隠れんぼ

青葉台旭

1.

 年齢としを取って、趣味と呼べる物もめっきり減ってしまった。

 本を読む事、ネットの配信サービスで映画を観る(そしてたまに映画館へ行く)事、料理、散歩。それくらいだ。

 我ながら爺い臭いと思うが、事実、爺いなのだから当然だ、これで良い、とも思う。

 ほとんど毎日、散歩に出かける。

 とは言っても、食料品など日々の買い物を兼ねて出かける場合が多いから、それを趣味と呼んで良いのかは分からない。

 少し前までは、月に何度か遠出をしていた。

 だいたい都心から電車で一時間以内を目安に『今日はこの駅の周辺を散策しよう』と決め、その駅まで電車で行って、朝から当てもなく通りから通りへ、路地から路地へと彷徨さまよい歩き、たまに喫茶店に入って腹を満たし喉を潤し、夕方また駅に戻って電車で地元まで帰る。

 カバンにパソコンを入れて、行った先の公園や喫茶店で色々タイプする事もある。

 小さ目のデジタル・カメラを持って行って、何てことない公園や通りの景色を写真に収める事もある。

 最近、体力の衰えをはっきりと自覚するようになった。

 同時に、いろいろなものに対する欲望や執着も減った。

 買い物がてらに出かける毎日の短い散歩は続けているが、散歩をするためだけに片道一時間かけて電車で何処どこかへ行く日は減った。

 つまり最近、行動範囲が狭くなった。

 その代わりグーグルのストリート・ビューを眺める時間が増えた。

 技術進歩のおかげで散歩までもバーチャルになりつつあるという訳だ。

 例えば、世田谷区とか、三鷹市とか、鎌ヶ谷市とか、その日の気分で選んだ町の名で検索をかけ、グーグル・マップ上で適当な道をクリックしてストリート・ビューを開き、マウスを動かし、画面内で散歩している気分を味わう。

 現地の空気は吸えないが、手っ取り早い。


 * * *


 夏の真夜中、冷房の効いた部屋でビールを舐めながら、パソコンの画面上で『バーチャル散歩』をしていた。

 いつも通り、適当に選んだ郊外の住宅地だ。

 迷路のように入り組んだ狭い路地を気ままに右へ左へ曲がりながら進む。(マウスをクリックして)

 おそらく人工知能を使っているのだろう、通りを歩く人の顔や自動車のナンバー・プレートにはかしが掛けられている。

 クリック、クリック、クリック。

 顔の暈けた通行人や、ナンバーの暈けた自動車とすれ違う。

 また、クリック、クリック、クリック。

 画面に現れた人物を見た。

 ……突然、ゾッと全身が冷えるような恐怖に襲われ、左手が震えて持っていたコップからビールが机の上にこぼれた。

 画面から目をそらして、なんとか落ち着いてコップを机に置き、台所から布巾を持ってきて溢れたビールを拭いた。

 恐る恐る画面を見直す。

 とある郊外の住宅地。

 両側に戸建てが並ぶ路地。

 その奥から、こちらに向かって歩いてくる格好で、小学校低学年の少女が映っている。

 なぜか、その少女だけ、顔にかしが掛かっていなかった。

 はっきりと目鼻が映っている。

 グーグル謹製・高性能人工知能の欠陥? バグってやつか?

 少女は、画面ごしに私を見ていた。

 ……いや、実際にはストリート・ビューを撮影したグーグルのカメラ・カーを見ていたのだろうと思う。

 しかし『画面の向こう側から私を見ている』という錯覚を、それが錯覚だとわかっていながら、どうしても拭えない。

 私は、その少女を知っていた。

 一歳年下の、親戚の女の子だった。

 仮に名を『花佳はなよ』としておく。

 小さい頃は、花佳の家に良く遊びに行った。

 逆に、花佳の家族が私の家に遊びに来る回数も多かった。

 たぶん親戚の中でも、彼女の両親と私の両親との付き合いが近かったんだろうと思う。

 小さい頃は、お互い愛称で呼び合っていた。例えば『花佳』だったら『花よん』みたいな感じだ。


 * * *


 あれは、私が小学校の三年生で花よんが二年生の夏休みの事だったと思う。

 私と両親は、花よんの家に遊びに行っていた。

 ひょっとしたら大人たちには何か用事があったのかも知れないが、とにかく私と花よんは、その暑い夏の日を二人で遊んで過ごしていた。

 最初は家で遊んでいたのだが、そのうち飽きてしまって、花よんが「神社に行こう」と言い出した。

 私も賛成し、その事を双方の親に伝えると、とくに禁止もされず「気をつけるんだよ」とだけ言われ、ふたたび親たちは大人どうしの会話に夢中になった。

 近所とはいえ、小学三年生の男の子と小学二年生の女の子だけで遊びに行かせるなんて、今の親なら許さないかも知れない。昔の日本は色々と緩かった。

 花よんの家から百メートルほどの場所に、それほど大きくもない神社があった。

 境内には木々が茂っていて、広くはなかったけれど雰囲気のある場所だった。

 そこに到着してぐに「かくれんぼ」をしようと提案したのも、花よんだったと思う。

 当時の私は受け身な性格で、一方、花よんは活発で何でも自分から提案するタイプだった。

 代わり番子ばんこに鬼になって何回か隠れんぼをして、また私が鬼をする番になった。

「もう良いよ」の声が聞こえて、私は神社の境内を探し始めた。

 しかし、いつまでっても、どこを探しても彼女は見つからない。

 限られた境内だ。隠れる場所が何十ヵ所もある訳じゃない。

 隅々まで探した。

 花よんは見つからなかった。

 不安になって、途中から大声で叫び始めたような気がする。「降参するから、出てきてくれ」とか、なんとか。

 その叫び声を聞いて不審に感じた近所の大人が様子を見に来た。

 私は泣きじゃくっていたと思う。

 泣きながら事情を話し、その近所の人も一緒に花よんを探してくれた。

 しかし、彼女は見つからなかった。

 近所の人は「ともかく、いったん家に帰ってみよう」と言って、私に花よんの家まで案内させた。

 さすがに親たちは真っ青になった。

 そこからの記憶が、なぜか曖昧あいまいだ。

 私は、父か母のどちらかと花よんの家に残され、他の大人たちは彼女を探しに神社へ行ったような気がする。

 あるいは、警察に行ったのか。

 私は、花よんの家で夜中までジッとしていた。

 テレビも見なかった。

 食事もらなかった。(少しだけスナック菓子を食べたような記憶も有るのだが、定かではない)

 何もしなかった。ただ座って、ジッと待った。

 真夜中になって、花よんが帰ってきた。

 その辺りの記憶も曖昧だ。

 一人で帰ってきたのか、両親に連れられて帰ってきたのか、あるいは警察が発見して連れてきたのだったか……

 とにかく、夜に、花よんは、帰ってきた。


 * * *


 その花よんが、グーグル・ストリートに、あの時のままの姿で映っている。

 画面ごしに、ジッとこちらを見ている。

 私の右手が無意識にマウスを操作して、ブラウザのウィンドウを消した。

 冷や汗が全身から噴き出た。

 冷蔵庫からビール缶を持ってきて、立て続けにけた。

 フラフラになるまで飲んで、酒の力を借りて寝た。

 嫌な夢を見た。

 二度と思い出したくないほどの、嫌な夢だった。

 私は何かを恐れていた。

 しかし一体いったいなにを恐れているのか? 私自身にも分からなかった。


 * * *


 翌日の昼間、電話を掛けた。

 、だ。

 何度かコール音を鳴らして、電話を切った。

 しばらくして、折り返し電話が来た。

「ひさしぶりね」花よんが電話の向こうで言った。「どうしたの、急に? 何かあったの?」

 何と答えて良いか分からなかった。

 まさか『ストリート・ビューに君が映っていた。しかも小学二年生の、姿』などと言うわけにも行かない。

 とっさに言い訳を考えた。

「ええと……コロナ、大丈夫かな、と思ってさ。ほら……五十歳を越えると急激に重症化リスクが上がるって言うだろ」

「今のところ大丈夫みたいよ。そっちは?」

「俺も、今のところは元気だよ」

「気をつけてね。東京は大変なんでしょう? 感染者数」

「ああ。まあでも、もう誰も気にしていないけどね。どこも人でいっぱいだ」

「ふうん……そんなものか」

「そんなものだよ」

「暑さは、どう? 梅雨明けしたって天気予報サイトに書いてあったけど?」

「うん。いよいよ夏本番だ。例年どおり、もわっと来る東京の灼熱地獄がやって来たよ。ただ最近、体が慣れたせいか前ほど東京の暑さがつらくないんだ。あるいは年齢としを取って基礎代謝が落ちて、体内の発熱量が下がっているせいかも知れないけれど。まあ、それにしてもエアコンは必需品だ」

「何にせよ、コロナであれ東京の暑さであれ、気をつけてね。お互いもう五十代なんだから」

「ところでご家族は? 旦那さんは元気?」

「このあいだ、二回目のワクチン打ったよ。職場接種ってやつ。こういう時に大企業のがたさを実感するわ」

「へええ。そりゃ良かった……息子さんは?」

「息子ぉ? まあ、親不孝の困りもんだわさ……突然、留年するとか休学するとか言い出して、『全国をバイクで旅しながら人生を見つめ直したい』なんて巫山戯ふざけたこと抜かして……コロナなんかよりそっちの方が心配。親を何だと思っているんだか」

「そうか。まあ、健康なら良いさ」

「まあね……どう? 今度、みんなで会って食事でもしない?」

「良いね。ぜひ……今日は済まなかったね、急に電話かけたりして……の声が聞けて良かったよ」

「こちらこそ久しぶりに声が聞けて良かったわ。いつでも電話してよ。また昔みたいに……、ちょくちょく会いましょうよ」

「うん。そうしよう。それじゃ」

「じゃあね」

(花よん、か……むかし仲の良かった親戚というのは不思議なものだ。よわい五十を越えても、小学生時代に呼び合った愛称を使ってしまう)そんなことを思いながら、電話を切った。 


 * * *


 あの事件以降、私の両親と花よんの両親との間には少し距離が出来た。

 別に絶縁したわけではないのだが、会う回数は確実に減った。

 必然、私と花よんが一緒に遊ぶ機会も減った。

 その後、花よんは地元の中学・高校を出て地方の国立大学に進学し、就職し、結婚し、男の子を一人産んだ。

(あの隠れんぼから、もう四十年以上か)

 警察の手は借りたかも知れないが、テレビや新聞のニュースになるほどの大事件に発展することもなく、その日のうちに花よんは帰ってきた。

 そして、花よんは花よんの人生を、私は私の人生を……特別でもないが、大して不満も無い人生を歩んで来た(と思う)

 平凡の範疇はんちゅうに収まる、ありふれた人生、の一生。

 私は、昼間あかるいうちにストリート・ビューを開いて、昨夜見たあの場所を探した。(夜に見直す勇気は無かった)

 細かい位置までは覚えていなかったから探すのに難儀したが、それでも最後は見覚えのある路地の風景に辿たどり着いた。

 マウスをクリックして前に進む。

 クリック、クリック、クリック。

 居た。あの少女だ。

 しかし、グーグルの精鋭プログラマー達が一晩のうちに顔認識のバグを修正したのだろうか、少女の顔には、他の通行人と同様のかしが掛けられていた。

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隠れんぼ 青葉台旭 @aobadai_akira

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