手段その35 親

「親父、どうしたんだよ」

「渚ちゃんも一緒か。まあいい、中に入りなさい」


 怒っているようにも呆れているようにも見える疲れた親父の姿を見て、これから何を言われるのか不安が押し寄せる。


 ただ、その一言目に発せられたのは意外な一言だった。


「……離婚しそうだ」


 親父は席に着く俺たちの向かいに腰かけると同時に、肘をついてゲンドウポーズをとってため息。


「え、離婚!?」

「ああ」

「け、喧嘩でもしたのか?」

「いや、そうじゃない。昨日も仲良く一緒に寝たくらいだ。それなのに今朝、こんなものが」


 親父が胸ポケットから出してきたのは小さなメモ。

 そこには綺麗な女性っぽい字で一言だけ『お世話になりました』と書いてあった。


「な、なんだよこれ。優子さんは出ていったのか?」

「ああ。それでこっそり渚ちゃんに優ちゃんの状況を聞いてもらおうと思ってたんだけど……一緒にいるなら話は早い。渚ちゃん、優ちゃんとは連絡とれるかい?」

「ええ、多分取れると思いますけど」

「すまない。女々しいようだが心配だから連絡とってみてもらえないか?」

「わかりました」


 渚が電話をかけると、すぐに優子さんは電話に出たようで何かを二人で話している。


 その様子を心配そうに見守る親父は今にも泣きそうで、急に老けたようにも見える。

 

「母と連絡がとれました」

「な、なにか言ってたか?」

「一度戻るそうですが、お話があるそうです」

「そ、そうか。いや、よかった。このままだったらどうしようかと思ってたから」


 ホッと一息ついた親父は、ようやく安心したのか俺たちにコーヒーを淹れてくれた。

 それを飲んで落ち着いていると、今度は親父の携帯に優子さんから連絡が。


「ちょ、ちょっと出てくる。飲んだらカップはそのままでいいから帰ってなさい」


 親父はそそくさと奥に。

 それを見て俺と渚は一度店を出ることにした。


「びっくりしたなあ。でも、急にどうしたんだろ?」

「母はあまり感情を表に出しませんから。何か思うところがあったのかもしれませんね」

「うーん。せっかく親父とうまくいってると思って安心してたけどわからないもんだな」

「大丈夫です。話せばきっとわかってくれますから」


 母のことは実の娘である私が一番よく知ってます、と力強く話す渚を見ていると、なんだか知らないが大丈夫な気がして、結局学校は休むことにしていたのに朝から二人で暇になってしまった。


「お兄様、せっかくなのでお出かけしませんか?」

「いや、学校を休んでるからあんまり外に出るのは」

「それでは……おうちでさっきの続き、します?」

「う、うん」


 そんな展開を全く期待していなかったといえば多分嘘になる。

 こうなるのではないかとソワソワしていた俺は、親父が離婚危機で悩んでいるというのに、渚と真昼間から学校にも行かずイチャイチャしたのだった。



「渚……むにゃむにゃ」


 お兄様、ゆっくり眠ってらっしゃるようですね。

 素敵……。


 でも、なにもお義父さまを不幸にしたくて意地悪をしたわけではないのでお許しください。

 母は少々天然ですので、私が渡したメモを中身を見ずにそのまま朝にお出かけしてほしいと頼んだら、理由も聞かずに従ってくれました。


 ふふっ、あとはお義父さまに私とお兄様の仲を認めさせれば万事解決。

 障壁はどこにもなくなりますわ。



「う……ん。おはよう渚」

「おはようございますお兄様」

「お、親父から連絡は?」

「母からありました。もう仲直りされたようです」

「そ、そうか」


 どうやら眠ってしまっていたようだ。

 携帯を見ると親父から俺にもラインが入っていた。


『父さんは何も言わないから安心しろ』


 と意味不明な内容だったが、とりあえず大丈夫ならそれでいい。


「腹減ったな。何か食べにいく?」

「ええ、いっぱい汗かきましたから。それともまだ動き足りませんか?」

「え、それは」

「寝起きにするととてもよかったもので。どうかなと」

「う、うん」


 正直連日のことで俺の体はへとへとだったが、どうも俺の本能とやらは休むことを許してくれない。

 どんなに怠くても疲れていてもしっかり反応する体は正直に渚を求め、また時間を忘れて彼女を抱く。


 そして辺りが暗くなるまで続いたそれは、ようやく俺のエネルギー切れという形で終了し、二人でシャワーを浴びて食事となった。


「お兄様、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。ちょっとフラフラするけど」

「無理なさらないでください。もし疲れているようでしたら渚特製のスープをおつくりします」

「ああ、あれは体調悪い時に飲んだら効果覿面だったもんな。うん、そうしてもらおうか」

「はい、お待ちくださいね」


 渚はすぐにキッチンで鍋を取り出し、調味料や具材を入れて火をかける。

 

「待つこと一時間、ですね。それでは出来上がるまで、テレビでも見ましょう」

「そうだな。でも渚の飯はどうする?出前でも取るか」

「いいですね。では、ピザでも宅配していただきましょう」


 結局俺もスープだけでは物足りないだろうと、ピザを二枚頼んでその到着を待つことに。


 そんな時、涼宮から電話が。


「もしもし、あんた急に休んで大丈夫なの?」

「ああ、すまん。明日からは学校に行けるよ。今日は悪かったな」

「ならいいけど。渚ちゃんも一緒に休んだって聞いたから心配で」

「たまたま風邪がうつったんだろ。問題ないよ」


 そういえば、なんて今更思うほどのことでもなかったが、涼宮の声を聞いてなぜか疑問が沸く。


 なんで涼宮のことを、急に渚は許したのか。


 あんなに敵視していて、なんなら殺さんとばかりに睨みつけていた彼女を、まあ線引きはしっかりしてるにしても急に警戒レベルを下げたのは何かないと変だ。


 それに涼宮の態度も以前は渚に対して批判的だったのに今ではすっかり味方だ。

 もしかして何か彼女にも脅しを?


「渚、涼宮が心配の電話をくれたよ」

「そうですか、涼宮様が。優しいですね彼女は」

「ああ。そういえば涼宮と随分仲良くなったような気がするけど気のせいか?」

「気のせいです」

「え、あ、そう」

「まあ、しいて言うなら格付けが済んだ、という感じですかね」

「格付け?」

「いえ、たとえ話です。それよりスープの味見してきますね」

「あ、ああ」


 頑なに涼宮とのことは言いたがらない彼女は、さっさとキッチン場の方へ行ってしまった。


 もちろん怪しいとしか思わない。

 でも、渚が俺に聞こえるくらいの声で「このお鍋、ひっくり返ったら火傷しちゃいますねえ」なんて独り言をいうから俺はさっさとこの話を忘れることにした。


 

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