第5話『令和蜘蛛の糸』


5『令和蜘蛛の糸』    



 ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでごしごし掃除なさっていました。

 

 二年に渡る疫病調伏滅もままならず、景気も停滞気味の昨今、極楽も、経費節減のため、人件費を削らざるをえなくなりました。


 お釈迦様は率先垂範(そっせんすいはん)のため、ご自分の散歩道は、ご自分で掃除されることになったのでございます。

 昨日は、沙羅双樹(さらそうじゅ)の林の落ち葉を掃き集め須弥山(しゅみせん)のふもとでお焼きになられました。そのとき、須弥山の荒れようも気になられたのですが、須弥山はとてつもなく大きな山だったので、こう呟かれました。


「まあ、あれは趣味の問題だから、後回しにしよう……ちと、おやじギャグであったか……」


 ヘップチ!


 お寒いギャグに、お仕えの天人がクシャミをしてしまいました。


 そこで、今日は、おやじギャグをとばしても、誰の迷惑にもならぬように、独り極楽の蓮池のふちを掃除なさっていたのです。

 池のふちを掃除し終えると、ワッサカと茂りすぎた蓮を間引きにかかられました。


「うんしょ……!」


 一抱えの蓮の葉の固まりを取り除くと、そこに開いた水面から地獄の様子が見えます。


「そうだ、この池は、地獄に通じていたんだった……」

 お釈迦様は、百年ほど前にカンダタという男を蜘蛛の糸で救おうとしたことを思い出されました。

「あの時は、意地悪をして、助けてやらなかったなあ……」

 そうお思いになって、百年ぶりに池の底を覗いてごらんになられました。


 極楽の池は、今では教員地獄というところに繋がっておりました。


 教員地獄には、現役の教師であったころ、ろくな事をしなかった者達が、地獄の年季が明けるまで出ることができない学校地獄に閉じこめられています。

 地獄そのものも、廃校になった学校が使われています。その地獄の学校は、夜になることも、昼になることもなく、永遠のたそがれ時でした。


 チャラ~ンポラ~ン、チャランポラ~ン……と、チャイムが鳴るたびに、教師の亡者たちは、教室に行っては授業をします。


 教室は様々ですが、鬼の子達が生徒に化けて授業を受けています。その教室の様子は筆舌に尽くせません。お読みになっている貴方が、ご自身の学校を思い出して想像してみてください。


 授業が終わると、教師の亡者たちは職員室にもどり、噴き出した汗のような血や、血のような涙で、えんま帳の整理をやります。席に戻れば、パソコンに終わりのない書類の打ち込みをやりながら、聞き取れないような声で、だれに言うでもない不満を呟き、他の亡者たちは、みんな自分の悪口を言われているのではないかと思い、疑心暗鬼地獄になります。


 少し離れた会議室では、職員会議地獄があります。そこは、主に管理職だった亡者が、永遠に終わらない職員会議に出ています。平の亡者たちが、ときどき、ここに来ては、喧噪の中、しかめっ面をして息を抜いています。

 でも、本当に息を抜くと、議長に指名され、発言を求められ、質問地獄になります。

 そして、チャランポラ~ン……と、チャイムが鳴ると、授業地獄に行かなければなりません。

 そして、管理職だった亡者は、永遠に職員会議地獄からは抜けられません。


 神田という亡者が、職員会議を終えて、授業地獄にいくところが、お釈迦様の目に留まりました。


「ああ、これも何かの縁だろう……」


 お釈迦様は、思い出されました。


 この神田という亡者は、現職のころ「蜘蛛の糸」と呼ばれていました。神田は困難校ばかり渡り歩いてきた教師で、退学の名人でした。担任になると、めぼしい生徒に目を付けます。

 めぼしいとは、成績や出席状況から進級、卒業ができそうにないもの。問題行動が多く、懲戒を繰り返し、いずれは辞めさせなければならない者。

 そういう生徒には、四月から家庭訪問や面談をくりかえし、生徒や保護者と人間関係を作り、その「信頼関係」を作った上で、学年途中や、学年末に自主退学させていました。

 学校では、この退学のことを「進路変更」という言葉で呼んでいました。なんとなく美しい響きでしたが、要は首切りで、たいがいの教師は退学届をもらえば、それでしまいでした。

 神田は、本当に変更先の学校や、職場、ハローワークまで付いていってやりました。だから、大方の退学生は「ありがとうございました」と言って去っていきました。


 でも、神田は思っていました。これは学校のため……自分のためであることを。


 退学は、いざ、その場になればもめることが多くありました。こじれたときは弁護士が来ることも、裁判になったことさえありました。神田は、それが嫌だったのです。ただでも忙しい学年末に、そんなことに時間を取られることも、神経がささくれ立つのもごめんでした。


 でも、神田の蜘蛛の糸ぶりは徹底していました。


 保護者が来校したときは、玄関まで迎えに出てスリッパを揃えました。退学が決まって、親子が学校を去るときは、玄関に立ち、親子が校門を出て、姿が見えなくなるまで見送りました。二分の一の確率で、校門を出るときに、親子は学校を振り返ります。その時には、深々と頭を下げてやります。そうすれば、親子が地元に戻ったとき、学校や担任の悪口を言いません。

 

 これは偽善です。だから神田は地獄に墜ちたのです。


「神田の心には、僅かだが、善意があった……」


 神田自身、高校生のとき、不登校になったり落第した経験があります。そして、何度か退学を勧められたことがありました。


「その時の孤独さは、分かっていたんだね……」


 そう呟くと、お釈迦様は、百年前と同じように蜘蛛の糸を一本垂らしてやりました。


「今度は、意地悪しないからね……」

「あ……これは?」


 神田は、一本の糸に気づきました。

 雲の先は、永遠のタソガレの空に、一点だけ青空になっていました。


「これは……蜘蛛の糸だ!」


 神田は、えんま帳も教材もみんな放り出して、蜘蛛の糸を昇り始めました。


「あの時といっしょだな……」

 

 お釈迦様は、呟きは続きました。


「わたしの悲願は……衆生済度(わけ隔てなくみんなたすける)なんだからね……」


 神田は、自分のあとから沢山の亡者たちが続いて糸をよじ登ってくるのが見えて戦慄しました。


――来るな! これは、オレの糸だ! オレが救われるための糸だ!――


 そう、思いましたが、国語の教師であった神田は思い直しました。


――カンダタはこれで失敗したんだった……みんな登ってくればいい。みんなで極楽に行こう……そうだ、おれんちは浄土真宗だ「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をおいてをや」だ……でも、組合の奴らが真っ先てのはムカツクなあ……まあ、いいか。


 神田が、目をこらして下の方を見ると、糸を登らずに、ぼんやり見上げている一群がいました。


「おーい、お前らも来いよ!……え、意味わかんねえだと……そうか、あんたら再任用で、定年超えてもやってたんだ……そこが地獄だってことも分からないか……いいようにしな……」


 そう言って、手を伸ばした先に糸がありません。


「え……うそだろ!?」


 極楽の池の水面は、もう、そこまで見えていました。あと五寸というところで、蜘蛛の糸は切れています。それでも、お釈迦様の悲願なのでしょう、糸は直立しています。


「なんで、五寸なんだ……そうか、オレって演劇部の顧問だったから尺貫法なんだ!」


 妙なところで納得しかけた神田でした。


「でも、なんで、あと五寸……!」


 神田の手は、虚しく空を掴むばかりでした。

 やがて、亡者たちは力尽き、ハラハラと学校地獄に墜ちていきます。

 神田は、最後までがんばりました。もう慈悲深いお釈迦様のお顔さえ見えます。


「残念だ……神田。お前は五年早く早期退職した。その分、糸の長さが足りないんだよ」

 

 お釈迦様は、涙を浮かべて、そうおっしゃいました。


「そうか……おれって、堪え性がないもんで……」


 神田は、悲しそうに……でも、納得して墜ちていきました。


「南無阿弥陀仏……」


 最後の、神田の一言が、お釈迦様の耳に残りました。


「そうか、これは、阿弥陀さんの仕事……だっかたな」


 そう呟くと、お釈迦様は、たすきを外して、歩いていかれました。


 極楽には、何事もなかったように、かぐわしい風が吹き渡っていきました……。

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