第12話【大西教授のリケジョへの献身・1】

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12・【大西教授のリケジョへの献身・1】   




 大西教授は今年定年退官である。


 助手時代から営々三十四年間、幕下大学の生物学研究室で地味に勤め上げた学究の人である。

 目立った失敗も、目だった成果もあげることなく、この春に定年退官することになっている。


 ここで言う失敗と成果は、学問的なことだけではなく、世俗な意味でのそれをも含む。


 教授の二年後輩で学部長を務めるA教授は、同窓会誌の取材に以下のように応えている。


「真面目に研究されてますよ、いい線までは行くんですけどね、もう一歩で、すごい成果が出せそうなところでお止めになることが多いです。同じような研究をしている人がいたら、いつの間にか止めちゃって『あ、ボンヤリしてたら、あの人の方が先いっちゃった(^_^;)』って、頭掻いておしまいみたいなところがあります」


 心ある人は分かっている。教授は、めっぽう人間関係がヘタクソで、かつ謙譲の精神の体現者……と言えば聞こえはいいが、研究成果を人にパクられても文句一つ言わない。また、人が実験に困っていたりすると、まるで我がことのように熱心に協力。時に教授の力により研究成果が上がっても、人はめったに大西教授に感謝せず、また教授も、それでいいと思っていた。


「これで幕下大学が世に認められ、生物学や医療科学が進歩するのなら、それでいい」


 そう言って、ちょっと恥ずかしそうに頭を掻いてお仕舞にしている。



 そんな人のいい教授は家庭的にも恵まれることがなかった。



 大西教授は晩婚であった。



 四十を超えた準教授のとき、当時、まだ健在であった母親が心配して、何度かお見合いパーティーに連れていったことがある。


 当時は明石家さんまやビートたけしが全盛の時代で、トレンドは、面白い男だった。芸人さんたちがとんでもない美人や才女を射止めて、真面目だけで風采の上がらない男は見向きもされない。


 口下手な大西準教授は、一人会場の片隅でウーロン茶を飲んでいるしかなかった。母親と世話をしてくれた母の知人のメンツを立てれば十分と思い、今回の見合いで、母が諦めてくれればと願っていた。


 大丈夫、運動音痴で非力な僕だけど、大した病気もしなかった。死ぬまで母さんの面倒はみられるから。


 そう思うことで、穏やかに充足する准教授であった。また、バブルの時代でもあったので、幕下大学程度の大学の准教授など、どのお見合いパーティーでも掃いて捨てるほど参加していた。



 そんな大西準教授に目を付けたのが、今のカミサンである。



 カミサンは、そのお見合いパーティーでは一番華のある美人で、大西準教授よりも一回りも年下であった。


 カミサンは、準教授という肩書きに目を付けた。そして、なにをされても人を恨むことが無い、人の好い性格がうってつけだと思った。


 男関係が派手だったカミサンは当時妊娠していたが、父親が誰か分からなかった。可能性のある男五人に「あんたの子よ」と迫ったが、偶然五人とも同じ血液型で、当時の技術では、誰が子どもの父親であるか絞り込めなかった。


 で、カミサンは、高学歴でハイソな男しか集まらない、このお見合いパーティーに参加したのだ。


 しかし、情報が流れてしまっていた。


 五人の男のだれか、ひょっとして何人かがリークしていた。で、主だった男性参加者は、その事実を知っており、最初から彼女を敬遠していた。


 チ、バレてんのかあ?


 化粧室で盛大に舌打ちした彼女は、真っ直ぐに壁際の准教授に的を絞った。


 そして、大西準教授は、カミサンと結婚することになってしまった。


 知り合って、半月で肉体関係……下戸の大西準教授は、目が覚めた時の状況で、そう思いこまされていた。


 そして、お腹が目立たないうちにということで、一カ月で挙式。七カ月後には、早産にしては大きな女の子が生まれた。人のいい大西準教授は、すっかり自分の娘だと信じて可愛がった。



 娘とは、小学校の高学年までは、うまくいっていた。



 父子ともに実の親子だと、思いこんでいたからだ。


 ところが、娘が六年生の時に交通事故に遭い、詳しい精密な血液型が調べられた。


 え、そんな……


 大西準教授は、初めてハメられていたことに気が付いた。


 愕然とした大西準教授は一瞬人間不信に落ち込んだが、十二年間娘に注いだ愛情は不信を凌駕した。


 そうだ、娘に罪は無い。


 そしてカミサンにものっぴきならない事情だったんだろう……そう理解し、何事もないように家族三人の生活を続けた。



 これで万事うまくいくはずであった。



 ところが、カミサンは、あろうことか、そんな亭主に苛立ってきた。


 元来は良心の呵責であるべきだったが、いら立ちに転訛させてしまったのだ。


 大西準教授は、この性格が災いして五十を超えても教授になれていなかった。カミサンは、それを亭主の不甲斐無さのせいだと思い、事あるごとに当たり散らし、ある日、酒の勢いで娘に真実を言ってしまった。


「あんたねえ、お父さんの子じゃないのよ」


「え……マジ?」


「マジ」


「…………」


 娘は、それから絵に描いたような不良になってしまい、大西準教授は、所轄の警察と仲良くなるほどの不幸に見舞われた。


 大西準教授は、仕事に没頭することで気を紛らわせた。そして、彼によって業績をあげられた後輩たちが大学に働きかけ、やっと一昨年教授になれた。


 カミサンと娘は、退官されて収入が減ることを恐れ、特認教授として大学に残ることを勧めた。


 まあ、研究さえ続けられれば……それもありか。



 そんなとき、研究室の若きリケジョである物部瑠璃が、スタッフ細胞の開発に成功した……。




 つづく

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