名無しの猫 p.9

「うわぁ、よくこんな施設を地下に建てられたね」


 シャムはメリッサの隣でのんきな声を漏らすが、無理もない。


 地下水路を進んでいたシャム達は大きく開けた空間に出たと思いきや、二階建ての小ぶりな建物がぽつんと一件建っていたのだ。


 真っ白な建物には一切の窓がなく、出入口である扉が一つある以外はもはや大きな白い箱と言っても過言ではなかった。


 メリッサは耳に着けた無線をリーエンへとつなぎ、その会話はシャムの耳にも入ってくる。


「リーエン、そちらの状況は?」

『あと少しで到着する所だったが、獣の大群に襲われている』


 通信を開いた途端、リーエンがほんの少し息を切らしながら応答した。

 通信の向こう側では銃声音と獣の怒号が飛び交っていた。


「えぇ?! そっちの援護行くよ!」


 シャムは慌てて来た道を戻ろうとするが、メリッサに襟首を捕まれて「グエ」と潰れたカエルのような鳴き声を上げる。


 すると、通信越しのリーエンが『いや、問題ない』と援護を拒んだ。


『私は奴らを引きつけながら迂回して出口まで引き返している。どうせ外で暇をしているんだろう、王様?』

『サボリ魔のお前と一緒にするんじゃねぇぞリーエン。暇は事実だがな』


 無言で話を聞いていたジークがリーエンを苛立たしげにツッコミを入れる。


『メリッサ、シャム、テメェら二人は施設を叩け。獣の方は俺様とリーエンで片づける、いいな?』

了解コピー

了解コピー!」


 メリッサとシャムは各々の銃を片手に、研究施設へと侵入する。



 施設内は電源が切られているらしく、非常灯が僅かに廊下や各部屋を僅かに照らす程度にしか明るくなかった。


 各部屋には診療台が数台設けられ、あたり一面に乾ききった血の後が満遍なくぶちまけられていた。


 診療台の近くには様々な拘束具と医療器具が並べられ、部屋の隅には肉のような何かが腐って異臭を放つ。


 継続的な実験を続けるために衛生を保つことなど一切考慮されておらず、あくまでその場に居合わせている被験体を一度の実験で命が潰えるまで使い潰すことしか考えていないのが伺える。


 シャムはメリッサと共に一部屋ずつ開けて中の様子を見る度に顔をしかめ、不快感に襲われる。


「本当に、何も変わってない……」


 見覚えのある光景にシャムは胸に込み上げてくる怒りを吐く。


 メリッサも同じ感情を抱いている様子で苦虫を噛み潰したような表情で辺りを警戒するが、無言を保つ。


 二人は施設の二階まで到達し、最後の部屋の扉を開いた。


 そこには他の部屋とは打って変わって診療台はなく、いくつものモニターが壁に掛けられており、施設内の各部屋と、下水路内の様子が映されていた。


 下水路ではリーエンが猛然と走り、その後ろを獣達が追いかけている。


 シャム達が下水路に入る時に使った入り口にはジークが仁王立ちし、迫る敵軍を待ち構えていた。


「モニタールームかな……ここ以外に部屋はないよね?」


 シャムはキョロキョロと辺りを見渡す。


 慌てて逃げる準備でもしたのか、資料が床に散らばり、器具や家具がテーブルの上で幾つか倒れていた。


 もうここに何もないのであれば、機関の残党は既に去り、取り残された獣を狩りに行く方針を取ることになる。


 ここまで来て原因を叩けないことにシャムは憤りを感じ、手に持った銃を強く握る。


 すると、同じように辺りを見ていたメリッサがふと、視線を一点に集中する。


「メリッサ?」


 それに気づいたシャムは首を傾げてメリッサに声をかけるが、メリッサは人差し指を己の口に運んで静寂を促す。


 シャムは慌てて口を両手で塞ぎ、コクコクと頭を縦に振る。


「ここに来るまで床、壁、天井、どれも真っ白な面で覆われてた。けど、ここの床だけタイル状になってる」


 小声でそう言うメリッサは、部屋に敷かれたタイルを一つ一つ、靴の踵で叩きながら歩く。


 コツコツコツ、カツン。


 およそ部屋の中央付近にあったタイルの一つを踏んだ時、他とは明らかに違う音が鳴る。


 すると、メリッサは拳を頭上に振り上げ、シャムは銃を構える。


 身体強化したメリッサの腕力は、拳を振り落とすと空気を裂き、眼下に敷かれたタイルを易々と叩き割る。


 攻撃したタイルの下は空洞になっており、メリッサの右腕が肩近くまで床の中へと沈み込むと、メリッサは険しい表情をした。


「う、うわぁぁぁ!」


 床の下から叫び声が響く。


 途端、メリッサは勢いよく右腕を床から引き抜くと、右手で掴んだ先に、胸ぐらを捉えられた白衣の男が、床を貫通して無理やり引きずり出された。


 隠れていた初老の男の顔を、シャムは知っていた。


 機関に捕まっていた時に幾度と見たあの男の顔を忘れるはずがない。


「メリッサ! そいつ"機関"の研究員だ!」


 シャムが叫び、一瞬だけ目を合わせたメリッサはそれを了解の合図とし、男を壁に叩きつける。


「グゥ!」


 胸ぐらを抑えられ、男は苦しそうに肺の中の空気を吐き出す。


 男を抑えたメリッサの隣に来たシャムは握っていた銃を男の額に当てる。


「久しぶり、私のこと、多分覚えてないよね?」

「はぁ……はぁ……スリンガーどもに回収された被験体の一人か? はは、いちいちモルモットの顔を覚えるほど私は暇じゃない」


 皮肉を返す男に、シャムはこれまで見せたことのない険しい表情で男を睨むが、男はそれに恐れることもなく、冷や汗を流しながら笑みを浮かべる。


 メリッサはあくまで冷静な態度を崩さず、男を尋問する。


「下水路を徘徊している獣、あれは貴方の指示で動かしているの?」

「あぁ、すごいだろ。実験を重ねた結果、簡易的な行動ならこちらで制御できるようになった。周辺を警戒、異物を見つけたら全員に知らせて襲う、とかな」

「なら、今すぐ下水路内の獣を止めなさい。抵抗してもこちらの人員が獣を殲滅する。無益な殺生をしてもしょうがないでしょ」

「良いだろう。だが一つ提案をさせてくれ。私を君たち"組織"に迎えろ。そしたら私が現状知り得る獣を操る術を教えてやる」

「――っ!」


 その一言で、シャムは抑えきれず男の頭を銃底で殴る。


「この後に及んで交渉なんて、ふざけないで! 私達は獣の殲滅しか眼中にない」

「落ち着いて、シャム」


 メリッサは片手でシャムを制し、それ以上の暴力を止める。


 男は頭の痛みを払うように顔を横に振り、シャムを睨み返してきた。


「これだから知識欲のない馬鹿どもとは話しが合わないのだよ」


 すると、男は再び笑顔を作ると、ククク、と低く笑い出す。


「あぁ、そう言えば、被験体のことを覚えていないと言ったが、一人だけなら覚えているな。こちらはある程度細かい指示は出来るんだ」


 その台詞に嫌な予感を感じ、シャムはメリッサの静止を振りほどいて男の口を塞ごうとしたが、遅かった。


「こんな風にな! “私を助けろ!“」

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