手段その38 水族館
教頭派閥の先生たちが次々と辞職したのはその翌日。
原因は全く持って不明。しかし聞くところによるとどの先生も「二度とこの学校には来たくない」と口をそろえてそう言ったそうだ。
それが渚と関係あるのかないのか。
それを確かめることは、彼女の携帯電話を覗き見て、浮気していないかチェックすることくらい不毛だと頭ではわかっている。
知っても嫌な気分になるし、知らないままでも自分は不幸になる。
つまり、何かことが起こっている時点でもう詰みなのだ。
俺はもう、詰んでいるのかもしれない。
「お兄様。準備が整いました」
今日は渚と水族館に行く。
それについては楽しみだが、しかし出向いた先でまた渚が暴走しないか心配の方が大きい。
ああいう施設には若い女性スタッフやカップルも多数いるだろうし、そんなのにいちいち目くじらを立てられていてはいくつ命があっても足りない。
だから人混みに行くのは今度から極力避けようと、そう心に誓いながら俺も着替えを済まして渚と家を出た。
「楽しみですね。私、お兄様とデートをしている時が一番幸せです」
「そ、そうか。まあ今日は休みだからゆっくり楽しもう」
「ええ。そういえば今度、涼宮さんたちをお招きしておうちで食事とかいかがですか?お兄様もご友人の方とお話されたいと思いますし」
「い、いいのか?」
「もちろん。私のいないところでこそこそと会われるくらいでしたらその方が」
一体なんのつもりだ、なんて疑ってしまうのはやっぱりよくないことなのだろうか。
しかし渚が何も考えなしにそんなことを言い出すとは到底思えない。
かといって断ると逆に怪しまれる可能性もあるし。
「わかった。じゃあ二人には声かけておくよ」
「ええ。ついでに透様には手錠もかけておいてください」
「え?」
「冗談ですよ。うふふ」
今日の渚は上機嫌なようだ。
だって、冗談なんてそうそう言わないこいつが嬉しそうにそんなことを言うのだから、きっと機嫌がいいに違いない。
そんな風に思ってしまうのもまた、よくないことなのだろうか。
◇
「お兄様、見てください大きい」
「サメか。こんなのが海にいると思うと怖いな」
「ええ、でもすごく勇ましい。こんなのに襲われたらどんな人間もひとたまりもありませんね」
水族館の中に入るとすぐに大きな水槽が広がり、その中をサメが優雅に泳いでいた。
最もここにいるサメは肉食なんかではないそうで、渚が思い描く狂暴なものとは少し違うのだけど、彼女にはサメに捕食される人間の姿とやらがはっきり想像できているようだ。
時々小言が漏れるのだけど、「教頭」とか「入江女子」とかのワードが聞こえてくるのは一体どういうことなのだろうか。
俺が何か質問をしようとすると、それを遮るように「次に行きましょう」と笑う。
渚は、今日も不穏だ。
「お兄様、手を繋いでもよろしいですか?」
「別に今更だろ。はい」
「お兄様、ずっとこうしていられるといいですね」
「あ、ああ」
俺はむしろずっとこうである未来予想図しか頭に思い浮かばないんだけどな。
まあ、それも今となっては悪い話でもないが、しかし渚がいつか何かとんでもないことをやらかさないか心配だ。
その時、俺はそれでも彼女を好きでいられるのだろうか。
「あれ、向こうにいるの涼宮じゃ」
「そうですね。でも、よく見つけましたね」
「い、いやたまたまだよ。それに一緒にいるのは……誰だ?」
涼宮の隣にいる、少し年上のお兄さんともおじさんとも呼べる相手に俺は見覚えがない。
彼女の両親の顔は知っているし、あいつに兄妹なんていない。
もしかして、彼氏か?
「へー、あいつも男とこういうとこ来るなんて意外だな」
「……お兄様、渚は気分が悪くなってきたので少し外で休みませんか?」
「え、うん。大丈夫か?」
「はい、少しお手洗いに行って参りますのでお兄様はベンチに腰かけて待っててください」
どこも顔色が悪そうには見えなかったが、渚は俺に荷物を預けて行ってしまった。
俺も言われたとおりに外に出た。涼宮の邪魔をしても悪いし、大人しく渚を待とうと、自動販売機でジュースを買ってから渚を待つことに。
しかし涼宮の奴、年上と付き合ってるならいえばいいのに。
そういう話とかしないからな。学校で今度聞いてやろうか。
そんなことを想いながら数十分。
渚が帰ってこない。
一体どこまで遠くのトイレにいったんだよと、迷子になっていないか心配になり探しに行こうと立ち上がったところで渚が手を拭きながら戻ってきた。
「お待たせしました」
「ああ、随分長かったけど大丈夫なのか?」
「ええ。もう問題はありません」
「そうか。じゃあ行こう。涼宮には会ったりしていないのか」
「そこでばったりと。でも、もう大丈夫です」
「?」
「いえ、なんでも。ではいきましょう」
渚は、手を拭いていた綺麗なハンカチをゴミ箱にポイっと捨てた。
「おい、いいのかあれ」
「ええ、汚れてしまいましたから」
「でも、高そうだし洗えば」
「いいんです。それより私、深海生物のコーナーに行きたいです」
この後俺たちは水族館デートを満喫した。
大満足の様子だった渚は水族館から帰った後、俺が買ってやったあざらしの人形を大事そうに一日中抱えていて、寝る時もずっとはなさなかった。
そんななんでもない休日の翌日。
朝、テレビのユースで昨日訪れた水族館が映っていた。
「えー、水族館で発見された裸で気を失っていて、その場で現行犯逮捕された男は取り調べに対し「女子高生にやられた。俺は被害者だ」などと供述しておりますが、監視カメラには映像が残されておらず、引き続き調査を……」
公然わいせつで一人の男が捕まったそうだ。
そんな事件があったなんて知らなかったが、映し出された犯人の顔を見て思わず「あっ」と声が出た。
「これ、昨日の……」
そう。昨日涼宮と一緒にいた男だ。
一体これはどういうことだ?
「な、渚。この人って」
「お兄様。涼宮様は一緒にいた相手の方がこのようなことになって大変心が傷ついていると思います。くれぐれもこの話題を彼女にしないように」
「え、まあわかってるけど。でも」
「しないように。いいですね?」
「う、うん」
渚は少し怒気を強めるように俺に言う。
その様子から、何かあったのだろうと俺はすぐに察した。
しかし一体何が?
「お兄様、今日はお家でゆっくりしましょうね。食材もたくさん買い込んでいますので、一緒にゲームでも嗜みましょう」
そう言って渚はそっと内側の鍵をガチャッと閉める。
どうやら今日は、家から出してもらえないようである。
「さてと、朝食を済ませたら何をされます?」
「ええと、まあテレビでも」
「渚は、いかがですか?」
「ごくっ……」
渚がちらりと胸元を出してきて、俺は思わず唾を飲む。
そして言われるがまま、明るいうちから二人で布団に入る。
こうやってまた、悩んでいることが一つ頭から消える。
そして充実感と疲労感で眠気が襲い、真昼間から眠りにつく。
余計なことは考えない方が幸せなのかもしれない。
俺には渚がいるじゃないか。
そう言い聞かせるように頭の中で想いを巡らせて、夢の中に落ちていく。
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