鯨よりも深く

@chauchau

終わらせるつもりはある。


「人間は弱い生き物だ」


「酒にか」


 氷が音を立てる。

 傾けられた中身が喉を通る。合わせて動く女の喉を見つめていても何も始まることはない。


「詩的に酔いたい夜があっても良いじゃないか」


「後始末を任されないのであればご勝手に」


「うら若き乙女に夜の闇に消えろと言うのか」


「三十超えて乙女と言える胆力がある内は平気だよ」


「女はね。二十五を超えると一年ごとに若返るんだよ。そして、二十歳になったらまた歳を取っていく」


「錬金術師もびっくりだ」


 連れて来たこいつが悪いのか。

 付いて来た俺が悪いのか。


 髪に触れた指から伝わる熱が、夢ではないと殴りつけてくる。などと適当ぶるつもりもなく、現実だからこそ目の前の酒に逃げるわけにもいかない。


「髪を耳にかける仕草がセクシーだとよく言われるが、他人の髪で行うのは違うんじゃないか」


「この場合、私と君とどちらがセクシー担当だろうか」


「勘弁してくれ」


 食うか食われるか。

 酒に逃げてしまえば簡単だと囁く声に蓋をする。他人にとやかく言われようとも、譲れないものがこちらにだってある。


「強情だこと」


 それが当事者の一人だろうとも、俺じゃなければ他人なんだ。

 飲み込むしかない。そこに意味がなくたって。


「なら、お前が負けろ」


「ごめん被る」


 一杯だけの酒。

 どちらから言い出したわけではない決まり事。一時間にも及ぶ決闘に決着は……、着いていない。


「来週からフィンランドだ」


「風邪引くなよ」


 引き留めれば良いと笑ってくれた友人はもう居ない。誰も、呆れて何も言わなくなった。


 適当に置かれた硬貨。

 御釣りは出ない。


「次は勝つよ」


「そうかい」


 勝つ気があるなら勝てば良い。能力があるのにしないのは、罪じゃないのか。

 どうか、


 彼女が店を後にする。

 息苦しさから解放される。沈み込んでいた世界から浮かび上がる。


 ――惚れたほうが負けらしいね。


 くだらないと笑われて、くだらないと吐き捨てて、

 逃げ出せない、


 二十年以上続く関係を、

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