第98話 ディアナの役割

 ディアナ・フェルミ大尉は土人形使いである。

 彼女は作った土人形を人間と見間違えるレベルで緻密に動かすことができる。

 壊れることを恐れなければ、人間以上の動作も可能だ。


 彼女のウイークポイントは、動かす土人形の数をあまり多くすると体力的にも精神的にも保たない点。スタミナに優れていない。

 更に加えると、あまり土人形の方に意識を集中すると、自分自身のことが疎かになってしまう。


 現在、ディアナはたった一人で四人分の囮役として、森の中に侵入していた。他の三人分は土人形でカバーしている。

 木が、茂みが、行く手を邪魔するが、どうにか進む。


 ディアナは最初、ウーゴ・ウベルティ大尉の策を聞いた時、反対に回った。

 自分が捨て駒のような囮役になりたいわけがない。

 だが、その他の役割に比べて著しく危険ではないことが分かり、最終的には承諾した。


 マクシム・マルタンの弱点は何か?

 まず考えられるのが『戦闘経験の少なさ』である。

 たとえば、ディアナはまだ若いが、非合法組織を独力でぶっ潰したことや佐官に随伴して暗黒大陸での監視任務をしたことがある。

 それ以外にも裏稼業らしく手を汚してきたし、極限状況での駆け引きだってしてきた。

 それは他の『士』の大尉たちも同様。実任務は綺麗事だけでは済まされない。

 だが、マクシムは能力的には異端であっても、普通の少年として暮らしてきた。

 最近になって、多少は逸脱したのかもしれないが、経験値の差はかなりの弱点になるはずだ。


 次に考えられるのは、マクシムがこちら側の能力を知らないという点。

 誰かが教えている可能性がないわけではないが、彼だけは他の人間の手の内を知らないはずだ。

 だから、たとえば、ディアナが土人形を囮とするなんて想像もできないだろう。知っていれば想像できても、まるで知らないことは思いつくわけがない。

 情報量の差は明白にこちら側のアドバンテージになる。


 それと、ディアナはもう一つマクシムの弱点を見つけていた。

 作戦を開始し、森に入ってから分かったことだ。

 ディアナは独り小さく呟く。


「マクシム・マルタンにはつけ入る隙があります」


 森はもの凄い密度で成長していたが、ディアナはその中を移動できていた。

 かなり人間には辛い道だが、確かに通れる箇所があった。


 それは獣道だ。

 それは鳥の巣と空を繋ぐ道だ。

 それは虫の行き交う空間だ。


 人間以外が移動するためのスペースが至る所にあった。

 常人であればそれを見つけて移動に使うのは難しいかもしれない。

 だが、ディアナは常人ではない。

 特殊な訓練を積んでいる『士』の大尉だ。

 獣と同じくらい低い体勢で移動することも難しくはない。

 堅牢さを保持するためには不要な緩み。

 それは言い換えるとシンプルな答え。


「マクシム・マルタンはです。私たちなら、利用できます」


 マクシム・マルタンは優しい人間なのだろう。

 だが、それは『士』の隊員から見れば、隙としか思えなかった。甘いと断じても良いが、人間外の存在への配慮、島を生きる動物たちへの心配りは優しさの発露はつろだろう。


 一応、ディアナは罠の可能性も考慮しながら、移動を続ける。

 木になるべく触れないように、一般人から見れば超人じみた動きで移動し続ける。

 足は止めない。動かし続ける。

 目的地であるマクシム・マルタンの居場所は分からないが、あくまでも囮として索敵しながら森を移動する。


 マクシム・マルタンがどういう目的で『士』の一員になりたいのかは分からない。

 だが、特例としていきなり少佐になるのであれば、それを阻止するつもりだった。

 そんなこと、ディアナの立場から許せるわけがなかった。


 『士』隊員には、少佐以上の地位へ昇任したがらない人間もいる。

 佐官は数カ月から数年に渡る、暗黒大陸への派遣が義務だ。それをいとう隊員は一定数存在する。

 ただ、それは実力が伴っていないと考えるためで、任務そのものを恐れているわけではない。家族のことを考えて、などという人間はそもそも『士』の職を辞する。


 いや、恐れている人間もいるのかもしれない。

 『魔王の眷属』ではないにしろ、こちらの世界とは違った生態系が築かれ、常識外の存在が常態となった世界は──非常に危険だ。

 現実を知り、自分では人類の防人さきもりになれないと理解したら──恐れを抱くかもしれない。

 だが、実際に暗黒大陸に行ったことのあるディアナは恐れていない。

 実力もまだまだ成長途中だが、他の隊員たちと比べて、著しく劣っているとは思わない。

 だが、それでも、暗黒大陸の環境を思い出すと疑問には感じられる。


 英雄たちはどうやったら、あんな世界で三年以上も過ごせたのだろうか?

 そして、『魔王樹ゴッズ』を倒すという偉業まで果たせた実力とは?


 ──だから、英雄なのでしょうね。


 常人には計り知れない存在が英雄だ。

 ディアナは自分の器を理解している。

 英雄たちに比べれば凡才であり、世界を救うほどの人間ではない。

 だが、『士』の隊員としては十分に活躍しているし、戦い続けたいと思っている。

 それは消息を絶った友人への誓い。


 友人である『メイド天国』で働いていた

 『案山子』の模倣犯に殺された可能性もあるらしい。

 その詳細は不明。

 『士』の上層部なら知っている、伏せられた情報を知りたくて少佐になりたいと考えていた。


 ディアナは姿を消した友人のことを考えると、沸々と闘志が沸き上がっていく。

 あのスラムで、苦しい人生を共に闘った、戦友ともいえる存在。

 どうして生きて抜け出せたのに、という悔しさ。

 それを考えるだけで、ディアナの鼓動は早くなり、怒りで視界が燃え上がる。

 視野狭窄し、真っ赤になる視界。

 彼女は歯をギリと噛みしめ、それに耐えた。


 ディアナは自分が何も知らずに、親しい人が失われることを憂えていた。

 一種の生存本能の強さは彼女の強みだ。

 だから、なんとしても『士』の中枢に上り詰める必要があった。


 勝ちたい。

 勝ちたい。

 勝ちたい。


 ディアナの移動速度は徐々に上がっていった。

 冷静さを失い、火の玉のように彼女の心は燃え上がっていった。

 灼熱の思考。

 移動速度が上がったため、木肌や弾けた石で、彼女の頬が傷つく。

 しかし、それにも構わず、ディアナは自制できずに囮役として森の中を疾駆する。

 実は、彼女には既に囮役としての意識がない。

 ただただ、己の本能に従って、敵を探し、走り続ける。

 鼓動が激しく動いても、息がどれほど上がっても立ち止まらない。


 がいつ始まっていたのか、ディアナには理解できないし、自分の異常事態も意識できなくなっている。


 ディアナ・フェルミ大尉はいつの間にか、我を失っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る