序
第1話 東の国にて
初春の午前のこと、ぼろぼろの着物に身を包んだ無精髭の大男が、人もまばらな町から少し離れた街道を歩いていた。
みすぼらしい出で立ちとはうってかわり、その面構えはまるで獲物を前にした狼のように荒々しく、そして殺意に満ちた鋭い眼光を目の前を歩く一人の男の背中へと向けていた。
左手は腰に帯びた刀に添えられ、今にも斬りかかりそうな雰囲気を隠そうともしない。
すれ違う人々は露骨に避けつつ足早に通りすぎ、同じ方向に歩く者は、ゆっくりと進む危険そうな大男を抜き去ることもできず、ただただ距離をあけるばかりだった。
大男の前を歩く若い男、こちらも武士なのだろう。
刀を帯びてはいたが、背後の猛獣とはまるで正反対の雰囲気を醸し出していた。
着物こそ上等な物ではないが、きっちりと着こなし、破れ、ほつれもない。
整った品の良い面立ちで、口元には人の良さそうな笑みさえ浮かべ、景色を眺めながらのんびりと歩いていた。
見知らぬ土地の景観を楽しみながら旅をする武家の次男坊。それを拐かそうとする野盗。
周りからはそんな風に見えた。
わずか1.5メートル程度の間隔。
前の若者は後ろを見ない。
後ろの大男は鞘に手をかけている。
そんな状態が3キロメートル程続いた。
隣町に近づいたからだろう、10人前後の客で賑わう茶屋が現れた。
若者は立ち止まり、少し考えこんだ後、空いていた長椅子の端に腰かける。
そのもう一方の端に大男が腰をおろすと、賑やかに談笑していた常連とおぼしき客たちは一斉に黙りこんだ。
「い、いらっしゃいませ…」
「茶と、そうだな団子を一つずつ。そちらの御仁にも」
「!?」
意表をつかれたのは大男だった。
「勘定はそちらの大男がもつよ」
「!?なぜ某が!?」
「貴殿がやたら殺気だってるもんだから、さっきから変な目で見られまくってんだ。迷惑料としては安いものだろう?」
「‥あいにく持ち合わせがない」
「‥‥お嬢さん、こちらには団子二つ。勘定は私で良い。」
店の奥から一呼吸おいて返事がかえってきた。
「なんのつもりだ?」
「少し前に臨時収入があったもんでね。それと、それはこちらの台詞だ」
「腕がたつとみた。一手お相手願いたい」
「それだけ?」
「?‥それだけだ」
「それだけの為にずっと後を?」
「おかしいか?」
「‥‥‥では団子の後で」
「持ち合わせが…」
「気にするな」
「‥‥」
「お待たせいたしました」
団子が来た。
二人は黙って食った。
「すまん。馳走になった」
「気にするな。しょせん降って沸いた泡銭だ。‥ここで構わんか?」
頷く大男。
軽くどよめく茶屋の客達。
正直迷惑そうな茶屋の女中。
「真剣しかないが?」
「私もだよ」
「恩を仇で返すようで申し訳ないが、手加減はせぬぞ」
「気にするな。問題ない」
相変わらず仏頂面の大男に対し、若者は笑顔で返した。
「‥いざ」
大男が刀を抜く。
持ち主の大きさに霞む事のない刀の長さが目を引く。
若干の打ち合い傷があり、陽の光りを綺麗に反射させる刀身。
使いこまれてはいるが、よく手入れされているのが容易に推測できた。
長い刀を正眼に構え、まるで置物であるかのようにピクリとも動かない大男。
「今夜は野宿のつもりでね。日暮れ前には良い場所を探して川魚を2,3匹採っておきたい。」
若者は微笑みながら左手で鯉口を切る。
「悪いが急がせてもらうぞ」
目を細め笑みが消え‥
‥そして勝負は決していた。
大男が瞬きした直後、目の前には若者の姿。首にはその刀の切っ先が当てられていた。
寸止めなどではない。
しっかりと皮膚に食い込んでいる。
それでいて切れていない。
が、僅かでも押すか引くかしようものなら、間違いなく頸動脈が切れてしまうことだろう。
それは自分が焦って下手に動いてしまっても同じ事。
完全に動きを止められ、なおかつ、こちらの力量を計られた。
一瞬の間をあけて噴き出す汗。
『ただ者ではないとは思ったが、まさかこれ程とは‥』
「恐れ入った。弟子にしていただきたい」
刀が首を離れるやいなや、大男は言った。
「いきなりだね。弟子をとるつもりはないよ。気楽な一人旅が好きでね」
「ならば勝手についていく」
「それでは一人旅にならんだろう?」
「あぁ、ならば今後は二人旅だな」
「本気か?私の意思は無視か?」
「すまん。雑用は某がするゆえ、諦めてくれ。師よ」
「いや、師よって‥私のは我流だから教えようも‥」
「勝手に教わるからお気に召さるな。時折相手をしていただければそれで良い」
「‥‥‥‥」
「では参りましょうか。日暮れ前に川魚の5,6匹は採っておきたい」
「‥あ~、えっと‥」
「魚を捕るのも火起こしも某がやる。夜盗の相手もな」
いきなりの押しの強い弟子入りに、呆気にとられて刀を抜き身のまま仁王立ちしていた若者は、ここで刀を納めた。
「だいぶ斬ったのだろう?」
若者の飄々とした立ち居振舞いの中に、底知れぬ恐ろしさを大男は感じていた。
だから着いてきた。
最初から、街道で一目見た時から、飾りではない刀を、獣でもなければ気付かぬような血なまぐささを、若者が隠し持った何かを、この大男は恐怖と共に感じていたのだ。
それは、抜き身の刀を見て確信した。
かなり斬っている。
刃こぼれは見られない。敵よりも格段に腕がたつ証拠だろう。
刀身に歪みがあれば、目にも止まらぬ抜刀などできうるはずもない。
痩せた刀身も切れ味を維持する必要があった為か?
だとすれば、実戦慣れしているといえる。
速さ、正確さ、使いこまれた刀、そしてこの余裕。
最早間違いようもない。
「なぜ私なんだ?」
「強いからだ。恐ろしく強い。あっさり敗れたこの俺が言っても説得力にかけるが、己はこれでもそこそこの実力と自負している。敗北したのはガキの頃以来だ」
「断固拒否したら?」
「貴方ほどの実力者が、ただの一人旅を楽しんでいるとは思ってはいない。何かしら理由がおありなのだろう。いずれその時が来たならば、必ずや役にたつ。邪魔と思えば切り捨ててもらって構わん。だが俺は必ずや強くなり、貴方の右腕となってみせる」
「なぜそこまで執着する?会ったばかりだろう?」
「弱さを捨てる為。誰よりも強くあらんが為に己を鍛え続けた。よもやこれ程の化け物と出くわすとは思わなんだが、貴方ならば間違いなく俺は強くなる。そう確信したがゆえ」
その瞳は真っ直ぐだった。
先程までの殺意ともとれる強い眼光は、若者よりもむしろ、大男自身に向けていたのだと若者は知った。
それが今や、自分という救世主にすがりつくような、崇拝するような瞳だった。
若者もまた、先程の手合わせで大男の実力を感じていた。
確かに自分よりも格段に弱い。
だが、この大男は端からこちらの力量を窺うのを目的としていた節がある。
実際、たった一刀で色々と覚られたようだ。
野蛮そうな見た目の癖に、なかなかに目敏い。
切っ先を首に押し当てられてもなお、眉一つ動かさない剛胆さもある。
負け知らずとは言っているが、きっと驕りもないに違いない。
体格にも恵まれている。
努力もしているようだ。
‥これは強くなる。
「わかった。まぁ、たまには道連れがいるのも悪くないだろう。堅苦しいのは嫌いだ。気楽に行こう」
負けたよ、と言わんばかりの調子で若者は苦笑した。
「それならば問題ない。俺は武家の出ではあるが、ガキの頃に家は廃れた。ゆえに礼儀作法など知らん」
「まぁ、本人目の前にして化け物呼ばわりするくらいだしな」
大男は初めて顔を綻ばせた。
そしてすぐにまた仏頂面にもどり、続けた。
「今更ながら名乗らせていただこう。某、二階堂龍厳と申す。以後、龍厳とお呼びください。我が師よ」
「神代東馬。東馬で良い」
東馬は微笑みかけ、龍厳は軽く頭を垂れた。
「さあ行くか」
「目的地がおありで?」
「あぁ。魚がいる川だ」
「‥‥」
茶屋の人々は、ただただ去り行く二人を見守るばかりだった。
この出会いはただの偶然だったのか、はたまた仕組まれたものだったのか。
少なくとも、良い出会いだったのは確かだった。
今後、東馬が長い付き合いとなる二階堂一族との最初の出会いだった。
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