手段その18 膝枕

 もう何もする気が起こらない。

 食事を終えて、渚が風呂に入っている今が一瞬の安らぎだ。


 いや、彼女といても普通にしてくれているならそう大した害があるわけでもない。

 でも、執拗に俺に迫り嫉妬に狂うと暴力を、いやもはや殺人も厭わない彼女だから俺は神経をひどくすり減らしている。


 今なら鍵を盗んで外に出ることも可能かも、なんてことは考えてからすぐ自重した。

 そうできた時のメリットより、失敗した時のリスクがあまりに高すぎる。


 やはり俺は渚を説得して、健全な関係に落ち着く必要があるというわけだ。


「お兄様、あがりました」

「……ちょっと話があるんだけど」


 さっき俺を殺そうと考えていた人間と話し合いなんて、恐怖以外の何者でもない。

 でも、唯一の脱出の糸口であるベランダに続く窓の鍵はなぜか南京錠がかけられているし、窓ガラスもさっき少し触ってみてわかったのだけど、多分普通のものではない。


 防弾ガラスか強化ガラスか。

 なんにせよ人力で破れそうな類のものではないのを俺は知っている。


 店の防犯のためにと、親父が以前に店の入り口のガラスを強化ガラスにした時にいろんな材質のものを試していたから、俺もそれに触れたことがある。


 だからわかるが、多分椅子やベッドを投げつけても割れないのだろう。

 つまりは、この部屋から出る術は今のところないわけで。


 そうなるともう、話し合い以外に方法はない。

 追い詰められて開き直って、ようやくその勇気が出たのは不幸中の幸いといえる。

 ただ、何から話せばよいやら……


「お話ですか?ええ、お兄様と話せるならなんでも嬉しいです」

「ええと。俺はお前のことが嫌いなわけでも他に好きな奴がいるわけでもないと何回も念を押したうえで話すけど、お前とそういうことはしない」

「そういうこととは?はっきり言っていただけないとわかりません」

「……エッチなことはしないって言ってるんだ」


 今時のことだから、別にエッチしたから結婚しないといけないとか、責任取れとかそんなことを言われるのが怖くての話ではない。

 一度彼女を受け入れてしまえば最後、彼女の病的思考は加速するだろう。

 そうなると俺は一生彼女の奴隷。それが嫌だから、敢えてここははっきり言う。死ぬ覚悟で。


「兄妹とか男女以前にそういうことは早いんだよ。会っていきなりエッチしようなんて女のことを、男は好きになれないぞ」

「……そうですね。私、早くお兄様に抱いていただきたくて少し必死過ぎたのかもしれません」

「そ、そうだよ。いくら避妊してもそう簡単にそういうことをするもんじゃない」

「お兄様のことも、他の下衆共と同じように性欲にまみれた獣のように扱ってしまっていたこと、深くお詫びします。お兄様は紳士ですものね」

「あ、ああ」


 思ったより話を聞き入れてくれている。

 まだ油断はできないが、話次第では渚とそういう関係にならずに済むかもしれない。


 もちろん俺だって渚ほどの美人であれば抱いてみたいという気持ちがないわけではない。いやむしろありすぎるくらいにある。

 でも、その後のことを考えたらやはり無理だ。

 だから既成事実を作られる前にこうして予防策を提案しているわけだが。


「でも、お兄様は性欲をどのようにして発散されていますか?」

「え、まあそりゃ一人で……っていいだろ別に」

「いいえ。お兄様がお一人で慰められることまでお咎めするつもりはございませんが、どのような教本をご利用の上でなされているのかは知る必要があります」

「え、どんなエロ本を見てるかって話?」

「ええ。兄妹ものの、それもアニメーションや漫画などの書物であれば構いません。ですが実物の女性のものはダメです。それはやはり背徳行為だと」


 つまりエロ漫画やアニメはいいけどAVとかはダメということ。

 ……それって結構辛いな。


「もし、実際に女性の裸体を拝見したければ渚をお使いください」

「そ、それはダメだよ意味ないって」

「でしたら他の女性の裸を見ようなどとは思わないことです」

「も、もし見たら?」

「その女、殺します」


 これは冗談や言葉の綾ではない。

 明確に、はっきりとその女性を言葉通り殺すのだと、渚の目はそう語っている。


「わ、わかったよ。俺も約束は守るから渚も、一緒にいる時に変なことはなしだ」

「では、そういう行為を迫らなければお兄様に甘えてもよいと?」

「……まあ、兄妹だし」

「まあ。では早速」

「お、おい」


 向かいに正座して座っていた渚がごろんと俺の足元に頭を持ってくる。

 

「お兄様、頭を撫でてください」

「え、でも」

「それくらいしてくれないと、私寂しさで死んでしまいます」

「わ、わかったよ」


 まるで膝に乗る飼い猫を撫でるように、甘えてくる渚の髪を撫でる。


 艶やかで、撫でるたびにふわっといい香りが俺の鼻孔に届く。

 シチュエーションと香りに俺の頭はクラクラするが、渚は俺に全てを委ねるように目を瞑る。


「渚?」

「お兄様の手、大きくてあったかい。私、お兄様が大好きです」


 こんなかわいい子に、そこまで言わせておいて何もしないどころか拒否する権利が、果たして俺にあるのかと、俺に甘える渚の頭を撫でながら考える。


 このまま彼女と一緒になって、二人で楽しく暮らすという選択肢もあるのではないか。

 ふとそんなことを考えさせられたのも、きっと彼女の異常なまでにいい香りとその端麗な容姿によるものなのだろうか。


 でも、襲われないとわかっただけでここまでホッとするのだから、やはり俺と渚は恋人ではなく兄妹として、仲良くしていくべきなのかもしれない。


 そんな葛藤を浮かべながら、俺は彼女の頭をそっと撫で続けた。


 

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