醒めない悪夢

 彼への恋を自覚して一週間。

 彼はあの日以来登校して来なくなってしまった。

 私の心の中は心配な気持ちでいっぱいになった。迷惑だったかな。傷付けちゃったかな。悪い想像ばかり膨らむ。

 いや、彼の事だ。そんな事言わない。彼の事はまだ何も分かっていないけれど。

 この短くも長い一週間。ずっと彼の事を考えていた。いや正確には、私が彼に嫌われていないか、その事ばかり考えていた。そして自己中心的な考えしか出来ない自分を、心底嫌いになった。こんな性格だから友達が出来なかったんだと理解もした。

 とにかく謝りたい。彼が許してくれるなら、これからもずっと彼と居たい。そう思ったものの、彼は姿を現してくれない。

 どうすれば彼に会える? どうすれば、どうすれば。

 そしてある時思い至った。そうか、彼の家に行ってしまえば良いんだ、と。でも彼の家なんて知らない。どんな家なのか。どの地域なのか。もしかしたら県外から登校しているのかもしれない。私は彼の事を何も知らない。

 だからこの案は一度諦めた。でも諦めきれなかった。私が持てる時間を全て彼に会う方法を考える為に使った。それでも思いつかなかった。無力な自分を呪いたくなる。

 もう彼とは仲直りも出来ずにお別れなのかな。そう考えると、無性に泣きたくなった。

 悲しい。寂しい。苦しい。

 色んな感情に襲われて、何にも抗えずに毎日を無為にに過ごした。彼が居ない世界なんて面白くもない。

 何もかもに落胆しながら、彼の分の配られた書類を纏めていく。そしてふと思った。


(憐くん、手紙とか取りに来ないのかな)


 一週間分の手紙の中には重要書類も幾つかある。誰かが届けてあげるのかな。

 こういう時、大抵は家の近い人が渡しに行く。先生は生徒の住所を知っている。

 代わりに行きたい。ほんの少しだけでもいいから彼の笑った顔が見たい。でも立候補して行くとなるとなんだか恥ずかしい。勘の良い人なら私の恋心にも気付いちゃうかも。それは少しだけ嫌だな。変に噂を流されたくない。私は彼の隣に居たいだけ。決して見せびらかしたい訳じゃない。

 悶々とした気持ちのまま、終礼の終わりを告げるチャイムが鳴る。それが何だか私たちの関係の終わりを告げているような気がして、視界が滲んだ。

 凄く寂しい。こんなにも人を好きになれたのは初めてなのに、こんなにも呆気なく終わってしまうの?

 椅子の上で膝を抱えて、ポロポロと零れ続ける涙が枯れるのを待った。幸い同級生は部活に行ったか、下校したようで教室に残っているのは私一人だった。

 そういえばあいつは、こうして一人泣いていると馬鹿にしてきたっけ。今思うと酷いやつだな。でもそんな同情のかけらも見られない態度に励まされてきたんだよね。

 でももうあいつは横に居てくれない。いくら泣いても迎えに来てくれない。

 瞑った脳裏に、ピクリとも動かないまだ熱を持ったままのあいつの顔が浮かぶ。それがきっかけとなって、私の涙腺のダムは決壊した。

 また私のせいで誰かの人生が狂ってしまうの? 彼もあいつみたいに死んでしまうの? もう誰ともお別れしたくないとあれだけ願ったのに?

 神様でも救世主でも、誰でも良い。私たちを離れ離れにしないで……!

 そう強く願った時、勢いよく教室の扉が開かれた。


(誰か来ちゃった。みっともない顔なんて見せられない)


 袖でごしごしと涙を拭い、顔を上げるとそこには先生がいた。


「おぉ高城。いい所に居た。これを柏葉に届けてくれ」


 そう言って渡してきたのは彼の机に溜まっていっていた手紙の束。


「え? あ、はい分かりました」


 驚いた。先生は神様なのかな。祈った瞬間に願いを叶えてくれた。


「ちょ、ちょっと待ってください先生。私柏葉くんの家知らないんですけど……」


 部屋を出ようとする先生を呼び止めた。

 すると先生は不思議そうな顔をして


「なんだ知らないのか? 高城の家の上の部屋だよ」


 初耳だった。まさかそんなに近くに住んでいるとは思いもしない。

 私の家はマンションの2階だ。確かに上の部屋はあるし、誰か住んではいるだろうけど、まさか彼だったとは。


「知りませんでした。すみません。ありがとうございます」


「おう、頼むぞ」


 そう言い残して先生は部屋を出た。やはり神様なのかな。私と彼を繋ぎ止めてくれた。感謝しかない。

 ほんの少し軽くなった心と、ほんの少し重くなった鞄を持って私たちのマンションに帰る。

 学校を出るとき、時間を確認すると午後7時30分。急がないと。あんまり遅いと迷惑になっちゃうから。

 堤防沿いを走っている時、ふと空を見上げた。絵の具を零したような黒い夜空に、煌々と輝く月が浮かんでいた。


(彼は、いつもこんなふうに空を眺めているのかなぁ)


 少しだけ彼の気持ちを理解出来た気がして、なんだかくすぐったいような気分になった。

 自然と鼻歌が出ていた。だからジョギング中のお兄さんに変な顔されちゃった。でも、もうすぐ彼と会えるんだもん。心躍るのは仕方ないよ。


(あ、何かお土産持っていこうかな)


 ふと思い至り、家の目の前のコンビニに入る。


(彼って何が好きなのかな……スイーツでいいかな?)


 私の好きなショートケーキを2つ買った。結構高かったけど、彼の為なら仕方ない。

 片手にビニール袋を提げ、自転車を押して管理人から指定されている駐輪場に自転車を停める。

 直後、おぞましいほどの悪い予感がした。全身を逆撫でるような、身体中を何かが這っているような感覚。気味が悪くなって駐輪場から離れる。

 刹那、すぐ後ろから何かが砕けるような、鈍い音が聞こえた。


 恐る恐る振り返ると、そこには頭から血を流して、ピクリとも動かない彼が居た。

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