6.変数少女Xの恣意的な異常
見覚えの無い砂浜には波音しかなかった。今のところ、人に出会う気配は無い。彼女からのメールには、ここで人に合うようにと書いてあった。それ以上は、行けばわかるからの一点張りだった。だから、もし出会え無くても私のせいじゃない。その時は、しばらく海でも眺めて病院に帰るだけだ。最初の内はそうやってグチグチと考えていたけど、波音に思考を浸食されて、いつの間にか無心で波打ち際を歩いていた。そのせいか、砂浜に現れた人影に気付くのが遅れてしまったのかも知れない。普通なら、彼女が視界に入ればすぐに解るはずだ。それ位、彼女は特徴的な色彩をしていた。もしかしたら、何かのキャラクターなのかもしれない。他に目印になる様なモノも無いし、彼女の方に向うことにした。近くまで行くと、彼女もこちらに気付いた様だった。
「あのう、アナタがペケさんでしょうか?」
実際問題、私はペケって名前じゃないし、何て答えるべきだろうか、悩んだところで名乗る名前も無いんだけれど。
「すみません。ここで人と会う約束をしていまして。人違いでしたでしょうか?」
彼女は、今にも泣き出しそうだった。
「人違いじゃないと思う。ただ、ペケって名前じゃないからどうしようかと思って。」
どうしようも無いんだけども。
「そうだったんですね。すみません。友達からそれしか聞いて無くて、何とお呼びすれば良いでしょう?」
本当にどうしようも無い感じになってしまった。
「実は記憶喪失で自分の名前、覚えて無いんだ。」
「すみません。あのう、えーっと、そうしたら、お嫌じゃなければ、ペケさんとお呼びしても良いでしょうか?」
嫌だと言ったら、泣き出しそうだ。
「他に気にいった名前も無いから。それより、今日はここで何があるの、特に何も聞いて無いんだけど。」
彼女は慌てた様に、何かを取り出す。
「実は私も余り聞いて無いんです。ただ、この景色に色を付けて欲しいって言われたんです。」
彼女の手には、身に覚えのあるモノクロの風景写真があった。
「何だ、これってここの写真だったんだ。でも、こんな何でも無い写真1枚で、よく場所が特定出来るね。」
モノクロの写真には、特別、特徴的なものは写ってはいない様に見える。ただ、この場所から見える湾口の稜線は写真に写る景色とそっくりだった。
「サトリちゃんは、少しの思念でも遡って読み取ることが出来ますから、写真に写ってるもの以上に解ってるんだと思います。」
サトリは多分、この間病室に来た娘のことかもしれない。
「それなら、こんな回りくどいことしないで、直接教えてくれれば良いのに。」
誰かが自分以上に自分のことを知っているって思うと、何だか無性に腹が立ってくる。
「私も良くは解らないんですが、記憶って実感が伴って始めて思い出になるって事らしいです。人から聞かされただけの情報は、いつまでたっても記録のままって、サトリちゃんが言ってました。」
何だか良く解らないけど、結局ここで何をすれば良いんだろう。
「ふーん、それで結局、ここで何をするの。」
彼女は、また泣き出しそうな顔をする。
「私はチエちゃんやサトリちゃん見たいに凄いことは出来ません。ただ、色を付けることしか出来ません。それに、記憶に色を付ける何てやったことが無いんで、上手く出来るか自信が無いんです。」
チエって誰だろう。心当たりがあるとすると、屋上であった娘だろうか、それよりも。
「記憶に色を付けるって、どういうこと?」
彼女は慌てたようにキョロキョロと辺りを見回す。
「えっと、そうだ、あの、とりあえず空を見て下さい。試しに色を付けて見ます。」
嫌って言ったら泣いてしまうかもしれない。そう思いながら青い空を眺めていると、見る間に茜色に変わってしまった。
「これって君がやってるの?」
「はい、これは私が見ている色です。私は自分の見ているものに色を付けることが出来ます。そして、それを近くにいる人と共有することが出来るんです。」
そう言う彼女の顔は、少し淋しそうに見えた。
「ペケさんはこの写真の景色を頭の中に思い描いて下さい。私がそこに少しずつ色を付けます。もし何か有れば教えて下さい。」
「何かって?」
「空はもっと青い方が良いとか、山はもっと緑にしたいとか、希望があったら何でも言って下さい。」
風景に希望も何も無いと思うけども。
「それでは、始めましょうか。目を瞑ってこの景色をしっかり思い描いて下さい。」
私は、最後にしっかりと写真の景色を目に焼き付けてから、目を閉じた。
「準備は良いですか?」
「良いよ。」
「一つずつ色を付けて行きます。もし途中で何か思い出したら、教えて下さい。」
彼女がそう言うと、灰色だった空が段々と青くなって行く。そして山や海や砂浜にもゆっくりと色がついて行った。
「どうでしょうか。山の感じから夏のイメージで色を付けて見ましたが。」
「うーん、何にも。」
「それでは、今度は少し時間帯を変えて見ますね。」
その後、2回位何となく明るさの違う風景になっても特に何も感じ無かった。でも。
「次なんですが、試しに、夕暮れにして見ますね。全体的に色彩が違うので、一つずつ変えると違和感があるかもしれません。」
そういった彼女が、空の色を青い紫と赤いオレンジが混じりあった、複雑に綺麗で恐ろしい空に変えた時、何かがフラッシュバックして、その瞬間、無数にあるモノクロの風景の何枚かが色付いて行く。それは時間の糸に束ねられた、私の記憶だった。
「何か思い出せましたか?」
私が誰なのかも、どんな力があるのかも、そして、この世界の誰も私のことを知らないってことも。
「うん、全部思い出せたよ。」
「そうですか、お役に立てて、本当に良かったです。」
そう言うと彼女は、ギュッと目を瞑って俯向いてしまった。もしかして、泣いてるのかもしれない。
「泣いてるの?」
そう言って、思わず彼女の肩に触れたとき、私の中に“彼女達の記憶”が流れ混んで来た。様々な色の記憶の中で、彼女に共通していたのは寂しさだった。
「違うんです。色をリセットするのに、ちょっと時間が掛かるので。」
「どう、そろそろかと思って来たんだけど、上手く行ってる?」
後から声を掛けられて振り返ると、いつの間にか二人の少女が立って居た。
「私は止めたんだけど、千重が我慢出来なくって。でも、上手く行った見たいね。」
「はい、何とか上手く出来ました。サトリちゃんとチエちゃんのおかげです。」
二人に向かってしゃべる彼女は、もう泣いてる様には見えなかった。そういえば、私にはまだ、本当に知らなければならないことがあるんだ。
「ねぇ、私、まだあなた達の名前も知らないんだけど、どうやってお礼を言えば良いの?」
三人の少女はお互いに顔を見合わせていた。
「そういえば、自己紹介はまた今度ってことにしたっけ。」
「悪い癖ね、勝手に知り合いの気分でいたわ。」
「すみません、緊張してて。私、名乗って無かったですね。」
「じゃあ、始めましてってことで、私は一重千重、よろしくね。」
全てを引き寄せる程、彼女の笑顔は魅力的だ。
「始めましてじゃないでしょ。私は石神さとり、よろしく。」
全てを見通す程、彼女は聡明に見える。
「すみませんでした。私は玉虫イロハといいます。よろしくお願いします。」
全てを塗り替える程、彼女はユニークだろう。
そして重要なのは、私が誰かってことじゃなくて、彼女達にとって私が誰かということ。どうせ、この世界に私のことを知ってる人は居ないんだし、私には何だって出来るんだから。だから、私が友達に名乗る名前は一つしかない。
「私の名前は、
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