3.

 知らない人に後をつけられているみたいで不安だったけど、しばらくの間、桜文兄さんが一緒に帰ってくれることになって。だから大丈夫だよね、と一日経って目覚めたばかりの私は写真の中のお母さんに話しかける。


 制服に着替えて、顔を洗って髪を梳かして。朝ご飯もしっかり食べて、準備万端。


 家を出ようとした私に、桜文兄さんが、

「牡丹ちゃんも一緒に行こうよ」

 そう言ってくれたけど……。私とは反対側の兄さんの隣を歩いている菊は瞳を鋭かせて、私のことを睨んでくる。


 なによ、文句があるなら私のことを誘った、桜文兄さんに言えば良いじゃない。だけど菊はつんと口先をとがらせるばかりで。肝心の桜文兄さんは菊の態度に気付いてないのか、気にしてないみたい。


 それにしても。桜文兄さん、本当に背が高いな。隣に並ぶとよく分かる。


 ちらりと桜文兄さんのことを見上げると、にこにこと朗らかな表情をした兄さんが、

「今日の夕飯は何かなー」

とまだ今日も始まったばかりなのに、もう夕飯のことを考えていた。


 そんな兄さんに、私は一つ小さな息を吐き出した。


「桜文兄さん、夕飯って気が早いですよ。まだお昼にもなってないのに」


「んー? そうかなあ」


「そうですよ……って、なんだろう? あの人だかりは」


 学校に着き校門を潜り抜けるとガラの悪そうな、怖い顔をした男子生徒の集団がずらりと左右に分かれて並んでいた。


 彼等は私達の姿が目に入ると、ぴしりと一斉に頭を下げた。


「桜文の兄貴、おはようございます!」


「ああ、おはよう」


「兄貴、鞄をお持ちします」


「いや。これくらい、自分で持つって」


「そんな。鞄持ちくらい俺達に任せてくださいよ。ん……? なんだ、このガキ」


 ぺこぺこと頭を下げていた男子生徒だったけど、私に目がいくと突然態度を一変させた。鼻先でやくざ並みの睨みを効かされた私の喉奥から、思わず「ひいっ!?」と短い悲鳴が上がった。


 だけど。


「おい、お前。何をしてるんだ! このお方は、兄貴の妹君になられた牡丹嬢だぞ」


「なっ、なんと!? 兄貴の妹君であられましたか! これは大変失礼しました!」


「いえ、あの。そんな気にしてないので……」


 未だにぺこぺこと頭を下げ続けている男子生徒達を余所に、私はそそくさとその場から離れた。


 桜文兄さんの隣に並んで、

「びっくりした……。朝からすごい出迎えですね」


「恥ずかしいから止めてくれといつも言ってるんだけど、アイツ等、全然聞いてくれなくて。困ったやつ等だよ」


「今日もお勤め、行ってらっしゃいませ!」と背中越しに声援を浴びながら、桜文兄さんは、へらりと太い眉を下げる。


 昇降口に着くと桜文兄さんは、

「それじゃあ、牡丹ちゃん。放課後またね」

 兄さんとはそこで別れ、私と菊は一年の教室へと向かう。


 だけど、その最中。不意に菊が足を止め、

「おい、ちんちくりん。調子に乗ってんじゃねえぞ」

と言い出した。


「な、なによ、調子に乗るなって」


 一体どういう意味だろう。別に私、調子になんか乗ってないけど。


 けれど菊は教えてくれない。つんとそっぽを向くと、すたすたと一人先に行ってしまう。


 おまけに、

「後悔しても知らないからな」

なんて、なんだか物騒なことまで言い残した。


 私がその意味を知るのは、しばらく経って、放課後になってからで――……。



 部活が終わって、私は桜文兄さんが所属している柔道部が活動の拠点としている、道場の前に立っていた。


 美竹から聞いた話によると、朝、校門の前に立っていた男子生徒達は、桜組と呼ばれている集団で。主に柔道部の人達で構成させている、桜文兄さんの舎弟なんだって。


 桜文兄さん、みんなから慕われているみたいで。やっぱりウチの兄弟はみんなすごいなと、そう思っていると、

「ごめんね、牡丹ちゃん。お待たせー!」

 桜文兄さんが、のしのしとやって来た。


 けど。


「は、桜文兄さん、その後ろにいる方々は……」


「ん? ああ。コイツ等も付いてくるって聞かなくてさ」


 桜文兄さんの背後には、ずらりと今朝方も見かけた、桜組の人達が並んでいた。みんな、目をギラギラさせて、なんだかぴりぴりしてるみたい。


「牡丹嬢は、我々桜組が命に懸けてお守りします!」


「ストーカーなんてクズ野郎、俺達がボコボコにしてやりますよ!!」


 そう声を上げながら、ぞろぞろと後ろを付いて来る集団に私は身を小さく縮ませる。


 す……、すっごく恥ずかしい……っ!!


 やっぱり桜文兄さんにお願いしなちゃ良かったと思い直しても、もう遅い。朝、菊が後悔するって言ったのは、きっとこういうことだったんだと今更ながら気が付いた。


「夕飯なんだろうね」と能天気に話しかけてくる桜文兄さんの声は、私の中に留まることはなく。右の耳から左の耳へ流れるばかりだった。

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