第14話 ep2 . 「訳有り令嬢と秘密の花園」 ジャムと卵巣、そして子宮

俺は言葉を飲み込んだ。


避妊手術ってどうやるんだろう……


何かとても恐ろしい単語に思えた。


聖母のような貴婦人の口から出た言葉とは信じがたかった。


しかしそれは猫を飼うに当たっての飼い主の義務であるようにも思えた。


俺にも向き合う義務がある事柄。


逃げる事は出来ないだろう。


そう思った俺は意を決して花園リセに訊ねる。


「よく知らないんだけどさ、避妊手術ってどうやんの?」


それは……と彼女は言葉を詰まらせた。


俯いた彼女は膝の上のマサムネに視線を落とし、何かを思案するように沈黙する。


「その……申し上げにくいんですが……雌猫ちゃんの避妊手術は一般的に…」


彼女が躊躇いがちに言葉を発する。


端的に言うと卵巣と子宮を摘出することになりますわ、と。


花園リセは悲しそうにマサムネの頭を撫でた。


卵巣と子宮を摘出。


俺は心底後悔した。


花園リセに聞いてしまった事を、である。


なんて事を彼女に言わせてしまったのだろう。


聖母のような彼女には似つかわしくない概念と単語である。


俺が一人でググるなりなんなりすれば良かっただけの事なのだ。


花園リセに余計な負担を掛けさせてしまったのは本当に悔やむべき事実だった。


俺は彼女になんと答えていいか分からず沈黙した。


しかし、彼女にこれ以上余計な気を使わせてしまってはいけない。


俺は話題を変えることにした。


なあ、そうすぐに決断出来るような事でもないしまたゆっくり時間取って考えようぜ、と俺は努めて明るく提案した。


それもそうですわね、と彼女も同意し一旦はこの緊迫した空気から解放された。


「ごめんなさいね。急にこんな話をして驚かせてしまって」


彼女はどこか悲しそうに微笑んだ。


テーブルの上には梨が鎮座している。


「なあ、リセさんは梨は好きか?」


なんでもいいから話題を探していた俺は唐突に変な質問をしてしまう、


おいおいおい、幼稚園児の自己紹介コーナーか?


好きなくだものは?ももです。リンゴです。スイカです。ぶどうです。バナナです。みてぇなレベルじゃないか。


我ながら子どもじみた話題しか思い浮かばない自分が心底嫌になった。


上流階級の教養ある人間ならもっと気の利いたセリフや言葉が出てくるんだろうにな。


キョドっている俺を尻目に花園リセは鈴のような声で笑った。


「梨ですか?たった今、世界で一番好きな食べ物になりましたわ」


俺に気を遣ってくれているのだろう。


こういう心遣いや思いやりはまさに貴婦人で聖母そのものだな、と俺は確信した。


「こんなにたくさんの梨、どうしましょうね……」


ふふ、と彼女は悪戯っぽく笑う。


「もったいなくて食べられませんわ。あら、でも早く食べなくちゃいけませんし……」


彼女は頬に人差し指を当てて小首を傾げる。


こういう仕草も品があっていいものだな、と俺は彼女の横顔に見とれた。


「ジャムにでもしましょうか。そうしたら佐藤さんも一緒に食べられますし日持ちもしますわ」


花園リセはにっこりと微笑む。


「え?ジャム?梨でか?」


今まで親戚が送って来た梨といえば爺さんが生きていた頃から近所へ配るトレードアイテム、またはそのまま切って食べるものと相場が決まっていた。


梨のジャム。


今まで考えたことのない発想だった。


ジャムと言えば給食の食パンに付いてくるいちごジャムしか知らない俺にはやや衝撃だった。


梨がジャムになるのか、と驚く俺に対し花園リセは小さく笑いゆったりと頷く。


「簡単ですのよ。たくさん作って瓶詰めにしましょう。是非、佐藤さんもいくつかお持ちになって」


俺が持って来た梨をジャムにしてまた俺に与えてくれるのか。


物々交換にすらなっていないじゃないか、とも思えた。


日頃のお返しのつもりだったのだが、逆に倍返しされた気分である。


こうなると俺が花園リセに差し出せるものなんてもう何もないように感じてしまう。


「え、じゃあせめて俺にも手伝わせてくれね?」


俺はダメ元で彼女に提案する。


「ジャムって作るとこ見たことないしさ。俺も一緒にやっていいか?」


まあ、と小さく驚いた花園リセはその後ゆっくりと微笑んだ。


「嬉しいですわ。佐藤さんと一緒にお料理できるなんて」


じゃあ、準備をしておきますから明日一緒に作りませんこと?と彼女は俺の方に視線を向ける。


「よっしゃ!よろしく頼むぜ」


俺はなんとなく張り切りたい気分になってテンションが上がった。


貴婦人の御令嬢と一緒に二人きりでジャムを作る。


全く謎のシチュエーションである。


俺もびっくりだ。


ジャムってどうやって作るんだろう。


砂糖はどれくらい使うんだろう?


火加減はどうするんだろう、鍋が焦げ付いたら大変だ、しっかり気合い入れないとな。


俺は早くも明日のジャム作りの工程のことで頭がいっぱいになってしまった。


しかし。




ジャムよりも甘く蕩けるものの味を知ってしまう事になるなんてその時の俺は思いもしなかったのだった。

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