名無しの猫 p.7
目を覆うほどの強烈な光に照らされ、少女は思わず顔をしかめる。
白い部屋に囲まれ、少女は白の患者衣に身を包み、天井に吊されたライトに照らされ続ける。
咄嗟に手で光を遮ろうとするも、両手は台座に縛り付けられ、両足も同様に固定されており、少女は身動きを取れずにいた。
少女の両隣には手術着を着た男達が少女を見下ろす。
そのうちの一人、初老の男が助手らしき者達へ目配せする。
「これより被検体J-15番の検証を始める」
自分の番号を呼ばれ、少女はびくりと肩を震わせる。
これから自分の身に何が起きるのかを知っている少女は瞳に涙を浮かべるが、抵抗は無意味と身体が覚えている。
初老の男とその助手達が、どこから取り出したメスを、おもむろに少女の右腕に刺す。
「い、ぎ、あああ!」
強烈な痛みが右腕を走り、少女は叫ぶ。
「被験者の痛覚を確認。検証を続行」
機械的に報告しつつ、初老の男とその助手達が次々と少女の身体へとメスを入れていく。
その者達は、明らかに少女へ施術を施すためではなく、計画的に傷を与えていた。
事前に決めていた工程に従い、黙々と少女の身体を裂いていく。
腕を、足を、胸を、首筋を、腹を捌き、胃を、腎臓を、肝臓を、それぞれ切り裂き、時に少女の身体からそれらを取り除く。
少女はその間、あまりの痛みに泡を吹き、意識を失うも、痛みによって無理矢理覚醒し、また気絶を繰り返す。
台座の隣に置かれていた心電図からは少女の容体に応じて反応し、けたたましい音を鳴らす。
心電図に表示された波形は大きく揺れるが、その振り幅も、少女の悲痛な叫びが弱まっていくのと呼応して小さくなっていく。
「ぁ……や、だ……」
涙と涎と血で顔を汚した少女は、霞んでいく視界の中、ぽつりと呟く。
ピー、と無機質な機械音が鳴り、少女の心臓に合わせて動いていた心電図の波形が一切動かなくなる。
「心肺の停止を確認。再生能力は確認出来ない」
目の前の少女が命を落とした事を一切構わず、男達はあくまで現状報告を連ねる。
「ふむ。やはり人一人分の渦では再生能力の量は賄えないか、それとも獣の内臓を追加しておくか……獣のストックを肝臓に追加。その後渦の注入を」
初老の男がそう指示を出すと、男達は作業に取りかかり、少女の身体をいじくり回す。
一連の準備を終えると、亡骸となった少女の首筋に注射器が刺され、何かしらを注入する。
すると、全身を切り刻まれたはずの少女の身体が跳ね上がり、同時に心電図の波形も乱れる。
「が、あ、あああ!」
息を吹き返した少女は両目を大きく見開き、獣のように叫ぶ。
体中を覆う傷口は、まるで逆再生でもされるように血と臓腑が少女の身体へと戻り、傷を塞いでいく。
両隣に立つ研究医達はその様子を観察しながら、手元のカルテに経緯を書き連ねていった。
一通りの作業が終わり、少女は息も絶え絶えに、身体を見下ろす。
身に纏っている患者衣は血に染まっていたが、身体は完全に無傷に戻っていた。
「肝臓に獣の肉塊が融合したのを確認。これで被験者の身体の四割が獣の肉と融合したことになります」
医師の一人が初老の男に報告する。
初老の男は蔑んだ瞳で少女を見下ろし、医療器具を置く。
「完全に定着するまで拒否反応を起こすやもしれん。しばらくは経過観察。可能な限り死なせるな」
それだけ言い残して初老の男が去り、少女の何度目とも知らぬ実験が終了した。
実験を終え、少女は個室に戻されると、ベッドにたどり着く間もなく部屋の入り口で倒れる。
さきほどの実験で受けた傷は癒えたとはいえ、痛みの残像はまだ体中を駆け巡り、まともに立つことが出来ない。
激痛に耐え忍んでいると、背後の扉が開き、研究員が一人駆け込んできた。
「だ、大丈夫?」
長く黒い髪を揺らし、女性の研究員は床に倒れた少女を抱き上げる。
「ぃ、イルマ……さん」
少女は力を振り絞って女性の名を呼ぶ。
研究員のイルマは少女をベッドへと運んで寝かせると、ポケットからハンカチを取り出し、少女の額に浮かぶ汗を拭いてくれた。
ほのかに甘い香りがするそのハンカチが、少女にほんの少しだけ安らぎを与え、少女の肩から力が僅かに抜ける。
イルマは少女の身体を拭いていると、次第に涙を浮かべ、嗚咽を漏らした。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
少女の汗を拭う手は震え、イルマの後悔の念が伝う。
他の研究員達はさきほどの実験に参加していた男達と同様に、少女をただの実験道具として接していたが、イルマだけは違った。
こうして二人だけの時は感情を露わにし、いつも少女に謝ってばかりいた。
少女は希望が見えない状況に、何度目と分からぬ絶望の淵に追いやられ、
「もう、いいよ。もう、私は諦めたから」
少女は今まで言わなずにいた言葉を零し、心のどこかで張っていた壁が
「諦めないで。きっと助けが来るから、それまで心を保って」
「無理、だよ。ここに来る前の記憶は消されたし、ここを出ても帰る場所も、自分が誰なのかも分からない」
被検体J-15番。それが少女がこの場に来て唯一与えられた意味の無い名前。
自分が何者なのか、どこから来てどこへ帰るのか、何一つ分からない少女は自我を失いかけていた。
だが、それを繋ぎ止めるように、イルマの手が少女の手をぎゅっと握る。
「貴方の名前は番号なんかじゃない。そうね……貴方には太陽みたいに明るい子になって欲しい。貴方の名前は……そう、シャムよ」
イルマは必死に笑顔を作って少女、シャムを見つめる。
「シャ、ム?」
「そう、シャム。貴方の名前。名前は貴方自身を表す、貴方だけの居場所よ」
暗い井戸の中に落とされたシャムにとって、彼女の笑顔は希望の光にはまだなりえなかった。
だが、それが心の支えになる日は、そう遠くは無かった。
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