2.
話は数十分前にまで遡る。その時の何も知らなかった私は、普通の一軒家にしては大きな、『
今年の春、私が高校に進学しようとしていた頃、お母さんが病気で亡くなった。その日は温かな陽気に包まれた、とても穏やかな日だった。
私にお父さんはいない。お母さんの話によると、お父さんは大の浮気性で。お父さんはお母さんと私のことを捨てて、行方知らずになったそうだ。
だから私はお母さんと二人で生きてきた。お父さんの名前も顔も一切知らない。いくら訊いても、お母さんが最期まで教えてくれなかったから。
だけど、お母さんが亡くなって、私が悲しみに暮れていた、そんな時だ。お父さんの知り合いだという人が突然私の前に現れた。
そして、その人は言った。
「父親に会いたくはないか──?」
と。
それで私は今、その人──
私はずっと探してた。お母さんには内緒で、お母さんと私を捨てたお父さんのことを。だけど全く……、手がかり一つ見つけられなかった。
なのに、お母さんが亡くなってから分かったのは、とっても悔しいけど。でも、それでもやっと見つけられたんだ。
お父さんに会ったら、言いたいことが山ほどあった。どうしてお母さんを捨てたの? お母さんのこと、愛してなかったの?
他にもたくさん。それから、……とりあえず一発殴らせて──!
私はどくどくと勝手に高まる心臓を落ち着かせようと、深呼吸を数回繰り返す。
落ち着け、落ち着け、私。大丈夫、大丈夫だから。
私は「よし!」と小さく意気込むと、震える指先をそれでもどうにか動かしてチャイムを鳴らそうと腕を伸ばした。
だけど。
せっかくの私の決意を打ち壊すよう、いとも簡単にガチャリと内側から扉が開かれて――。
「おっ、なんだ。来てるじゃねえか」
ひょいと開かれた扉の隙間から顔を覗かせたのは、大きな瞳にすっきりとした鼻筋をしたイケメンだった。
この人、誰だろう。お父さん……ではないよね? 若過ぎるもの。私より少し年上くらいかな。
私は突然のイケメンとの対面にすっかり固まってしまう。だけどイケメンは、にかっと爽やかな笑みを浮かべさせ、
「遅いから迷子になってるんじゃないかって心配してたんだぞ。ほら、早く入れよ」
そう言って私の腕を掴むと家の中へと引っ張り込んだ。
「あ、あの! 私、天羽さんという人から紹介されてここに来たのですが……」
謎のイケメンは、
「ああ。話は天羽のじいさんから聞いてるって」
と、やっぱり私を置き去りに玄関脇の大きな部屋へ入って行った。そこはどうやらリビングみたいで、大きなテレビにテーブル、それからソファーが置かれていた。
私はイケメンに言われるがままソファーに座り込んだ。リビングの奥にはキッチンがあって、イケメンはそこに向かって、
「おーい。
と声をかけた。
「もう、
ひょいとキッチンから現れたのは、これまたイケメンで。ふんわりとした短髪に子犬のような円らな瞳をした、優しそうな雰囲気の人だ。
藤助と呼ばれたイケメンは、私をこの部屋に連れて来た梅吉という名前らしい人を叱りながらお盆を持って出て来た。
藤助さんはテーブルの傍まで来ると、ことんと私の前にグラスを置いた。
「はい、お茶。緑茶だけど平気?」
「あっ、ありがとうございます」
「なんだよ、牡丹ってば堅苦しいなあ。これから一緒に暮らすんだから、もっと気楽にしろよ。そんなんだと肩がこっちまうぞ」
「へっ、一緒に暮らす……?」
えーと、私の聞き間違えかな。梅吉さん、今、なんて言ったんだろう。
聞き返そうか悩んでいると、梅吉さんはさらに、
「それにしても。まだ手を出した女がいたんだな、俺達の親父」
俺達の親父……? 親父って、お父さんのことだよね。
その上、
「どんな子が来るんだろうと思ってたけど、なかなかかわいいじゃん」
「ちょっと、梅吉ってば。手なんか出さないでよ」
「はい、はい、分かってるって。大体、妹に手を出さないといけないほど、俺、女の子に困ってませんよーだ!」
妹……? 妹って、私のこと……?
私は聞こえてきた不可思議な単語の数々に、ゆっくりと頭の中を整理していく。だけど全然理解できない。
「一緒に暮らす? まだ手を出した女がいた? 俺達の親父? 妹って……?」
結局、散々考えたのに、私の口からは覚えたての言葉をなんでも口にする子どもみたいな片言な言葉しか出てこなかった。
すると梅吉さんと藤助さんは互いの顔を見合わせて、それから視線を私に戻した。
「あれ。天羽のじいさんから聞いてないのか?」
私が小さく頷くと、二人もそろって首を傾げさせる。
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