第110話 本当の目的
3階へ向かう階段を上がりながら、俺はカウノの言葉を思い起こしていた。
"何年かかってでも"、か……。
それほど長くこの世界に留まることはできない。
帰還する方法もまだ確立していない以上は本当にそうなる可能性もゼロじゃないが、そんなことになると佳菜のほうが心配だ。
きっと気が気じゃない状態で見つけるまで俺を探し続けるはずだからな。
「いいのか、ハルト」
呟くようにヴェルナさんは訊ねた。
ふたりには俺の置かれた境遇も伝えてある。
だからこそ、言いようのない気持ちが溢れてしまう。
俺も同じ気持ちだ。
だとしても、こう言葉にすることしか俺にはできなかった。
「あぁ、大丈夫だ。
急に帰ったりはしないよ」
「……そうか」
どことなく切なさを感じる声色で彼女は答えた。
元々雲を掴むような話だ。
現実に帰還できるのかも分からない。
そんなことは無理だと結論が出るかもしれない。
でも、そうだと決まったわけじゃないし、帰る道が閉ざされていない以上、俺はそれが可能だと信じて歩けばいい。
もしかしたら、案外簡単に見つかるかもしれない。
ここは"異世界"だからな。
俺の知る常識や法則とは別の働きをしても、何ら不思議なことではないはずだ。
……あまり考えすぎると精神的に良くないな。
今は、今できることを精いっぱいしよう。
扉の前に立つリンネアさんはノックをする。
室内からは聞き覚えのある女性の声が届いた。
「入れ」
「失礼します」
執務机で仕事をするマルガレータさんの姿が見えたが、絵に描いたように積まれた書類の山は今回の作戦に関わるものなんだろうな。
それを一枚一枚目を通してサインをする事務的な仕事を、彼女はあれからずっとしているのか。
こちらへ視線を向けると手を止め、どこか嬉しそうな声色で言葉にした。
「来たか。
まずは座ってくれ」
立ち上がると体を軽く伸ばした。
その様子から、相当早くから仕事をしていたようだ。
対面に座る彼女は一息をついた。
「……ふぅ。
さて、わざわざ呼び出して悪かったな。
冒険者ギルドマスターとして、正式に礼を伝えていなかった。
もちろんハルトの自由意思を尊重するつもりだったが、お前なら必ず応えてくれると信じていた」
「お礼はもう十分すぎるほど言っていただけましたよ。
それに、俺にできる範囲で力添えをさせてもらっただけですから」
「ハルトならそう言うと思ってたよ」
そう答えたマルガレータさんは豪快に笑った。
だがヴェルナさんも言っていたが、別の件でも呼ばれたようだ。
「実のところ、もうひとつ確かめたいことがあってな。
まさか本当にヴェルナと一緒だとは、こうして目にした今も信じがたい光景だ」
「……そんなにアタシがツレと歩くのは意外かよ」
「そうじゃないが、"その通りだ"とも言いたいところだな。
正直、お前が他人にこれほど興味を持つことは意外だった。
自由を体現したような冒険者だからな、お前は」
「ほっとけ。
アタシはいつだって好きに生きてるだけだ」
ぷいっとそっぽを向くヴェルナさんを笑う、マルガレータさんとサウルさんだった。
「俺も人付き合いはそれほどねぇから人のことは言えねぇけどよ、ハルトは"別格"なんだよな」
「それではこれで失礼しますね」
込み入った話になると判断したんだろう。
お茶を淹れ終えたリンネアさんは早々に立ち去ろうと挨拶をした。
「かまわないよ。
リンネアさんも信頼してるから、このまま同席しても大丈夫だ」
「万が一にもないと思うが、リンネアもここでの会話は他言無用に」
「はい」
少し緊張した面持ちで頷きながら答えた。
そこまで気を張ることもないんだが、内容が内容だ。
まぁ、たとえ話したところで大きな問題にはならないだろうけど、こういったことって彼女自身に罪悪感が募る場合も多いからな。
「俺は"勇者召喚の儀"で、王都を追放された異世界人なんだよ。
だからどうって話でもないんだけどな」
「そ、そうだったんですか?
でも、"追放された"って……」
「あぁ、いいんだ。
王国が欲しがってたのは勇者みたいだし、俺は魔力を持ってないから当然の扱いだと思ってるよ」
「噂の"勇者サマ"ってのが、どれほどの強さにまで到達するのかは分からないが、ちょっとやそっと鍛えた程度じゃハルトは超えられないだろうな。
現に一度ボコったんだろ?」
「あいつが勇者特有の力を使っていればどうなるかは分かりませんが、技術面では素人でしたからね」
目を丸くするリンネアさんだったが、どこか納得したように頷いた。
さすがに情報規制されているはずだし、彼女は何も聞かされてないみたいだ。
「それで盗賊を
「そいつは公式での功績だが、まぁいい。
それよりも、勇者の動向が掴めないのは残念だな」
「そんなに期待されると、がっかりするかもしれませんよ」
あいつの性格は中々に個性的だからな。
むしろマルガレータさんの嫌いなタイプじゃないだろうかと心配になる。
「そういや、俺らも会ってねぇな」
「興味ないな、アタシは。
勇者がどんだけ強かろうが、大切なのは中身だ」
「私も同意見だ。
しかし、ハルトが気に入ってる男を見てみたいと思う気持ちも強い。
技術が拙い小僧だとしても、その心はいいものを持ってるんだろう?」
「えぇ。
丁寧に磨けば必ず強くなれる精神でしたね。
……あいつ次第ではありますが」
それでも、短期間で魔王を倒すに至る力を手にできるのかは分からない。
アニメやゲームの知識しか持たないのだから当然ではあるが、そう単純な話でもないはずだ。
「それよりも、明朝には出発するんだろ?
なら、少しの間でいい。
ハルトのいた世界を聞かせてくれないか?」
「それは、かまいませんが」
……あぁ、そうか。
本当の目的はこれか。
どうやらマルガレータさんは随分と好奇心が旺盛のようだ。
そうだよな。
異世界の話を聞ける機会なんて、そうあるもんじゃない。
俺だって彼女と同じように聞いてみたいと思うはずだ。
「私も聞きたいです!」
「あぁ、もちろんだよ」
「その前に、リンネアのお茶も用意したらどうだ?」
「そうさせてもらいますね」
とても嬉しそうな様子でカップを取りに行くリンネアさんだが、そんなに面白い話でもないとは思うんだけどな。
でも、故郷の話をサウルさんたちの他にできるのは、俺にとってもいいことだ。
こういった機会は中々訪れないだろうし、いい気分転換にもなる。
……マルガレータさんの仕事は大変なことになりそうだがな。
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