短編集

吉田勉

第1話 いつかの2月14日

「はい、コレあげるね」


 仕事帰りの駅前、待ち合わせていた彼女は出会うとすぐにバッグの中からラッピングされた手の平くらいの箱を僕に渡してくる。


「今年も手作りかい?」


「もちろん。今回も愛情をたっぷり込めさせていただきました」


 そう白い歯を見せて笑顔になる、僕の恋人。その笑顔は学生時代から変わらない。


「ありがと。ありがたく頂くよ」


「うん」



 毎年のよう繰り返される彼女からの手作りプレゼント。ここ最近は彼女も腕を上げて美味しく食べれるものを作れるようになったけど、付き合い始めての最初の手作りチョコは色んな意味ですごかった。


 あの当時、大した責任も感じずのほほんと生きていた学生時代の僕。


 そんな僕には付き合い始めたばかりの恋人がいて、毎日足が着かないくらいウキウキと浮かれていて楽しかった。そういえば今は長い髪をしている彼女だけど、あの当時は耳がほとんど見える程に短かく、今よりも無駄に元気いっぱいでした。


 ところが、その日はそんな彼女の様子がいつもと違っていた。


 一緒に登校するのが日常になり、いつもよく喋る彼女がその日に限って朝から心ここにあらずという感じで、いつもより静かな登校風景だった。というか、僕自身も朝からソワソワしちゃって、今思えば二人揃って上の空だった。


 そんな浮ついた姿勢で授業を受けたところで全然身が入らず、その日の全教科のノートがまったく書き取れていなかった。


 そして部活も終わり、いつもの待ち合わせの場所に向かう。


 しかし、彼女は待ち合わせの場所になかなか現れなかった。たぶん、そう感じたのは恋人からチョコが貰える事への期待が大きくて、いつもの時間に現れた彼女を待つ時間も長く感じられたのだろう。


 現れた彼女はいつもと同じように振る舞いつつ近づいて来ると、唐突に鞄の中から赤くラッピングされた文庫本くらいの大きさの箱を取り出し、勢いよく僕の前に差し出された。


「はい、チョコレート。一応手作りだぞっ」


 伏し目がちな彼女からチョコレートを貰った時は、そりゃすごく嬉しかった。なにせ初めて好きな人から貰えたバレンタインデーのチョコレートだったのだから。しかも、手作りときたら気分は有頂天に達してしまう。


「ありがとう! すごく嬉しいよ」


 僕がそう言った瞬間、彼女は白い歯を見せ満面の笑みを浮かべた。その笑顔は一生忘れられない程に可愛かった。


「ここで開けてもいいかな?」


 彼女が頷いたので、僕は丁寧にラッピングを解いていく。そして解き終えると、白い箱が出てきたから、その箱の蓋を開けた。


 その白い箱の中には、ハートの形をしたチョコレートがあって、その上に『大好き』とホワイトチョコレートで書かれていた。それを見たら、ただただ嬉しい気持ちになってしまい、思わず彼女を抱きしめたくなった。


 箱から手作りチョコを取り出し、そーっと口まで運ぶとそのまま手作りチョコに噛(かじ)り付く。


 彼女の手作りチョコの第一印象は《固い》だった、その固さときたら歯が折れるかと思う程固く、最初はまったく噛み切れなかった。そして、ようやく噛み切ったと思ったら、普通甘いはずのチョコレートが大分塩辛く、僕は思わず手で口を押えてしまう。目に薄っすらと涙を溜めながら。


 そんな僕を見ていた彼女は、即座に僕の手から自分の作ったチョコを奪うと、何の躊躇(ためら)いもなく一口食べる。そうしたら彼女の顔が歪み、僕と同じ様に目に薄っすらと涙が浮かび、手で口を押えた。


「…………」「…………」


 そして、二人して黙ってしまい微妙な空気になった。


「……ごめん」


 最初にそう口を開いたのは彼女のほうだった。


「砂糖と塩を間違えたみたい。そういえば私、テンパって味見してないや~。ホントにごめんなさい~」


 若干涙声になりつつ彼女は頭を抱えてしゃがみこんでしまう。


 そこで彼女に奪われたチョコを取り戻し、何事もなかった様に食べきったら格好良かったのかもしれないけど、そこは生存本能が拒絶した。


 だから、僕は最大限自分の想いを言葉にした。


「ありがと。今日君からチョコを貰えて、すごく嬉しかった。本当に嬉しかったんだよ。だから、そんなに落ち込まないで。今年は失敗しちゃったかもしれないけど、また来年頑張ればいいんだよ。誰にだって失敗はあるのだから」


 そう言ってみたけれど彼女の様子に変化はなかった。だから僕は意を決して言葉にした。


「来年も僕のためにチョコレート作ってよ。今度は美味しくって涙が出るくらいのがいいなぁ」


 今でもそうは変わらないけど、あの当時僕が精一杯出した恥ずかしい言葉。


「……本当に?」


 しゃがんだまま彼女が顔を上げた時、いつも元気いっぱいの彼女は今にも泣き出しそうな表情をしていた瞬間、僕の心は彼女に対して愛おしい気持ちが溢れてしまった。


「私、来年もチョコ作っていいの?」


「もちろん。でも、次からはちゃんと味見をしようね」


「うんっ!」


 彼女は少しだけ元気を取り戻したようで、薄っすらと涙を浮かべながらも満面の笑みを花開かせた。


 そんな彼女の笑顔を見た瞬間、僕はずっとそんな彼女の笑顔を見ていたいと思ったんだ。



「なにニヤついてるの? なにか良い事でもあった」


 隣を歩く髪が長い彼女は、僕の顔を覗き込んでその学生時代から変わらない笑顔で訊いてきた。


「いや、僕たちも色々とあったなぁと思ってね。塩入チョコレートとかさ」


「あ、まだ憶えてるんだ、それ。でもまあ、あれがあったから本気で料理やお菓子作りを覚えたんだけどね。君に美味しいものを食べてほしくって」


「そうだね、二回目の手作りチョコはちゃんと食べられるものになってたしね」


「そりゃ、たくさん練習したからね。おかげで一時的に体重が五キロも増えちゃったんだから、その努力に感謝してよ」


「うん、しっかりと感謝してる」


 僕がそう言って彼女の手を握ると、彼女も僕の手を握り返してくる。


「いつも、美味しい料理をありがと」


「いえいえ。ちゃんと食べてくれるから作り甲斐があります」


 これからもこうやって彼女と一緒に人生を歩めたらいいなぁ、と思う。そりゃ、時にケンカをしたりするだろうけど、僕にはこの彼女しかいないのだから。


 そう、いつまでもこんな風に彼女の隣を歩けたらいいな。


                                   おわり

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