第110話 絶対

 マーラ・モンタルド大尉は『さむらい』屈指の名家の出である。

 ただし、本家ではなく、傍流ぼうりゅうであった。

 主家の人間たち――たとえば、従兄は『士』の中佐である。

 将来性も高く、大佐も狙えるポジションだ。


 それに比べれば、もう『士』は引退してしまった両親は、少佐と大尉だったので、やはり本流とは言い難いだろう。

 無論、その地位に上り詰めただけでも本来であれば凄いことなのだが、モンタルド家の人間としては凡庸だった。

 それを残念に思い、コンプレックスとしている面があった。

 だから、マーラにかけられた両親の期待も大きい。


 ただし、別にマーラは両親の期待に応えたくて、少佐を目指しているわけではない。

 佐官は暗黒大陸への派遣が義務となっている。任務とはいえ厭う人間もいるが、そうでない例外もいる。

 マーラはその例外、暗黒大陸へ渡りたいと考えていた。


 不思議なのだ。

 どうして、あの世界には人類の敵ともいえる種が存在しているのか?


 この世界には、神さまがいなくなったため、守ってくれる存在はない。

 それが故に、侵略をしたいと考えているのかもしれない。

 しかし、それは数ある仮説の一つだ。

 人類種は、何も分かっていないに等しい。


 モンタルド家は『士』の中では名家であるが、英雄のなり損ねである。

 七十六年ほど前、本家の人間が英雄を志願し、暗黒大陸に上陸したが、道半ばで命を落としてしまっている。

 そういった経緯があるため、マーラには夢があった。


 『士』の佐官になり、暗黒大陸へ行き、そこで調査をしてその実体を調べる。

 しかし、それはかなりの難題であった。

 マーラはこの試験での最難敵と対峙していた。


 マクシム・マルタンは大人しげな少年だ。

 だが、口元をキュッと結んで、精一杯の強がりが見える。

 マーラは彼が虚勢を張っていることも理解している。

 戦闘に向いた性格はしていない。のだろう。


 だが、能力は別だった。


 振り下ろされる、樹の太い枝。

 それをマーラはどうにか避けるが、追撃は逃げられずに、ほとんど叩き潰される角度で弾かれた。

 視界の外からの攻撃は一応分かっていた。

 分かっていたが、まともな人類種に回避中の回避は不可能だ。

 防御魔法でどうにか衝撃を吸収するが、完全には受けきれずに息を漏らす。


 痛み。

 視界が揺れる。

 幾度も、幾度も樹に打ち付けられた。

 もう限界はそれほど遠くない。


 マクシムの能力は半自動的なのだろう。

 彼の視線だけでは、能力の発動タイミングも方向も何も分からない。

 マーラは反撃の手段をもうほとんど有していない。

 魔力も防御だけで尽きかけているし、拳銃も取り落した。ポケットの石もいつの間にかなくなっている。

 反撃する気力だけではどうしようもない。


 それにしても、冗談のような状況だった。

 戦闘経験のない素人相手に、『士』の大尉が子ども扱いだ。

 まるで光明は見えない。

 だが、マーラは諦める気はない。

 仮に敗北するとしても、それは完全に意識を刈り取られた後で、最後まで抗し続けるつもりだった。


 その時、マクシムが攻撃を中止した。

 間。

 そして、彼は逡巡した後、どこか悲痛な声で叫んだ。


「どうして!」

「…………何が?」

「どうして、そんなに耐えるのさ……?」


 マクシムの声は震えていた。

 覚悟を決めたと言っていた。

 そして、実際に実力行使を開始した。


 それでも、人を傷つけて何の感情も動かないわけではないのだろう。

 手加減はしないし、彼なりに本気なのだろう。

 戦うとしても、一方的になぶって気持ち良いわけではないのだろう。

 その優しさという名の弱さが少しだけ漏れていた。


 その時、マーラはわずかに勝機を感じ取っていた。

 マクシムは彼女に降伏してもらいたがっている。

 交渉次第では隙をつくことができるかもしれない。

 ただ、何度も樹の太い枝で打ち付けられたから、頭が回っていない。


「ボクには夢があるから」


 故に、マーラが選んだのは本音を語ることだった。


「夢?」

「うん。暗黒大陸へ行くって夢があるから負けられないよ」


 意識が朦朧としていて、マーラはそれ以上説明する気になれない。

 ただ、マクシムには何かが響いたようだった。


「そう、なんだね……」

「うん」

「じゃあ、徹底的に戦わないと負けてくれないんだね。その夢が大切であればあるほど、ボロボロになっても戦い続けるんだよね」

「え」

「覚悟に敬意を表して、全力で戦うから。意識を飛ばさないと負けてくれないみたいだから……僕も本気で倒すね」


 あるいは、感銘を受けたのかもしれない。

 だが、覚悟を決めたマクシム・マルタンには、その決意をより強固にする結果にしかならなかったようだ。


 ──失敗したなぁ。


 だが、どちらにせよ、意味はなかったのだろう。

 それでも、ほんの少しでも交渉し、抗ったのは――モンタルド家の人間として誇らしかった。

 負けても諦めなかったのだから。


 樹の形をした絶望が目前に迫る。

 樹の軋む音から、今まで以上の速度、威力であることは間違いない。

 もうマーラには防御する余力が残っていない。

 霞む目で、その暴力を受け入れようと決めた。

 敗者の矜持だ。

 その時だった。


!」


 快活な少年の声が響いた。

 何が起きたのか分からない。

 だが、マーラの目の前、迫る樹との間に、何かが現れていた。

 そして、樹に触れたかと思うと、軽い音を立てて、弾き飛ばしていた。

 そして、接触した勢いで、それと連動した膨大な数の樹木が消し飛んでいた。


「え」

「え」


 マーラの口からだけでなく、マクシムの口からも疑問符が漏れた。

 本当に、何が起きたのか分からなかった。

 いきなり現れた少年が、マクシムの攻撃を軽い調子で防いだなんて、その時のマーラにはまるで理解できるわけがなかった。


 少年は肩越しに振り返った。

 美少年だ。

 柔らかく笑っている。

 神様に付き従ったという、この世界からいなくなった天使のような微笑だった。


 美少年の名前は、ジャンマルコ・ブレッサ。

 階級は特務大尉。

 彼に冠された字名は『絶対』。

 ジャンマルコはマクシムに対して宣言する。


「さぁ、マクシム・マルタン! 君は好き勝手やっていたみたいだけど、このジャンマルコ・ブレッサ特務大尉がに止めてやるからな!」

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