第22話
4月末から1年生は修学旅行、ゴールデンウィーク明から2年生が課外授業がある為、3年生はその期間、自宅で課題をする事になっている。2週間近くある休み。匠馬は午前中、自宅に戻り家事を熟すとバイトに出掛け、終わると智風のアパートに戻ってくる。
だが、課題に書類に、と忙しく話す暇など無いに等しかった。
あれから美弥子にも会ってない。何でも話せる間柄、と思っていたので、会えなくなると悲しいものがある。しかし、自分の顔を見ないだけで落ち着いて生活できるのなら、それに越したことは無い。美弥子の負担を減らす事だけが、恩返しになると信じて渡された仕事を熟した。
恋を自覚して、匠馬との関係を考えると暗い気持ちになった。キスされても、抱きしめられても、一度も彼から「好き」と言う言葉を聞いた事が無い。優しくはされても、言葉に出されないとどうして相手の気持ちが分からないのだろうか。
『匠馬は、あたしの事をどう思っているんだろう。』
考えたって相手の気持ちが分かる訳ではない。大きくため息を吐いた。
この日は、智風は昼からお婆ちゃんの部屋の掃除に精を出していた。課題を済ませ採点をしていたが、ついそっちの悩みに頭が行ってしまい、お婆ちゃんの部屋に逃げ込んだ。躰を動かしているほうが、悩む暇など無い。
「さ、続きしなきゃ!」
気合を入れて作業に取り掛かろうと、Vネックセーターの袖をまくり上げた。これは匠馬が昨夜着ていた服だ。何となく、何となくだが、着てみたくなり、こっそり着てみている。勿論、下は自分のスキニ-パンツを穿いているが。本来なら洗濯しなければならないのだが、ひとりの時間、匠馬の匂いに包まれていたくて。
「どうせ、今日は遅くなるって言ってたしね。よし、頑張るぞ」
最後の拭き掃除をする為、四つ這いになっていると
「智風ちゃん!?」
またしても素っ頓狂な声が聞こえ、顔を上げるとそこには聖也が立っていた。
「ごめんね、変な格好見せてしまって」
公園を2人で歩き、何時も明美と話すベンチに腰掛けると缶コーヒーを開けた。部屋に上げても良かったのだが、匠馬の私物もある為、散歩がてら公園へ誘ったのだった。
「いや、俺も連絡なしに来たのが悪い」
目のやり場がないのか、ほんの少し顔を赤くして視線を逸らした。智風は忘れているが、細身であっても男性物の服。胸元が大きく開き、谷間がしっかりと見えている事に気づかない。
「聖也くんって今、何処に住んでるの?」
「あぁ、1番上の兄貴がこっちで刑事してて。その兄貴のアパートに厄介になってんだ」
「え?お兄さん…、あ、聖也くんって三兄弟だったっけ。いいな、あたし、一人っ子だから、兄弟とか羨ましい」
「俺からしたら一人っ子の方が羨ましいって感じるけど」
「ぷっ。隣の芝生、だね」
「そうだな…。あのな、」
何時もと違う真剣な声に、智風は何かあったのか、と聖也を食い入る様に見詰めた。
「…智風ちゃんは、鮎川の事どう思ってんだ?」
「え?…何、いきなり…」
「何も知らないと思ってんのか?恋愛感情が有るか、無いか、を聞いてるんだよ」
突然な質問。それに怒りを含んだ表情の聖也が怖く、智風はどうしていいか分からず、身を縮めた。
「…智風ちゃんは…鮎川の事、好き、なのか…?」
細かく震える睫がゆっくりと下り、影を作る。そして、智風は首を縦に動かし、きゅっと唇を噛み締めた。
「じゃあ、付き合ってんのか!?」
張り上げられた声に躰を竦ませながら、今度は頭を横に振って見せた。
「なんだよ、それ!付き合ってもねーのにっ!そんなはしたないマネしてんのか!?鮎川に組み敷かれて、突っ込まれて、喘いで!何考えてんだよ!その服も鮎川の服だろ!」
「な、何で、分かるの?」
「ッ、それだけキスマーク付けてりゃ、誰だって気づくだろうが!それに、学校の図書館でもキスしてたよな!?学校でもしてんのかよ!」
慌てて胸元を隠そうと智風は襟首を手繰り寄せ、俯く。いつもならそのいじらしい姿に心が痛むのだが、聖也の怒りを買う結果に繋がった。
「知ってんのか?鮎川がどんな奴か!どれだけ女をヤリ捨ててきたか!彼女いても浮気は当たり前で、二股・三股してるって!どれだけの女が泣かされてきたと思ってるんだ!智風ちゃんもそんな女共と一緒の扱いしかされてないんだよ!」
声を荒げられ、更に縮こまる智風に苛々が募ったか、聖也は立ち上がり捲し立てる。
「その上、鮎川には婚約者が居て、その女と高校卒業したら籍入れるって事!その女を落とす為にこの学校だって入ってんだぞ!」
寝耳に水な話に智風は目を大きく開き、聖也を見上げた。
「智風ちゃんは遊ばれてんだよ!目ぇ覚ませ!鮎川がお前なんかを相手する訳、ねーだろ!聞いたんだ!ヤリ捨てるつもりだったけど、予想以上に面倒臭い女だったから、変に遠ざけて自殺なんかされちゃぁ困るから、とりあえず優しくしてやってるって!」
その言葉に智風の大きな瞳に涙が溜まって行く。
「そんな事、分かってる!あたしなんかに匠馬が本気になる訳無い事ぐらい分かってる!身の程知らずだって!何でよ!好きでいるくらいあたしの自由じゃない!あたしみたいな人間は恋もしちゃ、ダメなの!?」
「そんな事言ってねーって!」
「聖也くんには分からないよ!あたしがどれだけ嬉しかったか!周りの人と同じ様に優しくしてくれて、居場所まで作ってくれて!独りじゃないって、どれだけ助けられたか!」
「だからって、sexまでする必要なんかねーだろ!?」
「じゃぁ、何を返せばいいの!?お金も無い、稼げないあたしがっ、気持ち、悪い、あたしに、それでも、優しく、してくれるの、終わりが、あるって、わかってても、それでも、それでも!その時まで、夢、見たいって、思っても、ダメ、なの?」
譫言の様にしゃくり上げながら話す智風に、聖也は
「鮎川は今日、智風ちゃんとの関係を終わらせるって…。俺は、…智風ちゃんが好きだから、こっちまで追いかけて来たんだ。な、俺を見てくれよ」
ぎゅっと抱きしめた。
「ずっと、好きだったんだ、智風ちゃん。俺は鮎川みたいに泣かせたりしないから」
だが、智風の躰に力が籠り、聖也を突き飛ばした。
「離してよ!聖也くんのせいなんだから!虐め、酷くなったの、中途半端に助けたから!」
「そ、それは!」
「その後、1度も助けてくれなかったじゃない!もう、あんな思いするの嫌なの!」
今度は聖也が唇を噛む番になり、何も言えずに顔を逸らした。
「も、帰って…。お願いだから…」
それだけ言うのが精一杯で、智風は声を殺し、泣き出した。
ーーーどれくらい泣き続けたいたのか。日は傾き、紅く色付いて辺りを照らしていた。涙は止まってくれたが、動く気力が無い。しかし、躰が冷えたか身震いが出る。そろそろ帰らなけば、と鞭打って立ち上がると
「智風ちゃん!?」
明美が大きな声を出しながら駆け寄って来るのが見えた。涙の痕やウサギ目を気にして、ほんの少し髪で顔を隠す。
「あ…、こ、こんにちは…」
「久し振りね、智風ちゃん!」
「本当、久しぶりですね。お元気でしたか?」
「ええ!」
そう言う明美は頬を桜色に染め、こくり、と頷いた。最近、会えていなかった。考えれば10日振りの再会だ。
「最近、会えなかったから寂しかったわ!」
「すみません、あたしの部屋のお隣さんが居なくなって、そこを片づける事になっちゃって。勉強にバイトに片付けに、で一寸、忙しかったんです」
「それは、大変だったわね。でも、そんなに忙しくて大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?」
明美はニコニコしているのだが、何処か落ち着きが無さそうにしている。頬も少し赤み掛かっていた。
「はい。大丈夫です。食べないとやってられないんで」
くすり、と笑えば、明美もホッとしたように笑い返す。
「あのね、智風ちゃんには1番に言っておきたくて」
「どうしたんですか?」
「じゃん!見て!これ、彼から貰ったの!先日、彼からプロポーズされたの!」
「ほ、本当ですか!?わ〜、いい、な…」
綺麗な指輪を眺め、躰が動かなくなった。この指輪…。ピンクダイヤが3つ並んだ可愛いデザインの、匠馬が描いたあの指輪そっくりだ。
「こ、これ、ピンクダイヤですよね…」
「そうなの!あ、実は隠してた事があって。私の彼氏、高校生でね、智風ちゃんと同じ学校の生徒なの。相手が高校生だから、言えなくってごめんね」
その瞬間、智風の躰から血が引いて行く。
「彼、有名人だから多分、知ってると思うんだけど、…えっとね、鮎川匠馬って言うの」
目の前の彼女は眩しい位綺麗に笑い、指輪を大事そうに包み込んだ。あれは、明美の為に描いていたものだったのか。
「ごめんね!ちょっとだけ惚気させて!でねでね、匠馬ってね、カッコいいだけじゃなくって、料理も出来て、頭もよくって、家柄も良くって。私には勿体無いくらいの彼氏なの。匠馬ってモテるし、私、6歳も年上だし。でもね、匠馬が中学2年生の時からずっと私だけを想ってくれてて。それでね、あの高校に合格したら付き合って欲しいって。もう、根負けよ。でねでね、先日、ご両親と顔合わせして、匠馬が高校を卒業と同時に籍入れる事が決まったの。あ、実は匠馬の家、宝石店してるのよ。家もね、豪邸にすると強盗やら色々問題も起こるから、一般的な家に態と住んでるのよ。でも、私が家に入る時期に合わせて家を建てられるらしくって。やっぱり、年商10億とかいく処は凄いわよね」
「え…?10、億?」
「あ!今の話、黙っててくれる?事件とか巻き込まれない様に経営者の名前もワザと変えててね。情報公開されてるのとは本当は違う物なのよ。ま、私もプロポーズの時教えられたんだけどね。智風ちゃんと私の仲だもの。黙っててね!それと、結婚式来てくれる?あ、これ見て!仕事中の匠馬!この前、凄い良いのが撮れたの!」
そう言うと明美はスマホを操作し、匠馬の写メを出した。そこにはオールバックに黒縁メガネの、一度も見た事の無い姿をした匠馬が映っていた。
「カッコいいでしょ!?仕事姿は余計カッコ良く見えちゃうのよね〜。彼氏なのに!そうそう、智風ちゃんも彼氏がいるんでしょ?」
質問に智風は明美を凝視するしかなかった。
「ほら、智風ちゃんが今着てるのって男性の春用のセーターだもの。それに、胸の処、いっぱいキスマーク付いてる。妬ける〜。あ!今度ダブルデートしましょうよ」
うふふ、と明美は頬を染めて笑った。
どうやってアパートに戻ったのか。智風は玄関入り口でへたり込んだまま、ぼんやりと冷たい床を眺めていた。
莫迦、だな、あたし…。今迄、何を期待していたんだろう…。今迄、何を勘違いしてたんだろう…。
ほんの少し優しくされて、のぼせてたんだ。子どもが出来ない様にしないといけなかったから、生理の事も聞いて来たのか。優しくしてくれてたのは、自殺なんかさせたら迷惑だから…。
匠馬に一度でも好きって言われた事、あった?所詮、ヤリ捨てるための関係だったから?捨てるまでは、夢をみせてやろうって思ってたのかな。ヤリ捨てるなら、お墓参りの約束なんてしてくれないでいいのに。期待なんて持たせて欲しくなかった。いっその事、ヤリ捨ててくれた方が良かった。恋なんてしなくてすんだのに…。
ため息を吐いた途端、溜まっていた涙がぼとり、と落ちた。
「あ、何、泣いてんだろ、あたし…。分かってた事、でしょ?誰も、あたしなんかを、相手に…する訳…、ないっ…」
涙は簡単には止まってくれず、落ちた雫は床にシミを作っては消えていく。…ズキンッ、と頭痛が襲う。クスリを飲んでおこう、とヨロヨロと起き上り、大きく息を吸えば、今度は吐き気と寒気に泣けてくる。それでも匠馬の側に居たいと思うのはいけない事なのだろうか。
匠馬の本心を知っても尚、彼が好きなのか。
その時、携帯が震えている事に気づいた。ディスプレイを見れば“タクマ”の文字。無視しておこう、と放置をしたが、切れてまた直ぐに鳴り出した。どうしよう、と迷ったが、急に態度を変えて明美との関係が悪くなっても困る、と一呼吸置き、通話ボタンを押した。
『もしもし?ちー?』
「ご、ごめんね、出るの遅くなっちゃって。ちょっとトイレに行ってたの…」
『そうなんだ』
「ん、…あ、あのね、タクマ…」
『何?』
「あの、…そのね、実は…、大家さんから注意受けちゃって、」
『え?何の?』
「その、まだ高校生なのに、男の人を泊める事に。…でね、もう、アパート来るの、止めて欲しいの…」
『…軽薄な行為だったね。ごめんね、ちーに嫌な思いさせて』
「いいの。気にして無い」
『じゃあ、塾の仕事はボクの家に来てする?』
「え、っと、それも無理っぽいの。まだお婆ちゃんの部屋片付いてないから、もう暫く掛かりそう。でね、学校で渡してくれたら嬉しいかも。それはちゃんとお母さんに許可貰ってよ?」
『分かった。あ、あのさ、大事な話が、』
「あ、お、お客さん来ちゃったみたいなの!じゃ、休み明けね」
ピッと電話を切り、そのまま携帯のバッテリーを抜き取る。
「今、別れ切り出されちゃったら、あたし、生きていけないよ…」
休み明けには別れを切り出されるのだ、と胸を締め付けられ貰ったばかりのストラップを握りしめたまま、智風はひたすら泣いた。
一頻り泣いて、鼻水と涙を匠馬の服の袖で拭いて気づいた。胸の処を何度も握りしめた為、のびて皺が出来ている。鼻水は付いているし、もう、洗って返すわけにもいかなさそうだ。埃や自分の匂いで、すでに匠馬の匂いすら残っていない。
「ごめんなさい。勝手に好きになったりして」
携帯の電源を入れてみるが着信が有った様子も無い。待ち受けを消去し、匠馬の番号を表示した画面を見詰める。消さなければ、と言い聞かせても、指は動いてはくれなかった。
翌朝から予想通り発熱。どうして、病気になると心まで弱くなるのか。あれだけ、苛められていても髪を切られるまで“死にたい”とは思わなかったのに、勘違いして失恋しただけでこんなに悲しく、“死にたい”とまで思い、死に方まで考えるのか。だが、実際に行動に移せる勇気は無い、臆病者。外に買い物にも行くのが億劫で、あまり食事も摂らないまま、休みを過ごした。
休みの間、消せない番号が鳴る事は無かった。
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