第4話 夜明け前


「アレはお前の相手だ。まぁ、頑張れ」




  殺気立つ鬼を前に、東馬は平然と背を向けた。


 金棒を肩に担ぎ、鬼は東馬の脇を抜け龍厳目掛け、一歩、また一歩と歩を進める。




  これまでいくつもの修羅場をくぐり抜けて龍厳だが、さすがに鬼が相手、しかも、自分の顔をした鬼には動揺を隠せなかった。




「師匠!こいつは一体!?」


「見ての通りさ…」




  鬼は金棒をゆっくりと振りかぶる。


  龍厳は慌てて刀を抜くが、巨大な金棒を太刀で受けられるはずもなく…




  振りかぶる際の緩慢な動作とは裏腹に、空を裂く音と共に、凄まじい勢いで振り下ろされる金棒。


  まるで隕石が頭目掛けて落ちてくるような感覚さえ覚える。




「グッ!」




  かろうじて横に飛び難を逃れるが、いつものように踏ん張りが効かず、そのまま倒れこんでしまう。


  そこに鬼の金棒が、先端を地に着けたまま横凪ぎに襲い掛かった。




「ゴホッ!」




  倒れながらも、咄嗟にわずかばかり後方に自ら飛び、重い一撃を刀で受け衝撃を緩和するが、刀は真っ二つに、また肋骨も数本折れた。


  吹き飛ばされた勢いのままゴロゴロ転がり、一旦鬼との距離をとりつつ、かろうじて立ち上がるが、腹がひどく痛む。


  チラリと東馬の方を窺うが、東馬は道端の木にもたれ掛かって、ただその様子を見ているだけだった。


  だが、その表情はいつもの余裕に満ちた顔ではなく、真剣そのもの。本気で手を貸すつもりは無いようだ。




  腹の激痛と東馬の普段見せぬ真剣な眼差しに、逆に冷静さを取り戻した龍厳は、大きく息を吐くと折れた刀を脇に構えた。




「「アアアアアアアアアアアアアア!!」」




  鬼と龍厳、双方が雄叫びを上げる。


  空気を激しく振動させる雄叫びを上げるその顔は、最早どちらが人としての龍厳か分からぬ程だった。


  が、その鬼の形相の反面、頭は冷静に働いていた。




『速い。が、師匠には遠く及ばん。相手の動きをよく見ればかわせる。姿形に惑わされるな!』




  鬼が突進してくる。


  巨体に大きな金棒を持っているとは到底思えないような速さで距離を詰めるその様は、まるで山のようにも見える程の威圧感だったが、龍厳もまた鬼に向かい大きく踏みこんだ。




  「ガァァァァ!」




  鬼は叫びながら金棒を逆袈裟に振り上げる。


  龍厳は踏み込んだ脚を思い切り踏ん張りつつ上体を剃らせ、紙一重で金棒の先端をかわす。




『いける!』




  勢い余って体勢を崩した鬼の腹目掛けて、折れた刀を力一杯横凪ぎにした。が、鬼は体勢を崩しつつ後方へ飛び刀をかわすと、直後大上段から龍厳の脳天目掛けて勢いよく振り下ろした。


  しかし、龍厳はそれも読んでいた。先程からの金棒の扱い方をみるに、ただ単に力任せに振り回していないのは明白だったからだ。


  相手の動きの先を読むのは当然として、更には自分自身の動きの先を読む。双方の動きの中で最適解を導き出し、鋭く、重く一撃を加える。


  無論、簡単な理屈ではあるが、通常の人間がそうそう会得できるものではない。が、元々才能があり、努力家でもあり、何より常人離れした師によって何年も鍛え上げられた感覚は鬼をも凌駕するものだった。




  鬼が金棒を力一杯振り下ろすため前屈みになるのを、龍厳は見逃さなかった。


  横凪ぎに払った刀をかわされた直後すぐに次がくると予測し、あえて刀で捌いたのである。


  折れた刀で重い一撃を受け流し、そして隙をついて鬼の喉をかき斬ろうとしたのだが、思いの外衝撃は大きく、それは折れた肋骨の痛みとなり龍厳の反撃の手元を狂わせた。




「ガァァァァ!!」




  左の眼球を斬られた鬼はその場でうずくまった。


  斬った龍厳も、骨折の痛みに息が詰まり次の手を出しそびれてしまった。


  すると数秒後、鬼の身体から湯気のようなものが沸きだし、みるみる身体が縮んで、龍厳と変わらぬ大きさまでになった。


  そして顔を上げた鬼の顔は、先程までより若い頃の龍厳の顔に変わっていた。


  その顔は怒り、哀しみ、怨み、それらが混在した顔をしていた。




「これは、いったい?」


「…」




  東馬は相変わらず木にもたれ掛かったまま、何も言わなかった。


  しかし、その表情は憐れみをあらわしているように見えた。




『憐憫?鬼にか?』


「ウァァァァァァ!」




  先程よりも若い声の雄叫びを上げ、鬼がにじり寄ってきた。


  遅かった。あまりに遅い突進だった。


  未だ常人よりは大きいとはいえ、人間が持つにはおよそ相応しくない、巨大な金棒を引きずりながらの遅い突進。


  龍厳は痛みに耐えつつ、鬼の左腕に斬りつけた。


 


「ガアアアアアアア!!」




  あっさりと切り落とされる左腕。続けざまに首を落とそうとしたが、流石にこれはかわされた。




  膝立ちで天を仰ぐ若い鬼。その目には涙すら浮かんでいる。


  すると、またしても湯気が立ち上ぼり、みるみる身体が縮んでいった。




  子供の顔だった。


  苦悶に歪んだ、今にも声を張り上げて泣き出しそうな、そんな悲しい、そして怒りの籠った顔。


  悔しさで一杯。そんな顔。そんな顔をしながら、隻腕隻眼の少年はそれでもなお、金棒を離そうともせず、必死に前に進もうとしていた。


  最早10歳前後の子供サイズとなった鬼に、金棒はピクリともしなかったのだが…




「……」


「気付いてるだろ?それはお前自身だよ」




  涙を浮かべながらも、歯を食い縛り、龍厳を睨み付け、金棒から決して手を放さない少年の"鬼"。


  それを苦悶の表情で見つめる大男。その表情の原因は骨折の痛みよりも、心の内側に、ここ数年しまわれていたものを無理矢理見せつけられた、その疎ましさからであった。




「"鬼"なのですか?」


「あぁ、人間がそう呼ぶ"モノ"だよ」


「何故、今、俺を?」


「空腹だったからだろう」


「空腹?」


「そう、空腹だ。コレはコレで、何かしら食って生きている。コイツの場合は、お前の感情といったところだろう。」




  親を殺され、恩人を殺され、故郷を追われてから先、心にあるのは常に"怒り"のみだった。一度たりとも仇を忘れた事など無かったし、いずれは必ずや仇討ちを為すと心に誓っていた。その"自分自身"が、なぜ自分に怒りを向けるのか?




  考えるまでもなかった。


  端から怒りは自分に向いていたのだ。


  父の切り落とされた首を見た時に。


  母が悲しい笑顔で別れを告げた時に。


  物陰で息を潜め、村人の断末魔を聞いている時に。


  怒りは全て、小さく弱い自分に向いていたのだ。


  それでも、仇に向いていると思わずにはいられなかった。そうでなくば気が狂ってしまいそうだったから。助けられた命を捨ててしまいそうだったから。泣いてしまいそうだったから。


  終わらない。終わらせられない。終わらせるわけにはいかない。己の弱さ故の多くの犠牲に報いなければならない。


  その結末が仇討ちの成就であり、その過程が誰にも負けない、何者にも屈しない"力"の会得のはずだった。


  それは揺るぎようのない、己の全てだった。


 


  あの男に出会うまでは。




  圧倒的な"力"を持っているが、それをほとんど行使することもなく、何者にも束縛されない自由を謳歌している。


 田畑を手伝い野菜を食い、人足仕事に汗を流し仲間同士酒を飲み、魚を釣って昼寝して、玩具を作って子供と遊び…


  時折盗賊退治などもしていたが、いつしか自分は東馬の"力"よりも、人間らしさに惹かれていた。




  鬼が空腹だった理由。それは長年餌にしていた"怒り"の不足によるものか。


  餌の供給が不足しがちなのに腹を立て、俺自身に成り代わろうとしたか。もしくは、自らの姿を曝し、かつての怒りを呼び覚まそうとしたのか?


  そして、あの巨大な金棒への執着は、俺の力への執着か…




「この"鬼"、更に斬ればどうなるので?」


「さてね。ずっと一つの感情ばかり食ってきたから、それのみが餌だとでも思っていたのだろう。また一からやり直して色んなモノ食わせとけば害はなかろう。むしろ役に立つことだってあるかも知れんしな。その時にならねば誰にもわからんさ」




  未だ敵意を向ける"少年"に向かい、龍厳は言った。




「すまんな。お前を忘れた訳ではないし、決して忘れはせん。」




  時折吹く弱い風に乗って、少年の唸り声が聞こえる。


  それは唸り声なのか、嗚咽を堪える声なのか、はたまた、その両方か。






  長い沈黙の後、龍厳は少年から金棒を取り上げた。


  最初は抵抗してみせた少年も、金棒から手を離された途端、諦めたのか大人しくなった。




  まるで全てを失ったかのように。


  まるで全てが終わったかのように。




「重いな。…本当に、重いな」




  大きく振りかぶり、そして下ろした。








  遠くの空が明るくなり初めていた。


  少年は消え、金棒だけが残った。


  金棒は細く短くなっていた。


 


「あぁ、俺が使うにはコレくらいが丁度良い」




「夜が明けますね」


「あぁ、そうだね」




 雲一つ無い、空だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る