第23話 ep2 . 『蜜と罰』 ルージュ・ノワール・蜜の味 

令嬢の頬を伝って大粒の涙が床に零れ落ちる。


考えるより早く少年の腕は令嬢の細い身体を抱き締めていた。


その身体が思った以上に華奢である事を少年は初めて知った。


泣くなよ、と少年の方が懇願するように呟く。


「リセさん、アンタに泣かれたら俺はどうしていいかわからねぇよ…」


薄いナイトドレスを貫通してその肌の体温と胸の柔らかさが少年に伝わってくる。


反射的に令嬢を抱き締めてしまった少年であったが、何か考えがあった訳ではない。


ここから先の言葉も行動もどうすればいいのか彼自身も解ってはいなかった。


令嬢の細く白い指が少年の背中に触れる。


高揚より戸惑いの比重が大きかった少年は更に混乱した。


「リセさん、アンタは綺麗な人だ……心も……何もかも全部……」


少ない語彙力に載せて少年は本心を吐き出す。


ついさっきの言葉、彼女自身の自己評価の低さのような自虐が少年は気になっていた。


彼女ほどの人物が何故そんな台詞を?


少年にはその乙女心など到底、理解出来る筈もなかった。


火傷や傷があろうがなかろうが、少年にとって令嬢は強く気高い聖女に等しい存在であった。


今現在、この瞬間も少年の中ではそれは揺らぐことは無かった。


それ故に少年はその腕に抱きしめた令嬢に対してどの様に振る舞うべきか決めかねていた。


熱を帯びた彼女の瞳が何を少年に求めているかは明白だった。


少年が拒絶すれば令嬢は更に深く傷付くだろう。


少年が受け入れても令嬢の身体を傷物にしてしまうだろう。


白か黒か。


或いは。


赤か黒か。


そのどちらも選ぶことが出来ず、少年は令嬢を抱き締める腕に力を込めた。


どうすれば自分の腕の中で震えているこのお姫様を守る事が出来るのだろう?


俺は彼女の騎士ナイトになる資格なんてないのに、と己の非力さと無力さを更に呪った。


不意に美術の授業中に聞いた言葉が少年の脳裏によぎった。


『……この世界は0か100かじゃない。白か黒か、なんて割り切れるものじゃないんだ』


『全部グラデーションで出来ている、この世界も人間も』


グラデーション。


イエスかノー以外の選択肢。


彼女を拒絶せず、かといって彼女を極力傷付けないような紳士的な振る舞い。


少年は覚悟を決め、令嬢の背中に回していた手を優しく肩に乗せる。


足元では黒い子猫がゴロゴロと床に背中を付けて無邪気に戯れている。


少年は手が震えているのを悟られないように令嬢を抱き寄せ、ゆっくりとその唇に口づけした。


初めて触れる柔らかいもの。


永遠にも思えるような一瞬。


軽く触れていた唇は離れ、少年は令嬢の瞳を見据えた。


「リセさん、俺はアンタが本当に大事なんだ。だから……」


その先の言葉が出てこなかった。


“自分自身を大事にしろ”?


“俺なんかと居たらアンタはダメになっちまう“?


どちらも相応しくない言葉にも思えた。


この気持ちをなんて伝えればいいのだろう。


こんなにも令嬢の事が大切で堪らないのに。


少年はゆっくりと触れていた令嬢の肩から手を離した。


少年はこれ以上この場に居ると何か間違いを起こしてしまいそうになる自分自身を恐れていた。


溢れそうな揺れる胸を隠すには華奢過ぎるデザインのナイトドレス。


これ以上理性を保つ自信が彼には無かった。


早くここから立ち去ろう、少年は令嬢に背中を向け都合のいい言い訳を探し始めた。


「悪ィ、早朝にバイト入れてたの忘れてたわ」


だから今日は……と言いかけた少年の背中に柔らかい感触が触れる。


「……嘘、なんでしょう?」


令嬢がその華奢な腕で少年の背中に縋り付いていた。


少年の嘘もその身体の高揚も令嬢に全て見抜かれているかのようだった。


解らない、どうしたらいいのか。


少年は混乱し、再び令嬢の方にゆっくりと向く。


令嬢の頬をそっと手で触れる。 


戸惑いながらもう一度その唇に口づけする。


今度はお互いが離れようとはしなかった。


二度目のキス、柔らかい感触が二人の理性を少しずつ、しかし完全に壊していく。




それは蜜のように甘い味がした。

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