第284話 本望だろう

 その姿は、動くヘドロような暗黒。

 明らかにこれまで遭遇してきた魔物とは別種。

 それどころか、確実にこちらが摘み取られる瞬間が脳裏に過る。

 ひと目見て身の危険を感じ取り、心の奥底から警鐘を鳴らしていた。


 ……格上だ、圧倒的に。

 魔王はもちろん、俺たちよりも。


 空間を砕いてこの世界へ侵入してきた?

 人には決してできないことを可能とする存在か。

 それとも何者かが送り込んできた・・・・・・・のか。

 俺には判断がつかなかった。


 だが、眼前に現れたそれ・・は間違いなく敵であることだけは確かだ。

 今にも襲い掛かって来そうな悪意をはっきりと感じるが、対照的に俺たちは体が凍り付いたように動けなくなっていた。


 まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 すべての行動を封じられた。


 暗黒の物体は小刻みに揺れ出す。

 その姿からは臨戦態勢としか思えない。


 ……動け。

 動け!

 動け!!


 ここで動けなきゃ確実に消される!

 魔王を斃すどころの話じゃない!

 まずは眼前の敵を斃すことに集中しろ!


 ぴくりと右手の指が動いた瞬間、途轍もない速度で暗黒の物体が襲い掛かる。

 瞬間、強烈に匂い立つ"死"に、佳菜と過ごした日々を鮮明に思い起こした。


 ……直撃だ。

 避けられない。


 確信したその刹那、凄まじい轟音と共に暗黒の物体へ槍が突き刺さる。


 2メートルはあるだろうか。

 白を基調として白金で装飾が施され、けら首から穂にかけて透明な水色の宝石を思わせる、とても美しい槍を持った女神アリアレルア様が顕現された。


 貫かれたことで原型を保てなくなったのか。

 そのまま暗黒の物体は原油のようにどろりと溶けた。

 死を確信させられた相手がいなくなり、安堵するのとほぼ同時に何が起きたのかを深く理解する。


 女神様は瞬時にその場から消え、周囲に静寂が訪れた。

 当然、彼女の顕現が何を意味するのかを考えると、時間がないんだと確信した。


「……鳴宮……これって……」

「……あぁ。

 どうやら、最悪の事態のようだぞ……」


 冷汗が止まらずに右頬を伝う中、透き通るような声が直接頭に響いた。

 その告げられた内容に血の気を引かせながらも最善策を考え続けた。


≪ ハルトさん、カナタさん、時間がありません。

 現在、緊急措置のために力を構築中です。

 どうか、5分以内に魔王を討伐してください ≫


 その言葉を聞いた瞬間、俺たちは魔王へ向けて一気に距離を詰める。

 一条は光の魔力とレイラから学んだ魔力による身体能力強化を合わて編み出した新技術で、魔王の背後に移動した。


 土壇場で力を使いこなせるようになったのかは分からないが、その成長っぷりを目の当たりにして思わず口角が上がる。


 半壊したままの魔王は動けない。

 ここで逃せば、もう二度と訪れない好機かもしれない。


 すべてを込めた、最高の一撃を。

 これまで経験してきた技術の集大成を。

 この一振りに込める――。


一葉ひとつば流武術・極ノ型、奥義"疾風迅雷"――」


 落雷が落ちたかのような轟音が周囲に響き、それとは違う甲高い音を上げながら春月が砕け散った。


 柄だけ残ったことに、どうしようもない寂しさを感じる。

 しかし魔王を斃すための一撃を3度も耐えきったんだ。

 これだけ最善を尽くしたんだ、春月も本望だろうと思えた。


 ……あとは任せたぞ、一条。


 限界点まで魔力を高め、周囲をビリビリと震わせる。

 魔力の感じられない俺でもはっきりと伝わるその力は、最高の一撃どころかすべて魔力を出し尽くす最大の攻撃になりそうだ。

 魔王を睨みつけながら、一条は溜めに溜めた力を最悪の敵に対して叩きつけた。


「――消えやがれクソがあああッ!!!」


 振り下ろされた大剣は砕け、それでもなお魔力の勢いは留まることなく魔王に襲いかかる。


 これで斃せなければ、俺たちにはもう何もできない。

 だが俺たちは、そうはならないと確信した。


 叩き潰すかのような一条が放った最高の一撃は、徐々に、しかし確実に魔王を上部から崩壊させていく。


『…………お……お、ぉ………………ぉ…………』



 完全に欠片ひとつも残さず霧散した魔王を確認し、俺は天井を見上げるように視線を向けながら深く重いため息をついた。


「……斃した……。

 斃したぞ……。

 斃したぞおおおッ!!!」


 半ば涙目で勝どきを上げる一条に苦笑いをするが、言葉を返す気力はなかった。

 しかし、そう時間をかけずして深く沈み込むような衝撃を体全体に強く感じた。


 バランスを大きく崩しながらも、足に力を入れて倒れることを拒絶する。

 目を丸くした一条は言葉にするが、答えは聞かなくても確信できた。


「――な、なんだ!?」

「……世界の崩壊が始まったんだろうな」


 俺の言葉に一条は女神様の話を思い出したようだ。

 だからといって、そう簡単に受け入れられるはずもない。

 何か策はないかと考えるも、辿り着く答えはひとつだけだった。


「ど、どうすんだよ!?

 このままじゃ世界が!!」

「……悔しいが、俺たちにはどうしようもない」


 こうなってしまっては世界を救うことなんて、女神様でもできないんだ。

 恐らくは人の魂のみを救済し、前もって創っていると聞いた別世界に転移させる準備を女神様はしてるんだろう。

 あとはもう、俺たちには何もできない。



 しかしこれは、"世界を救えた"とは程遠い結果だ。

 それでも俺たちは手を尽くせたんだと思いたい。


 結局、世界を崩壊させてしまった。

 胸を張れるような結末は迎えられなかったな。


 最悪の魔王を討伐できたことに喜びながら、望んでいない未来への道を進むことに心から申し訳なく思った。


「……ままならないな、本当に……」

「……鳴宮……」


 所詮、人にできることなんて高が知れているのかもしれない。

 だとしても、この結末だけは絶対に避けたかった。


 ……いまさら思ったところで遅すぎるが……。



「……お、おい……鳴宮……」

「なんだ」

「……あれ……」


 目を丸くしたまま天井を見上げる一条。

 視線を向けると同時に、見ていたのは天井ではないことを知る。


 ふわふわと雪のようにゆっくりと降る白銀の光に、俺は戸惑いを隠せなかった。


 建造物を通り抜ける花びらのようにも見える美しいそれは、とても温かく、何よりも優しさに満ち溢れた光だった。

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