第179話 奪還

 ルチアがさらわれた。

 相手は『魔王』に寄生された勇者だという。

 それがどんな人物だったのか、マクシムには分からない。

 だが、ルチアの態度から想像すると、あまりまともな相手ではないようだった。


 その、まともでない部分が残っているかどうかも謎だが、もしも、残っていたとしたら……ルチアの身は本格的な危機的状況だった。


 それはダメだ。

 それだけは許せない。


 だが、マクシムはもう能力を限界近くまで発動させていたので、そこからどう追えば良いか分からない。

 仮に無力であったとしても、何もしなくて良いわけがなかった。

 マクシムは能力をさらに振り絞る。


 限界の先を突破するイメージ。

 体内の水分を絞り出す感覚。

 脳の血管が破裂しそうなほど力を込める。

 目の端に強い痛みを覚えるが、それでもためらわずに力を出し尽くす。


 マクシムの植物が、『魔王』の枝を押しのけ始める。均衡状態、いや、やや劣勢から優勢へと転じ始めていた。


 もっと。

 もっとだ。

 まだこの先にいける!


 そう思った、その瞬間だった。


 何かを突き破るような、壊れる音がした。


 あ。

 ダメだ。

 これ以上力を使うとマズイ——というのはマクシムの勘違いだった。

 

 


 それを感じられたのは、見えなかったからだ。

 周囲全てをマクシムの樹で囲っていたため、音しか分からなかった。

 だが、何が起きたのか分かった。

 それは鳴き声が届いたからだ。


 んにゃあああああああああああ!


 そして、破壊音が続く。

 ギンだ。

 ギンが何かを感じ取り、施設を破壊しているようだ。

 マクシムは冷や汗が流れる。

 それは、能力を振り絞り火照った体から血の気が失せるような感覚だった。

 ルチアがさらわれた時とは似て非なる感覚。


 怖い。


 強い恐怖心に襲われていた。

 周りの見えない目隠しのような状態で、すぐ傍にある破壊行動だ。

 怖くないわけがない。

 この施設はギンのいたところほど強固ではなかったかもしれないが、それでも数百万年だかの時間を耐え抜いたのだ。

 それが簡単に破壊されていた。

 想像を絶する戦闘能力を実感する。

 戦闘機械生命体のギンとはここ最近付き合いが続いていたが、明らかにルチアに懐いている。

 マクシムのことを考えてくれるかは微妙だった。

 巻き込まれてしまえばただで済まないだろう。


 にゃあああ! にゃあああああああ!


 ギンは叫び声から察するに怒っているようだ。かなり激怒しているようだ。それは破壊行動の激しさからも伺える。

 何がギンをそこまで怒らせているのかは分からないが、ルチアがさらわれた件とも無関係ではないはずだ。

 マクシムは叫ぶ。


「ギン! ルチアは根元だ! 死体が転がっている方だ!」


 それはほとんど賭けのようなものだった。

 ギンが理解してくれるかどうかも賭けだったが、そもそも、本当にルチアがあの『魔王』になり損ねた死体の傍にあるかどうかも賭け。

 ただ、ルチアが連れ去られた方向からの不確実ながらの予測ではあった。

 あの死体に見える存在は何らかの怨念、いや、呪詛を発しているような気がしていた。

 それに連れ去られたのだ、と。


 一瞬だけ破壊音が止まる。


 にゃあん


 伝わった。

 ギンは理解してくれた。

 マクシムにもそれが分かった。


 それから破壊に方向性が生まれた。

 ただ、単純に怒りをぶつけるようなそういう行動ではなかった。

 マクシムを押さえ込んでいた『魔王』の枝の圧力が明らかに弱まる。

 能力の発動を限界まで行い、枝を押し返す。

 それはギンへの援護の意味もあった。


 ギンの破壊音は、マクシムが『魔王』の枝から完全に脱せられる時まで続いた。


 そして、自分の生み出した樹から這い出て、マクシムは見た。

 ギンがその爪と牙を用いて『魔王』の、いや、『魔王』になり損ねた勇者を切り裂く瞬間を。

 乾燥していた枯れ木のような存在が木端微塵に砕け散る。

 わずかに『魔王』の枝が蠢くが、それは最後の力だったのだろう。

 完全に『魔王』のなり損ないは停止した。


 そして、ギンはその近くにあった『魔王』の枝のふくらみを爪で裂いた。

 一直線だったのは匂いを辿ったのか、囚われていたルチアを助け出した。

 ルチアは遠目にも、ぐったりと眼をつぶっている。

 ギンは吠えた。


 にゃあああん!


 それは勝利の咆哮か。

 それでもルチアは失神したままだった。

 ただ、気を失っているだけでケガをしているわけではなさそうだった。

 ギンはルチアを優しくくわえて、こちらに向かって歩き始める。

 悠然と。

 誇らしげでさえあった。


 それはまるでお姫様を奪還した勇者のようだった。


   +++


 ギンがあれほどまで怒り狂ったのは二つの理由があった。

 一つ目は無論、ルチアに危害を加えられたから。

 そして、もう一つは昔の話になる。


 ギンには仲間がいた。

 二十頭で一個小隊という獣軍である。


 二十頭のうち、七百万年という超長期間を耐えられなかった十三頭は自然と朽ちている。

 だが、ギンを含めた七頭はつい七十四年前まで生き残っていた。


 それを利用しようとして、失敗したのが『賊党』フランチェスカ・ベッリーニだった。

 彼女はただ失敗するだけでなく、ギン以外の六頭を壊してしまった。

 ギンだけは無事だったが、それを知っていたからこその怒りだった。


 ギンは単体でも竜と互角以上に戦える戦闘機械生命体である。

 だが、二十頭揃っていた場合の戦闘能力はその比ではない。

 彼らは元々、単体での戦闘能力で計算されて生み出されたわけではないからだ。


 完全な獣軍としての彼らを、現代では止められる存在はない。

 それは仮に英雄たちであっても不可能であった。

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