第181話 星

 世界の見え方はほんのちょっとしたことで変化してしまう。

 それまでは奇妙な生き物に囲まれた大陸だとしか感じていなかった。

 マクシムにとっては世界そのものが変わったようだった。

 

 暗黒大陸が今まで見たことのない生き物で覆われている気がしていた。

 動物でも植物でもない。

 いや、植物なのだが、動物でもある。

 今までとの違いはそれだ。

 植物でないのだから動物だろうという判断で終わっていたのが、植物である部分が認識できるようになっていたのだ。

 ほとんど植物で、わずかに――本当にわずかな部分だけ残るナニカ。

 そういう生き物ばかりに見える。

 つまり、それまで以上に奇妙な生き物ばかりの大陸だと感じるようになったのだ。

 『庭師』としての能力の底上げ。つまり、分解能の向上が起きていた。


 その反動は明らかだった。


 マクシムはぐわんぐわんと揺れる視界の中で思った。世界が回っているのか、自分が回っているのかも定かではない。

 ただただ、気持ち悪い。

 吐き気はないが、弱い頭痛はしていた。


「マクシムさん、大丈夫なのです?」

「うん、でも、ちょっと休ませて」


 マクシムは自分でも体中から血の気が失せている自覚があった。

 手足が冷たい。

 冷たいだけでなく、重りでもついているような鈍さがある。

 ギンはスピードを緩めて移動しているが、その揺れが原因ではないのであまり関係ない。


「横になってくださいです」

「んー、そうすべきなんだろうけど」


 ギンの背中は寝ころべるくらいには広いが、それでも荷物やルチアのポジションを考えると微妙だった。


「あ! 佳いことを思いついたのです!」


 何さ、と問い返すのもおっくうだったので、マクシムは視線で促す。どんな思いつき?


「ルチアのここに頭をどうぞです!」


 ルチアは少し頬を赤らめながら、膝枕を勧めてきた。


「いや、ルチアちゃんも万全じゃないんだし、そっちこそ横になりなよ」

「マクシムさんの方が絶対に休んだ方が良いのです。ルチアは問題ないのです」

「いやいや」

「いやいやいやなのです」


 結果、二人が身を寄せ合ってギンの背中に寝転ぶことになった。

 時刻は夕刻に近くなり、そろそろ、休む時間である。

 暗黒大陸はところどころで異常に過酷な環境が偏在しているが、この辺りは比較的穏やかだ。

 ここが暗黒大陸のどこら辺になるのかも分からないが、星が見えてきた。


 当たり前かもしれないが、マクシムの生家から見る星とは違う。

 知らない星だった。

 星は徐々に増える。

 暗くなってきたので、そろそろ野営に備えなければならない。どちらにせよ、少し休みが必要で、それなら移動していた方が良いという判断である。

 ルチアがポツリと呟く。


「空は広いのです」

「そうだね。知らない星が見えるけど、あれはどういう名前なんだろうね」

「ルチアにもそれは分からないのです。いえ、そもそも、まだ名前のない星かもしれないのです」

「誰も知らない星かぁ……」


 横になることでかなり楽になった。

 上が拓けているので、視覚から入る情報が多くないからだろう。

 マクシムはできるだけ深く呼吸をしてから呟く。


「あのさ、本当に帰ろうって言ったらどうする?」

「本当の本気の話です?」

「うん」

「マクシムさんが本当に提案していることは分かるのです」

「分かるんだ」

「はいです。ルチアとマクシムさんは同じ町の出身なのです。気持ちは分かるのです」


 知らない星を見て、異郷の地にあることを痛感した。

 それから故郷に思いを馳せた。

 そこでほんの少し。

 ほんの少しだけいろいろなことが嫌になったのだ。

 死にかけたり、ルチアが殺されかけたり、そういうことが積み重なり、全てを投げ出すことを想像した。

 もちろん、ぐるんぐるんと世界が回るような気分の悪さも重なった弱気の想像だ。

 ただ、本当に帰りたくなった。


「全てを捨てて逃げ出しても、ルチアはマクシムさんにずっとついていくのです」

「うん」

「マクシムさんとルチアの間には四人の子どもが生まれるのです。イレーナ、リリアナ、チアラ、グイド。三女一男です。幸せな家庭なのです」

「まるで知っているみたいだね」

「知っているのです。それが元々正しい歴史なのです」

「正しい歴史かぁ。そんなものがあるの?」

「はいです。元々はルチアが学校を卒業した後にマクシムさんと結婚してからの話なのです。ここで逃げ出したとすると、それに近似した形に収束していくのです。もちろん、ナタリアさんのことがあるので、そこまで近くならないのです」


 ナタリア。

 その名でハッと我に返る。

 仮に逃げ帰るとしたら、その居場所さえもマクシムは失うのだ。最愛の居場所さえも失う。

 それだけは嫌だ。


「ナタリア……」

「マクシムさんは逃げないのです。ところで、話を変えて良いです?」

「……うん」


 感傷に囚われそうになっていたので話を変えてくれるのならちょうど良かった。


「神様のお話なのです」

「本当に全然話が変わるんだね。この世界からいなくなったって神サマ? それがどうしたのさ」

「神様はいなくなったのです。言い換えると、確実に存在していたのです」

「まぁ、そうなのかな。そもそも、神サマってあんまりどういう存在か分かっていないけどね」

「全知全能。創造主。いろいろな側面はあるようなのですが、超越的な存在という意味では間違いないようです」

「でも、もういなくなったんだよね。全知全能ってことは、何でもできるんだよね。よく考えたら不思議だね」


 正直、マクシムは心ここにあらずに近い状態で、フワフワしていた。

 先ほどまでの、全てを投げ出したいという気分に若干落ち込んでいたからだ。自己嫌悪である。


「マクシムさん、神様がいない世界というのはかなり不自然なのです」

「そうなの?」

「神様は自身の無力さを知る人類種にとっては必要なのです。自分よりも圧倒的に優れた存在に導かれることをヒトは心のどこかで望んでいるのです。いえ、自分の無力さを何か超越的な存在のせいにしたいのです」

「そうなのかな。そう言われてみるとそうかも。うん、でも、そういうものだよね」

「マクシムさんは無神論者というわけではないのです。そういうものだと知っているだけなのです」

「うん。別にいないならどっちだって良いと思っているだけだね。実際、僕らは普通に暮らせているし、全然問題ないでしょ」


 ルチアはマクシムの手を取った。


「とても冷たいのです」

「ルチアちゃんは手が温かいね」

「マクシムさんが苦しんでいるのがおかしいのです」

「そんなことはないよ」

「神様がいたらマクシムさんは今苦悩していないのです。これはそういう物語なのです」


 ルチアはそう言った。

 意味は分からなかったが、何かとても重大なことを示唆しているようだった。

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