりの声に、深く息を吸い込んで、朔は静かに告げた。
「ふたりとも、それ以上騒いだら今すぐ出て行ってもらうから」
にらみ合っていたふたりがぴたりと口を閉じて、立ち上がった朔を同時に見上げた。
「いいね?」
それを見下ろして、にっこりと笑って朔は言った。
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