第6話 これが織田弾正忠どのかっ
俺たちは旅装束を整え、木綿の座から前島の名で身元を証明できるものをもらって旅立った。前島にしておけば、いざとなったときに北条殿に仕えている宗祐叔父の名を出すことができる。狩野の名で旅をすると、のちのちが厄介だ。
なお、この旅には左介にも一緒に来てもらった。
さらに、木綿の座の商人も、複数の供を連れて同道してくれている。帰りの荷物を担ぐことを考えれば、どうしても最低でもこの人数となるのだ。
男が八人いれば、さすがに人さらいも小蝶を諦めるだろう。
旅の準備の最中にも、刻々と状況は変わっていた。
三好長頼殿が丹波国で敗死し、三好家は丹波国を失った。京の町を囲む大名たちの力関係は、さらに混迷の度合いを深めている。
今であれば、まだ旅はできるかもしれないが、この先はどうなるかわからぬ。
もっとも、京の自邸に引きこもっていても、それが安寧の地とは言い切れぬのが切ないところだ。
京の町が再び灰燼に帰さないとは、誰も言いきれまい。
俺たちは京を出て船で琵琶湖を渡り、湖北まで進んだ。
船に頼らず、甲賀から亀山に抜けて尾張に至る道もあるが、歩く距離は少なければ少ないほどよい。なんせ、小蝶の女の足では稼げる距離に限界がある。
さらにそれだけではない。
陸路は果てなく関所があり、いくら金を払ってもなかなか前に進めぬ。船であれば、湖の堅田衆に一括で支払えば、あとは関所もないし、安全も保証されるのだ。
湖北東岸、米原の番場あたりで船から降りて一泊すれば、あとは関ヶ原を通って小牧山までは女の足でも二日程の行程である。
行った先での狩野の身の証明は、同道している木綿の座の者がしてくれることになっている。
尾張の木綿の取引は大きい。俺たちは、その信用に只乗りさせてもらう形なのだ。
山あいの道を歩き、人数の力か賊にも会わずに養老に抜ける。
一気に平地が広がり、視界を遮るものがなくなった。京にいたら見られぬ光景である。
信春が大きく伸びをし、それが俺と直治どのにも伝染った。そうしたくなるような開放感なのだ。
振り返れば、この道を守るためだろう、山城がいくつか見える。
そのまま進み、大垣で俺たちは二泊目の夜を過ごした。
翌朝、俺たちは明るくなると同時に歩き出し、一宮を通り過ぎてさらに東に向かって歩き、昼前には小牧山の城下に入っていた。
「前島の棟梁、で、これからどうする?」
おどけて木綿の商人が言う。
俺の正体を知っているからこその物言いだ。
「二つ考えがある。
一つ目は、
沢彦師は、京の妙心寺の出身、第一座までなられたお方。まんざら知らぬ顔でもないと思う。
二つ目は村井吉兵衛殿、このお方は京にも明るく、狩野のことも存じておられる。この御方を頼ることもできよう」
俺の言葉に、木綿商、大きく頷いた。
「なるほど。
狩野の名は通っているからな。相手も無下にはすまいよ。
では、沢彦師のいる政秀寺までご一緒しよう。政秀寺は小牧山の南、なに、近いものよ。
そこで顔が繋げれば、手前は御役御免ということになれるし、元々からの顔馴染みならますます言うことはない。
なにかあれば、城下町の宿は二軒しかないから、どちらかにいるから訪ねて参られよ。
して、村井殿に伝手は?」
申し出、まことにありがたい。
沢彦師が俺の顔を知っていればいいが、そうでない場合は身元を明らかにしてもらわねばならぬからだ。
そして、村井殿に関しては、お世話になるしかない。
「ない。
政秀寺の線が上手く行かなんだら、伝手をお願いすることになろう」
「わかり申した」
「心強い」
そんな話をして、腹ごしらえのあとに俺たちは政秀寺の境内に足を踏み入れていた。
案内を山門近くにいた小坊主に頼み……。
「おや、これは狩野の棟梁では?」
と声を掛けられる。
見れば五十代半ばと見られる僧が、箒を持って山門から伸びる石畳を掃いていた。
「お初にお目にかかる気が致しますが、沢彦師でございましょうか?」
「左様。
やはりそうか。
お父上の若い頃に瓜二つじゃ」
そう言われると照れるものがある。
俺は頷きながら問い返す。
「それほど似ておりましょうか」
「なんの、それだけではない。
みな揃って、やさしい手をしておる。商家にも見えず、僧籍があるようだとしても寺住まいには見えぬ。各々品がありならず者にも見えぬし、服装から京から来たことは一目瞭然。かといって、どう見ても公家衆ではない。
そういう者たちが集まっていられるとなれば、絵描きしかおるまい。
お連れの
絵描きは、自分の目で見ることが第一だからのう。
ここまで材料が揃えば、間違う方が可怪しい」
「恐れ入りました」
そう言って、俺は畏まる。
絵描きの見る目と僧の見る目は、自ずから違うのであろう。
その目で見た上で俺が父の若い頃にそっくりであれば、確かに間違えられることはなかろう。
「而して、拙僧に何の用かな?」
「織田弾正忠殿にお会いしたく」
「あの、うつけにか?」
俺はその物言いに驚いた。
「それは仮のお姿だったのでは?」
思わず問い返す俺に、沢彦師は言う。
「うつけもうつけ、世のものさしで測れぬ大うつけよ。
そのうつけぶりに用かと聞いておる」
「は、そこにこそ、用がございます」
「なれば、ご紹介しよう」
「ありがたく」
さすがに、沢彦師は禅僧である。
このように織田殿のことを喝破し、かつそれをもって俺という人間とその用件までもを見抜いたのであろう。
小蝶が関白様のお考えを読み、その話をしていたのがここで功を奏した。
それなくば、俺もこのような話に即座には乗れなかったかも知れぬ。
もっとも、俺とて禅僧と話すのはこれが初めてではない。
「では、付いて参れ」
沢彦師はそう言うと、そのまま箒を小坊主に手渡し、さっさと山門を出て歩き出す。
俺たちは焦ってそのあとを追った。
何事にも縛られぬにもほどがある。直治どのの顔が驚きに満ちている。
とはいえ、狩野の棟梁が京から直に来たということに重みをおいてくれたのかもしれない。
小牧山城は、小高い丘をそのまま城にしてある。
石垣が多く堅牢に見え、これは戦さのために守りを固めた城なのだと感じさせられる。
その小高い丘のつづら折りの道を、沢彦師は苦にもせず足早に登っていく。
歳の若い俺たちの方が顎が出そうだ。
登りきったところで、鋭い矢音が響いているのに気がついた。沢彦師もその音を聞いて片頬を緩める。
「おるな」
そう呟くと、そのまま歩き、矢場に俺たちを導く。
そこでは、片肌脱ぎで汗をにじませた若い武将が弓を引いていた。
一見、細身に見えるものの、案外筋骨はたくましい。
「沢彦師、今日はなに用か?」
弓を引き、その狙いを定め、視線を動かさぬまま甲高い声でいきなりの御下問である。
それで当たるのかと思いきや、弦を放たれた矢は、見事的の中心に吸い込まれていく。
「会わせたき者がおり、お連れ申しました」
「何者か?」
「おそらくは、軽く人払いされた方がよろしいかと存じ上げます」
「あと五本で日課が終わる。
それまで待て」
と話している間にも、次の矢が的に吸い込まれている。
「このように話していても、矢とは当たるものなのか?」
ひそひそと信春が呟く。
「当たり前じゃ。
将が黙って弓を引いていたら、軍は動かぬではないか」
信春の言を聞きとめたのであろう。沢彦師がそう話してくれた。
言われればあまりに当たり前のことで、二の句が継げぬ。
その間にも、三本目、四本目の矢が放たれ、的に吸い込まれていった。
「して、何者じゃ」
矢を放ち終え、着物に袖を通した後の御下問に、敷かれた毛氈の上で平伏し、俺は戦慄していた。
俺は、このようなお人に会うのは二回目だ。
細身、癇は強そうでも美男と言って良い。
だが、問題はその目だ。
その目は強く底光りしており、黒目が本当に黒なのか疑わしく見えるほどだ。
もしかしたら、暗闇の中ですら灯火のように輝くのではないかと疑わずにいられない。
そう、松永久秀殿と同じ目なのだ。
俺は内心、震え上がっていた。
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