第八章「呪い」

2015年3月。

小説を書けなくなって2ヶ月が経った。

書かない日々が当たり前になると、寧ろ毎日のように小説のことを考えていた日々がおかしく感じられる。


モラトリアムの期限に追い立てられ、“小説家になる”という先の見えないゴールから目を背けた僕は、只管虚無の時間を過ごしていた。


朝起きて、大学に行って、講義を受けて、アニメを観て、ゲームをして、本を読んで、友達と遊んで……。

春休みに入ってからは益々ただ遊んでいるだけの日々になった。


傍から見れば、僕はなんとも充実した、普通の日々を過ごしてるように思えただろう。

実際、創作に頭を悩ませない日々というのは楽だった。

睡眠時間を削って執筆することもなくなり、多少人間らしい生活が出来るようになった。講義にもまともに出るようになって、留年も回避出来そうだ。


これを不幸だと言ってしまえば、多くの人間に怒られそうだ。

だが同時に、只管に無聊であることは確かだった。


ふと思い出すのは、処女作を完成させた時のこと。

第三章では2,3ヶ月かけて、なんて記したが、実際は途中まで書いてたのを全ボツにしたので、新人賞に応募した原稿は一週間程で出来上がったものだった。


さっきまで書いてたのがゴミに思えるくらい良いアイディアが浮かんだと思った。

一秒でも早く小説を完成させたくて、自身の内から文章が溢れ出てきて、連日2,3時間睡眠で小説を書いた。徹夜を挟む時もあって、体中ボロボロ。飯食うのもシャワー浴びるのも忘れて、瞼が老廃物で腫れて片目が見えなくなって、急に鼻血出てきたりして、そんな状態でもPCの前にしがみついて小説を書いていた。


病的な熱に浮かされていた。この熱量を表出しなければいけないと、使命感のようなものがあった。


小説を書き上げてから暫くの間、外に出れば目に映る景色が自然と文章に変換されて、空間に文字が浮かんで見えるようになっていた。


特異な能力なんて言うつもりはない。ちょっとした精神異常だ。

精神がおかしくなるくらいには、創作に真剣だった。


しかし、今の僕は小説を書いていない。

小説を書いていなくても普通に生きている。


人は小説を書かなくても、創作活動をしなくても生きていける。

それは当然のことだ。世の中の殆どの人間は創作活動をしないし、身に余る夢よりも現実を見る。


ならばこのまま普通の人間として生きて、普通の人間らしい幸せを掴み取れればよかったのかもしれない。


でも僕は、そうは出来なかった。夢に向き合う覚悟も才能もなく。されど普通の幸せにも満足出来ない。


一度“夢”という呪いにかかった人間は、夢を叶えるまで呪いを解くことが出来ない。


巷でありふれたフレーズだ。

だが同時に事実でもある。

僕に残された選択肢は、呪われたまま残りの人生を生きるか、叶うあてのない夢に人生を賭けるかの二択だった。

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