2.

 夜が明けて、一日経っても私の怒りは収まらない。食べ物の恨みは、そう簡単には許せないよね。


 放課後になって部活も終わって。それでもまだプリンの恨みをどうやって晴らそうか思いつかず、私はあれこれ考えながら一人帰路を歩く。


 だけど、ふと後方に気配を感じると立ち止まり、ゆっくりと振り返った。すると電信柱の傍に、黒いパーカーの帽子を目深に被っている上にマスクを付けた男の人が立っていた。


 あの人、確か昨日も見かけたな。昨日もあんな風に何だかこそこそしてた。


 何だろう。


 私が首を傾げさせていると、

「あれ、牡丹ちゃんだ」

 後ろから桜文兄さんが手を振りながら私の傍にやって来た。兄さんの隣には菊もいる。すると例の男は、こそこそと身を縮めながら来た道を引き返して行った。


 桜文兄さんは、その男のことをちらりと眺めて、

「あの人、牡丹ちゃんの知り合い?」

 そう訊ねてきたけど、

「知りません……」

 私はそれしか言うことができなかった。



✳︎



「はあ? 牡丹がストーカーされてるって?」


「世の中にはいろんな趣味のやつがいるからなあ」とソファーで横になっていた梅吉兄さんは上半身を起こし上げながら言う。


 するとキッチンから出て来た藤助兄さんが、

「もう、梅吉ってば!」

 私の代わりに怒ってくれた。


「それより牡丹、大丈夫なの? ストーカーなんて。警察に言った方がいいよね」


「でも、後をつけられているだけで、実際にまだ何かされた訳じゃないんだろう? 警察は実害がないと、なかなか動いてくれないぞ」


「そうなの?」


 そう訊ねる藤助兄さんに、私も一緒になって首を傾げる。藤助兄さんは、

「梅吉ってバカだけど、変なことは知ってるよね」

と感心気に後を続けた。


「おい、藤助。バカは余計だ! ったく。それよりも、そのストーカー犯をどうするかだ」


「だったらさ、牡丹ちゃん、これから俺と一緒に帰ろうよ」


「え……? 桜文兄さんとですか?」


「うん。牡丹ちゃん、部活終わるの、今日くらいの時間なんでしょう? 俺も同じくらいだからさ」


「でも、付きまとわれているかもってだけで、私の勘違いかもしれないですし……」


「それならそれでいいよ。それより、もしその男が本当にストーカーで、牡丹ちゃんに何かあったら大変だよ」


 だから一緒に帰ろう、と桜文兄さんは繰り返す。


 桜文兄さんが一緒なら確かに安心だけど、でも、本当にあの人がストーカーと決まった訳じゃないし、もし本当にストーカーなら桜文兄さんに危害を加えようとするかもしれない。


 私が返答に迷っていると、

「バーカ」

と横から声が上がった。


 菊がじとりと私のことを見つめながら、

「コイツの勘違いに決まってるだろう。こんなちんちくりんの後をつけ回す物好きなんて。いる訳ねーだろ」


 むっかーっ!!!


 確かに私自身、まさかストーカーされるなんて思ってなかったけど。でも、何もそこまで言うことないじゃないっ!!


 あまりの腹立たしさに言葉が出ないでいると、

「そんなことないと思うけどなあ」

 そう言ってくれたのは桜文兄さんで、だけど。


「牡丹ちゃん、かわいいと思うよ。ハムスターみたいでさ」


「は、ハムスター……?」


 あんぐりと開いてしまった口をどうすることもできないでいる私の傍らで、

「ぷっ……!」

と不快な音が鳴った。梅吉兄さんはげらげらとお腹を抱えて笑い、菊も口を抑え、ぷるぷると肩を小刻みに震わせている。


「あれ。俺、おかしなこと言った?」


 分かってる……。桜文兄さんには全く悪気はないって。でも、だからってハムスターみたいなんて。いや、確かにかわいいよ、ハムスター。だけど、それってやっぱり私がちんちくりんだってことだよね……。 


 いつまでも鳴り止まない笑い声を背景に、私は桜文兄さんの好意をありがたく受け取ることにした。

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