第026話 ダークエルフとへび

 押入れ召喚の検証は午前中からやっていたのだが、ダクタがくれた剣に夢中になっていたら、あっという間に昼になってしまった。

 しょうがないよね。男の子はいつだって、武器が大好きなんだから。

 

 昼食はダクタの家で摂った。

 スノリエッダ産の野菜や木の実、それにダクタが釣ってきた魚などを食べた。

 美味しかった。が、それ以上にダクタの手料理が食べられて嬉しかった。

 

 昼からはまた押入れ召喚の検証作業を開始。

 3時間ほど経つと、また僕はけっこうな汗を掻いてきた。

 ダクタは『す、スライムの出番か!? 出番なんじゃな!?』と興奮していたが、僕は全力で断った。


 一旦家に戻ってシャワーでも浴びようかと思ったが、ダクタ曰く『近くの森に手頃な泉があるぞ』とのことなので、僕はそこへやって来た。

 部屋のシャワーの方が早いし確実だが、泉で水浴びというシチュエーションに惹かれてしまったのだ。

 

 泉は森に入ってすぐにあった。ややひらけた場所で、向こう岸までは20メートルくらい。奥には大きな岩があって、静かに水が流れ落ちている。

 

 僕は既にすっぽんぽんになっていて、近くの岩にタオルを置いた。

 学ランの上着とシャツ、ズボンはダクタがスライム洗浄してくれたので、それも畳んで岩の上に置いていく。


「……うっ、さすがに冷たいな」

 

 足から水に入る。裸足だと細かい石などで足裏を切りそうな気がしたので、前もって部屋からサンダルを持ってきて履いている。

 そこまで準備するなら、まじで部屋のシャワーで十分じゃない? と自分でもすごく思うのだが、思うだけにして見ないふりをした。

 

 ちなみにダクタは、美味い木の実を探すと言って森の奥へ入っていった。この森には危険な獣や魔物がいないらしく、僕をひとりにしても大丈夫という判断なんだろうか。


「……あ、気持ちいいな」

 

 両脚が泉に浸かる。これは検証で火照った身体にはよく効く。水温も入った直後は冷たく感じたが、今はむしろちょうどいくらいだ。それになんだか、疲れも取れてくるような気がする。

 

 ダクタは『微量じゃがあの泉には魔力があるからの、気持ちええぞ』と言っていたが、まさにそのとおりだった。

 

 僕は周りに誰もいないのをいいことに、わりと思いっきり泳いだりして遊んだ。

 水着すら着ていない全裸も全裸のナチュラル全裸だが、それが逆に清々しいまでの解放感を僕に与えた。


「…………」


 ぷかぷかと泉に浮きながら、僕は考えていた。

 ダクタからもらった剣――ではなく、ダクタがその剣を取り出した謎の空間についてだ。あの後ダクタに聞いたのだが、普通におったまげる魔法だった。


〝魔法の箱〟と言うらしいあの魔法は、魔力で作った別空間に道具などを収納できる魔法のようだ。僕の押入れと似たような感じだが、広さという点で圧倒的な差がある。


『広さ? いつもおるおぬしの部屋の、2000倍くらいかの』


 ダクタは言った。

 いつもの部屋――居室は6畳。それの2000倍……12000畳。

 だいたい2畳で1坪なので、つまりは6000坪だ。


 6000坪……。

 東京ドームのグラウンド部分が4000坪と聞いたことがある。

 あれのさらに1、5倍……。


 僕は押入れに収納可能と知って『まるでアイテムボックスだ』と喜んでいたが、なんともそれが虚しくなった。もっとも、ダクタの方は〝ボックス〟どころではない大きさなのだが。


「……ひとりで世界征服とかできるんじゃないか……」


 少なくとも、僕の世界なら可能な気がする。

 しかしダクタは例外的な天才だとは思うが、それでもそんな魔法使いが存在するこの世界は、よくここまで無事だったと思う。


 もちろん現状を見ると決して無事ではないのだが、世界自体は形を保っている。

 わりとそれって奇跡じゃね? って僕は思う。

 自暴自棄になったり、悪意を持って世界を壊そうとする魔法使いが、過去にいなかったんだろうか。


 もっとも、だからこそ、その手のことに対する防衛手段も発達していたのかもしれないが。結界の類いはたくさんあるようだし。


「……上がるか」


 ひとしきり泳いで汗を流した僕は出ることにした。

 バシャバシャと水を掻き分け、タオルと着替えを置いた小岩へ向かう。

 そしてタオルに手を伸ばした、その時だ、


「…………」


 僕はちらりと後ろを見た。別になにか音がしたわけでも、謎の気配を感じたわけでもない。言ってしまえば、なんとなく、だ。

 なんとなく後ろを見た僕の目に映ったのは、


「――ッ!?」


 水面を滑るように泳いでくる、1匹の蛇だった。大きさは50センチ程度だが、けっこうな速度でまっすぐ僕に向かってくる。


「うああああああああああああああっ!」


 情けない話だが、僕は叫んでしまった。


「なにがあった!? りゅうのすけ!!」


 叫び終わる前にダクタがすっ飛んで来た。衝撃波みたいなものが水面みなもを揺らし、草木をなびかせる。


「だ、ダクタ、へ、へ、へ……」


 僕は泉から上がり、声を震わせながら指差した。


「魔物か!? そんな反応はなかったが……!?」


 ダクタの視線が、僕の指差したものへ向かう。

 そこには小岩の上で、とぐろを巻く1匹の蛇が。舌をちろちろ出している。


「……へ?」


 ダクタの、なんとも間の抜けた声だった。

 その反応が僕を一気に現実に引き戻したというか、頭を冷やした。


「……蛇が、いたんだ」


 いや、蛇だ、蛇。たしかに自分でもビビりすぎだとは思ったが、蛇が自分に向かってきたら、少なくとも現代人なら驚くだろう。きっと驚く。間違いなく驚く。

 僕は自分に言い訳をする。


「りゅうのすけは、蛇が苦手なのか?」

「いや、まぁ……得意ではない、かな」


 飼育ケージ越しに見るなら大丈夫だが、直は少し怖い。よっぽどの爬虫類好きでもなければ、みんなそんなもんじゃないだろうか……。


「でも、ちょっとビビりすぎた……あはは」


 自嘲気味に笑った。ダクタに格好悪いところを見せてしまった。


「苦手なものはしょうがない。じゃがこいつは、毒もなければ気性も荒くないやつじゃ。きっと泉を渡る時に、たまたまおぬしがそこにおったんじゃろう」


 ダクタは蛇に近づく――のだが、ダクタが近づくと蛇はまるで一目散に逃げてしまった。しゅるしゅると森の中へ逃げ込み、もう姿は見えない。


「……うぅ」


 なぜか落ち込むダクタ。


「ダクタ、どうかした?」

「……余は動物たちには嫌われておるんじゃ」


 聞けばその原因はダクタの瞳にあるらしい。

 左右でそれぞれ〝聖〟と〝邪〟の力を持つが、それ故にある種、異様な波動のようなものが滲み出てしまっているらしい。

 聖の波動故に魔物や魔族からは嫌悪され、邪の波動故に野生の獣や清き存在から疎まられてしまう。


「もう慣れたけどの……」


 ダクタは力なく笑った。

 ただでさえ、ダークエルフというだけで多種族から疎外されてるのに、混血ということで同胞からも忌み嫌われる。そこへこの〝体質〟だ。

 それは、孤独という言葉だけでは到底片付けられない。


「……僕はダクタが大好きだよ」

「――へ? ……お、おぬし、いきなりなにを……!?」


 祖母を亡くしてから、ダクタの孤独はさらに強くなったのだろう。

 だけど、今は僕がいる。

 僕にはたいした力はない。魔法だってしょせんは貰い物だ。


 だけど、隣にいることはできる。

 僕がいる限り、『孤独には慣れた』なんて悲しいことは、もう二度と思わせない。

 それはおばあさんとの約束でもある。


「隣には、僕がいるから」

「りゅうのすけ……えへへ、ありがと」


 顔を赤らめ、俯くダクタ。


「……?」


 と、その時。ダクタの表情がわずかに変化した。紅潮させているのは変わらずなのだが、その質が変わったというか、別の羞恥の色が見えるというか……。

 そして僕のことをちらちらと見てくる。なにか言いたそうだ。


「ま、まぁでも……」


 ダクタは口を開くが、明らかに緊張している。

 どうしたのだろうと思っていると、


「へ、蛇は、まだ、もう1匹、お、おるんじゃがな……!」


 言った。躊躇しながらも、思い切ってという感じで言った。


 ……。

 …………ダクタ。

 ボケって言うのは、ボケる時は照れちゃあダメなんだ……。


 ボケる側が照れると、なんとも言えない空気になっちゃうんだ。

 そう、今みたいに。


「…………」

「…………」

「へ、蛇がもう1匹――」

「いや、もういいよ! わかったから!」


 なんだか無性に恥ずかしくなってきた。

 たしかに今の僕はサンダルこそ履いているが、全裸だ。見事なまでに、すっぽんぽんだった。なので当然、男の象徴も文字通り、白日のもとに晒されている。


「わはは! わ、はは……!」


 ダクタの乾いた笑い声。なんだろう、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 すると、ダクタが唐突にしゃがんだ。なぜ……?

 そして、


「……しかし蛇というよりは、ワームの幼体じゃなあ、これ・・


 感想を言い始めた。新手の拷問か?


いくさをするにも、身体の正面にこんなわかりやすい弱点があると、男は大変じゃのぉ……。二足歩行へ進化した弊害じゃな」


 考察しなくていいから! まじまじと見ないでいいから!


「うーむ。しかし不思議じゃ。余には〝これ〟、ないからのぉ……。こうなっておったんじゃなぁ……改めて見るとヘンテコじゃなぁ……」

 

 ……。

 …………。


「……かわいい」


 ……………うぅ。


「なぁ、りゅうのすけ、ちょっと触っ――あっ、おい!」


 ダクタが声を上げた。だが僕の耳には届かない。


「――くっ」 


 僕は走った。

 一心不乱に走った。

 後ろでダクタがなにか言っているが、構わず走った。

 あの場にいることが耐えきれなくなって、逃げるように走り去った。


 蒼天の彼方で燦々さんさんと輝く太陽に向かって、ふるちんで駆け抜けた。


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