キカイノカラダ
大山 たろう
キカイノカラダ
ここ数百年で、人間は大きな進歩を遂げた。
人間の脳を機械で再現することによる判断能力、また人間を模した体の操作性能が向上。それに伴い、生活も大きく変わった。疲れず、病にかからないAIが肉体労働の多くを担当し、人間はそれを使う側であろうとした。
しかし五年前。
新技術は、世界を変えた。
ついに人類は、人間の人格を機械の体に移す、理論上の不老不死を実現した。
さて、ここでこれを読んでいる読者に問おう。
人間として生まれ育ち、しかし人格のすべてを機械の体に移された「それ」は、果たして人間と呼べるのだろうか。――
「ふぅ」
栞を挟んでからパタリ、と本を閉じた。
大きく息を吐く。
機械人権論への問い、と題された表紙が太陽の日を浴びる。
機械が人間と同等どころか、人間が機械の中に収まるとされる技術すらできた現代。
この問いが技術と共に投げかけられてから、早五年。比較的新しい部類であるこの本ですら、答えどころか問題提起の段階で足踏みしている。
五年、様変わりしないそれを買う意味があったのか、と聞かれると確かになかったかもしれない。ただ、今これが売り出されているということは、それだけ売れる、つまり注目されているコンテンツというわけだ。
まぁ、そのせいもあってか思考を停止している節がある気もするが。
そんなことはさておき。
「どっちを選ぶか、ねぇ」
何度提示されたか分からないそれを呟く。
と、地面を眺めていると近づいてくる影が二つ。
「またそれ読んでいたの?」
「お前も懲りねぇなぁ」
「別に良いだろ、結構面白いし」
幼馴染の未菜とその彼氏、悠斗。
どうしてカップルが二人きりの時間だというのにこっちに来ては話しかけてくるのか。疑問に思うものの、いつもタイミングを逃してしまう。
「それで、何か進展でもあったのか?」
「ないよ、国会見てもわかる通りだよ」
法律で人間と同等の権利を認めるかどうか、というのは度々議題として挙がっては結論が出ず有耶無耶になって消えてゆく。
いつしか公約でそれを掲げる人はいなくなってしまったぐらい、というのは少しかじった人なら知っている話だ。
「やっぱり……まぁ期待はしてないけどな」
「ちなみに二人はどっち?」
わかり切っていた質問をしたつもりだったが、思わぬ形で返される。
「俺は認めないな」
「即答のその心は」
「だってさ、どこまで行こうとそれは機械なんだよ、人間に作られたもの。それが人間と同じですって言われて、納得できる気がしないな。例え人間だった記憶があってもさ」
「私は……やっぱり分からないや」
悠斗に続いて、未菜も口を開いた。
結局、反対一に対して棄権二という悲しい結果だ。とはいえ普通は棄権した側が言うことでもない気がするのだが。
「あ、次の時間移動じゃなかったっけ」
「そうそう、それを言おうとしていたんだよ」
「よし、遅れたくないから俺たちは先に行くぞ」
優斗は未菜の手を引っ張り、少し強引に教室を後にした。
別に構わない……と言えばウソになる。
幼馴染、というくらいには関係も深かったから、家族の次ぐらいに親しいと思っている。
その人が少し乱暴にされる、そんな光景を見ると、まぁ少しもやっともする。
嫉妬の感情とかよりも、捨てられそうという心配だろう。きっと。
どこか分からないところに言い訳をしているうちに、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
いつか、教える側もAIになったりするんだろうか、と先生を眺める。
「先生をじっと見つめても遅刻は取り消しませんよ」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫って……」
先生があきれ顔になる。
いつものように、分かりやすいほど表情に出る先生だった。
もしかしたら、先生は既に実験中のAIかもしれない。と、ふとした思考がよぎる。
見た目は同じ。というか、多分言わない限り分からないと思うくらいの完成度だ。しいて言うなら鉄の塊だから体重が異常だったりとか、食事不要で充電していたりとか、そういった行動に現れるような問題でしか分からないだろう。
「わくわくした目でこっちを見ても、先生は食べないと死ぬし体重も普通です」
「……そうですか」
「露骨にしょんぼりしたわね……」
先生も露骨にしょんぼりしていますよ、とは流石に言わなかった。
先生は少し遠くを見つめる。
「先生、やっぱり顔によく出ますね」
「知ってるわよそれくらい!」
元気が出たようで何よりだ。
「今日先生怖かったねー、目の色が消えていたというか、血色がというか」
「誰のせいだろうか」
「お前のせいだよ!」
大声を出すな、と悠斗に向けて呟いた。
いや、お前が悪いんだろう、と真顔で返してくるあたり、自分は全く悪くないとでも言いたい風だ。
けれどどんな理由があろうと、天下の往来で大声を出したらそれは迷惑野郎なのだ。覚えておくと良い。
なんて、まぁ当然リア充様に対して言えるわけもなく、沈黙だけ漂った。
「それにしても、先生もAIのこと興味あったんだな」
「興味っていうか、多分知識として知っているだけだと思うけどねー」
そんなことを言っていたら、丁度目の前にコンビニから出てきた先生が。
顔色もいつものものに戻っている。というか、少し笑みを浮かべているあたり高いまである。
「あ、せんせー!」
悠斗が走って先生に会いに行こうと、横断歩道へと足を踏み出した。
先生を含む、辺りの人の血色が一気に青くなった。
突如、クラクションがけたたましく鳴りだす。
それはトラック。信号が青だからとアクセルを踏んでいたのが仇になった――というのは間違いだろう。責めるべきはトラックではない、赤信号だというのに飛び出した悠斗の方だ。
「危ない!」
想定外が、重なった。
勢いよく未菜が飛び出して、轢かれそうになっている悠斗を押し出した。
悠斗は元から走っていた勢いも相まって反対車線まで押し出される。
だが、押し出した側である未菜は、むしろ押し出したため体がまだトラックの前に。
「ま、まず……!」
しかし、瞬間判断が遅れ、反射的な動作も遅れた結果、辺りの人はそれを傍観することとなった。
ドグシャア、と気味の悪い音が鳴り響く。
勢いよく吹き飛ばされた未菜。
悠斗は倒れたまま立ち上がらない。
「救急車――」
すぐに携帯を取り出し、救急車を呼んだ。
赤い血が、辺りに勢いよく流れ出す。
先生が駆けつける、悠斗が青ざめる。
「息はまだある……早く!」
小さい道路、アクセルを踏んでいたとはいえ極端に暴走しているわけではない速度。それが幸か不幸かは、分からない。
結局、すぐに救急車が来たものの、未菜が目を覚ますことはなかった。
「脳死とは真逆の状態になっている、って……」
病院で未菜の母から聞いたのは、未菜の絶望的な状況だけだった。
その解決策がないわけではないが、それを口にはしない。
それは、未だ不確定の渦、その中心と言っても過言ではないくらいの茨の道だからだ。
「未菜、どう思うかしら……」
おろおろと、あちらこちらと歩いている、未菜の母は、頭を抱えて正気なんてないだろう目をしていた。
けれど、選択肢があるだけ、それは幸せというものかもしれない。
それだけ、五年という時は救えるものを生み出していたのか、と実感させられる。
「差し出がましいかもしれませんが」
「……?」
「未菜がどう思ったかは、それをしないと聞けないんですよ」
「ねぇ、それなら、ずっとあの子の――未菜の、味方でいてくれる?」
「私だけでもよければ」
そう、答えるしかできない。
訪れる最悪の未来が分かっていても、また話せることを望んでしまう。
きっと傷つくと分かっていて、己の願いのために未菜に辛い世界を見せてしまう。
そんな願いは、傲慢だろうか。
それは、人一人とそれだけが残る、暗い病室。
「――ん、んぅ」
「起きたか」
今まで全くと言って良いほど聞こえなかった声が聞こえた。
読み返していた本へ栞を挟みなおした。
やっと、手術の成功を確認できた。
流石、手術も正確を極めている。AIすごいと思う。
「――んあ、あれ? 私――どうなったの?」
「確かめてみたら、わかるさ」
そう言って、少し席を離れた。
とりあえず、と、未菜の母親に電話を入れた。
メールとかのほうが良いのかとも思ったけれど、どうせ……と言ってしまうとあれだけど、きっとあの様子だと一睡も出来ていないだろう。病室に残ればよかったのに、とわがままを言えるような環境でもなくなってしまった。
「い、いやああああああああ!!!」
病室から、叫び声が聞こえた。
それにしても、嫌、か……
呟くその言葉も、暗い病院で聞く人などいなかった。
「それで、落ち着いた?」
「う、うん、ごめん、私――今、体が機械になってるの」
「そう。元の体はほとんど死んだから、一生――というか、壊れるまで機械の体」
一生、というが、寿命という存在をぶっちぎったのがその機械の体。負傷しても自己治癒せず、外部からのメンテナンスによって修繕されるキカイノカラダ。
「まるで、呪いみたい」
「……そうだね、でも」
未菜がこっちを向く。
これ以上、何が起きるのと、その目には恐れが浮かんでいる。
「あの日、未菜が轢かれた日。聞いたと思うんだ。二人は、どう思うって」
実は結構な時間が経っている、けれど彼女にとってはつい先日のような感覚だろう。
だからしっかりと、鮮明にその光景が浮かんでくる。
「もしかしたら。もちろん、その通り」
「でも……つまり、そう言うことだよね」
未菜はもう、分かったようだ。
「そう。悠斗は、少なくとも良いとは思わないと思う」
「未菜……?」
「ねぇ、悠斗」
翌日、俺は悠斗をすぐに呼び出し、病室に入ったのを確認して部屋を後にした。
とはいえ、未来は見えている。
というのも、前に問いかけた機械人権論だが、その大半は明言しない。
もし可決されたら差別する思想を持っていると言われるし、逆も然り。明言をしないことで、マジョリティに流されるだけで良い、という風潮で満ちている。
ならば、それを明言するのは大きく分けて二種類。
片方は、何も考えていない馬鹿。
そしてもう片方は――マイノリティになろうと、意見を曲げない奴だ。
「悠斗の馬鹿! 出ていけ!」
ドタドタ、と音が響く。
そして十秒経たず、悠斗が部屋から出てきた。
「――お前は、分かっていたのか」
「でも、避けられない」
間髪入れずに返す。
きっと、悠斗になんと言おうと。
きっと、未菜になんと言おうと。
そしてそれは悠斗も分かっていたようで、苦しい顔をしている。
「だから、俺を呼んだのか」
「どうせ学校で会ったら、数日で気づくのは分かっているから。それなら、病室で済ませてしまったほうが、向こうも引きずらない」
昼休みに二人、一緒に行動しているのなら、きっと食事は一緒にしているだろう。けれど、急に彼女は食事をしなくなる。唐突に席を外す。怪我をしたらすぐに保健室に行って、すぐに早退する。
考えれば考えるほど地雷原過ぎて笑えない。
「そうかよ、じゃあな」
「……あぁ」
少し寂し気に歩く悠斗を尻目に見ながら、静かな病室の戸を開ける。
ガラリ、と戸の音が鳴る。
「分かっていた、分かっていたけど……つらいよ、辛すぎるよ」
未菜は苦し気な表情で、手を伸ばしてくる。
涙は、流れない。
「……別れたのか」
「……うん」
救えない話だ。好きな人を助けたら、好きな人は離れて行ってしまった。
「ねぇ、私、どうしたら良いの……? こんな重たい金属の体で、これからどうしたら良いの……」
服の裾を掴まれる。
縋るように、求めるように。
「どうしたら……」
消えゆく声、彼女は縋るように、歩むべき道を求めるように、すぐそこの棚に置かれていた本を開いた。
それは絶望を加速させるように、明けない未来を予言するように。
それは彼女の人としての終わりを告げるように、新たな体を知らせるように。
さて、ここでこれを読んでいる読者に問おう。
人間として生まれ育ち、しかし人格のすべてを機械の体に移された「それ」は、果たして人間と呼べるのだろうか。
――――この問いに、明確な『答え』は訪れるのだろうか。
栞がはらり、と床に落ちた。
キカイノカラダ 大山 たろう @Ooyamataro
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