転送


ローラシア大陸…


それは新世年という年号の元に時が流れて行く、神がナチスドイツに支配されたヨーロッパを飛ばした異世界に存在する、大陸である。


そんな大陸の遥か西、イギリスのドーバーの白い崖の様な、切り立った崖を除けば何もない、大陸西方を支配する王国の領土の一部である辺境地で起こった異変が、全ての始まりとなった。


誰もが寝静まった真夜中、昨日まで崖の先には、海しかなかった場所に、広大な大地が…ナチスドイツ及びその占領下にある地域と、スペイン、そしてイタリアを除く枢軸国に加盟するヨーロッパの国々が、住みなれた地球からこの異世界の地へと、神の力により誘われた瞬間であった。


そしてヨーロッパの転移から3時間後


ヨーロッパに起こった異変は、パリの西方19kmの距離にある、サン=ジェルマン=アン=レー城に総司令部を置く、西ヨーロッパ防衛を担う、ドイツ軍西方総軍司令部にも伝わった。


パリ・西方総軍司令部


「すまない参謀総長、もう一度言ってもらえないか?」


フランス、ベルギー、オランダなど、西ヨーロッパにおけるドイツ軍西方総軍統括を担う、総軍総司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥は、血相を変えて突然執務室に入って来た総軍参謀総長のギュンター・ブルーメントリット大将からの報告を聞き、困惑と呆れが混ざった様な顔をしながらそう述べた。


「はっ閣下、先ほど入った情報なのですがイタリア、そしてスペイン・ポルトガル国境線が、突然海になったと報告が入りました。」


「はぁ…参謀長、君は疲れているのかね?」


ブルーメントリット大将の報告を再度聞いたルントシュテット元帥は、ため息をつくと、呆れた様な物言いで、ブルーメントリット大将にそう言い放った。


「閣下、お気持ちは分かります。しかし…」


「参謀長、連合軍が攻めてくるなら兎も角、イタリアとポルトガルが消えて、国境が海になりましたなどと言う非現実的な話が信じられるわけないだろ!これならばまだ連合軍がカレーではなく、ノルマンディから上陸して来たと言う報告の方がはるかに信頼できる!」


連合国が攻めて来たならまだ分かるが、イタリアが消え、接していた陸続きで接していた国境の向こう側が、海になっていましたなどと言う話をルントシュテット元帥は当然信じられず、訳も分からない、常軌を逸した報告をして来たブルーメントリント大将を思わずそう怒鳴りつけた。


「連合軍との戦いが激しさを増し、君も疲れているのは分かるが、栄光あるドイツ陸軍の参謀長である以上は心を強く持ってだな…」


そしてそれからルントシュテ元帥は、支離滅裂な常軌を逸したと言っても過言では無い報告をして来た、ブルーメントリント大将に対して説教をし始めた。


すると


「…では閣下、騙されたと思って外に出て空を見ていただけますか?」


「外だと…どう言うつもりだ?」


「見ていただければ分かります…」


「…良かろう」


ブルーメントリット大将は、ルントシュテット元帥の説教話の腰を折る様にそう述べた。ルントシュテット元帥も、彼の述べた外を見ろと言ったのかは分からないが、取り敢えず言われるがままにベランダへと赴き空を見上げた。  


すると


「な…何だこれは!?」


空を見上げた瞬間、ルントシュテットは口を大きく開け、そして思わず右手に持っていた杖を手から落とし、腰を抜かしてしまった。


ルントシュテットが見上げた先にあるのは、欧州…いやそれ以前にまず地球では絶対に見るはずがない、夜空に浮かぶ、深い海の真っ青な色の月が浮かんでいたのだ。  


しかし、月の色だけがナチスやファシズムに支配されたヨーロッパに起こった異変では無かった。


同時刻


ポーランド総督府


首都:クラクフ


「どう言う事だ…我々は確か…ミンスクにいたはずなのに、何故クラクフに…」


同日同時間、ポーランド人に対する圧政の、政治的中心地であるポーランド総督府の首都である、クラクフには、転送と同時に出現した、ソ連軍の進撃を食い止めていたはずの、ヴァルター・モーデル陸軍元帥指揮下の、大量の戦車や兵士で溢れかえっていた。


同国・アウシュビッツ強制収容所


「クソ!一体奴らはどこに行ったんだ!」


「何としても探し出し、全員始末しろ!」


ナチスドイツの悪行の最たるものであり、人類が作り出したこの世の地獄の代名詞とも言える、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所も、突如収容していたユダヤ人達が、まるで煙の様に居なくなると言う異変が発生しており、同収容所に駐留していた親衛隊の看守達は、必死にユダヤ人達を探し始めていた。


しかし、どれほど探しても、見つかる事は無いだろう。


何故なら、アウシュビッツに限らず、このヨーロッパに居る多くのユダヤ人は、ドイツが異世界へと転送されたと同時に、アメリカやイギリスなどの連合国に、飛ばされていたのだから。



その後、この第三帝国およびその属国の異世界転送による混乱は、時間が経つにつれ、更に混乱と不可解な報告や現象は拍車をかけて増して行った。


東プロイセンおよびポーランド総督府、スロバキア領内に、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナに展開していた北方、中央、南方軍集団や、同地に展開していたSSの部隊が出現、同時にオストラント国家弁務官区、ウクライナ国家弁務官区、そしてスイス、イタリア、さらにはフランコ政権のスペインからの報告によると、ポルトガルまでもが、文字通り消失し、スイスとイタリア、ポルトガルの国境は海に、東方の国家弁管区が設置されていた旧、ソ連領との国境地には陸地が存在したい物の、見たことがない植物が咲き乱れる、明らかにロシアとは思えない大地が広がっていた。


更には、東部戦線各地にスターリングラード戦やその他、1941年〜1944の現在に至るまでに行われた、独ソ戦における大きな戦いで戦死、あるいは捕虜となった筈のドイツ軍将兵達が一斉にポーランドなどドイツ占領地東部に出現と言う不可思議な現象に始まり。


1941年に沈んだ戦艦ビスマルク、1943年に沈んだシャルンホルストなど、他にも今までの戦いで戦没したはずの戦闘艦、またツーロン自沈事件で、自沈したはずのフランス海軍艦の、文字通りの復活。


爆撃で破壊された筈の街やインフラも全て元通りになっているなど、次々と起こる超常現象と言う言葉すら生ぬるい事態に、ドイツ軍や親衛隊、そして何よりナチスに支配されたドイツ政府は大混乱に陥った。


1944年6月5日朝5時


ベルリン総統官邸


度重なる不可解な事に最早現場責任者や他のナチス、SS、国防軍高官だけでは判断が難しくなり、各部署の高官達は、秘書であるマルティン・ボルマンを通じ、就寝していたヒトラーを起こし、指示を仰ぐ事を決めた。


そして起床すると同時にヒトラーは、現在起こっている数々の不可思議でオカルト的な状況を聞いた。無論最初は、内容が内容だけに信じようとせず、寝言を言うなと怒鳴り散らしたが、副官であるルドルフ・シュムント中将の必死の説得の末、不信感は拭えなかったがすぐさま起床し、緊急閣議が招集される事となった。


「「「ハイル!」」」


突如起こされて、少々不機嫌な様子であるヒトラーが会議室に入ると同時に、閣僚や国防軍最高司令部や親衛隊の高級将校達は、緊張しながらも一斉に起立し、ナチス式敬礼を行い、ヒトラーを出迎えた。


「諸君、まずは情報が聞きたい、昨夜から今朝にかけて一体全体何が起きているのだ」 


寝ていた所を起こされ、さらにはその理由も訳も分からないものであった為、ヒトラーは不機嫌そうな様子で、椅子に座ると徐に、会議に参加するメンバーに対してそう言った。


「はっ、まずは国防軍から状況をご説明します」


すると、ヒトラーへの忠誠と、事務処理能力によって元帥となった、国防軍最高司令部総長のヴィルヘルム・カイテル元帥が状況を説明し始めた。


「昨夜未明、恐らく日付が変わると同時かそれ以前に、我が第三帝国は日本、イタリアを含めた枢軸国、更には連合国各国との通信が一切不能となり、またイタリア国境、スペインとポルトガル国境、ノルウェー・スウェーデン国境など、全て海となりました。唯一ソビエトとの国境だけは陸地になっておりますが、その大地に生えていた植物は全て新種…いや、在来種の植物がほとんど見当たらないと言う報告が届いています…」


「また、ウクライナ国家弁務官区やオストラント国家弁務官区にそれぞれ展開していた、北方、中央、南方軍の軍集団、さらには先の1941年以降から現在に至るまでに、バルバロッサ作戦を始めとした戦いによって、戦死した将兵や損失した兵器、ソ連の捕虜となっていたはずの将兵が、ワルシャワ、クラクフなどを始めとしたポーランド各地に突如として現れたとの報告が入っております」


「我々海軍からもご報告が。3時間前、ノルウェー沖に突如としてビスマルクをはじめとした、戦没した筈の我がドイツ海軍の艦艇、更にフランス占領地域のツーロン港では、先のフランス軍残党による一斉自沈事件により自沈したはずの戦艦が何事もなかったかの様に、無傷の状態で現れました。」


「更には、連合軍の爆撃で破壊された街や工場も何事も無かったかのように元通りになっているなど、最早超常現象としか説明出来ない出来事ばかりが起こっております…」


そしてカイテル元帥に続く様に、作戦本部長のアルフレート・ヨードル上級大将、海軍総司令官のカール・デーニッツ元帥、軍需大臣のアルベルト・シュペーアが、次々とあり得ない報告を述べた始めた。


「成る程…しかし報告を聞く限りだと、まるで我が国が0時丁度を持って、別の世界へと飛ばされ多様だな」


話を聞いた、ヒトラーは呆れつつも冗談まじりでそう述べた。


しかしその言葉を聞いた周りの高官達は、神妙な顔つきを変えず、そしてそんな空気の中、ヨードル上級大将が静かに述べた。


「閣下、誠にあり得ない事ですが、その可能性は極めて大に思います」


「なんだと?」


「はっきり申し上げますと、今までの情報、そして現在の状況を考えますに、我が第三帝国が深夜0時ちょうどを持って、地球とは違う別の世界に飛ばされたと考えるのが妥当だと思います」


「…何か証拠があるのかね?」


ヨードル上級大将のその言葉を聞いたヒトラーがそうヨードル上級大将に問いかけると、ヨードル上級大将は、会議室の窓を覆っていたカーテンを開け、夜空に浮かぶ二つの月をヒトラーに見せた。


「こ、こんな事が…」


「ありえない事ではありますが、これが証拠です総統閣下」


「成る程…」


窓から空を見たヒトラーは、ヨードル上級大将の述べた事、そして今現在ドイツが置かれている異常事態を、完全に理解した。


「すると、我が帝国は昨日未明に別の世界へ飛ばされたと言うわけか…まるで出来の悪いSF映画の様だな…」


「えぇ、まるで出来の悪いSF作品の様です。この事態が神の御意志なのかは知らないですが、とんでもない事になった事は、事実です総統閣下…」


ヒトラーのその言葉にゲッベルスはそう述べた。


「まぁしかしだ諸君、この状況は悪い事だけではない。考えによっては連合軍を名乗る、ユダヤ人の手先たる雑種民族どもとの戦争が事実上、終了、いや勝利したと言っても過言では無い」


「確かに。しかし、問題はこの事実を、同国民に発表すべきかです」


「なんとか取り繕える範囲を超えている今の現状…どうすべきか…ゲッベルス、宣伝大臣である君はどうべきお思うかね?」


弁論とカリスマ性により国民を扇動し、ドイツを人種ヘイトと戦争を基軸とする狂気の国家へと改造し、そして徹底した情報管理と統制によって国を支配する、ヒトラー率いるナチスと言えども、宇宙に青い月が空に浮かび、イタリアの国境が海になっている状況は、もはや偽造した情報などを駆使するなどして、取り繕える範囲を超えていた。


その為、現在のこの状況をどう国民に説明するか迷い、そして徐に宣伝大臣であるヨーゼフ・ゲッベルスにどうすべきか、意見を聞いた。


「私としては、現状、我がドイツが置かれている状況は、取り繕える範囲をもはや完全に逸脱している為、混乱を最小限に抑える為にも、事態の全てを話すべきであると考えます」


「…確かに、ゲッベルスの言う通りだな。よし、この情況…異世界へと我々ドイツが誘われたのは、ドイツ人を含めた、優等種であるアーリア人の末裔である我々が神に選ばれたからである…と、その方向で発表の原稿をまとめたまえゲッベスル」


「かしこまりました、閣下」


「そう言う事だ諸君。今の状況では秩序を保つ事が大事だ。ヒムラー、君が率いるSSは国民を統制し混乱を抑える事に努めろ。それと、近いうちにレジスタンスやパルチザンの掃討作戦を行ってもらいたい。それと生き返った兵士や将校達だが、この状況に対する明確な発表をするまでは、監視下に置け、混乱を起こさないためにな」


「了解しました」


「諸君、この謎の現象が神によって引き起こされたのかは分からぬが、我々の役目は軍、国民、社会を統制し秩序を守る事だ、それぞれ己が役目を果たすのだ」


「「「ハイル・ヒトラー!!」」」


ゲッベルスの進言を聞いたヒトラーは、その後ヒムラーを含めた、政府、軍の幹部達に、兎に角混乱を最小限に抑え、国の秩序を守る事を最優先にする事をこの会議で明確にし、それぞれの責任者にそう指示を出した。


因みに、謎の陸地に対する対応は、ひとまずは国境周辺の警備及び東部に展開する軍の強化を行い、然る後に空軍から偵察機による上空からの偵察の後に、特殊作戦に秀でたコマンド部隊を送り込み、調査をする事を決定した。


しかし会議をする閣僚や幹部達、そして前線にいる将兵達は不可思議な事が立て続けに起こり、皆不安に思っていた。


我々は何処に来て、この国は何処へ向かって行くのかと。


それから二日後


12:20


ドイツに起こった突然の異常事態に、ドイツ第三帝国、そしてその占領地の市民達は、宣伝省より今起こっている不可解な現象についてヒトラー総統直々に、発表があると伝えられ、今現在の状況を知りたいと願っていた全ての人々は、ラジオの前に集まり、ラジオに耳を傾けていた。


そして


『これより総統閣下から全帝国臣民に向けてのお言葉があります。全ての国民の皆様は、直ちに放送をお聞きください。』


音楽と共に宣伝省からの全ての国民に対し、ラジオを聴くようアナウンスがされ、そしてアナウンスと音楽が終わると少しの間沈黙が続き


そして…


『親愛なる、我が第三帝国の国民諸君…』


ラジオの向こう側からヒトラーの声が聞こえた。


『今日私は諸君達に対し、重大な発表を知らせる…諸君らも承知だとは思うが、我が第三帝国は二日前の、1944年6月5日深夜を境に青と赤の二つの月が現れた…いや、それだけではない。前線においてはかつて愚かなるボリシェビキ共との戦いで散った英雄達…テロリストや事故でその命を失った我が友人達、そして愚かなるキャピタリストとボリシェビキ共より破壊された我々ドイツの建造物が…蘇ると言う謎の現象が各地で起こった…」  


ラジオの第一声、そしてそれに続く言葉を、ヒトラーは静かに、しかし威厳に満ちた声で、ラジオに耳を貸す人々に、語りかける様に話、そして少し間を置いた所で、今度は激しく、そして力強く話を再開した。


「諸君これは、我々アーリア人、そしてアーリア人の正当なる権利と領土を、神が認めた証である!我々がかつていた世界は!卑怯で薄汚いユダヤ人共に支配された不純なる世界であった!しかし、神はそのような汚れた世界において唯一高潔で偉大なる意志と大義を持つ我々ゲルマン民族を不純なる世界から救い!そして新たなるこの新天地へと導いたのである!!!そう!我々は神に選ばれた!!ならば!我々なすべき事は何か!我々アーリア人は一体何をなすべきか!神に選ばれしアーリア民族の成すべき事!それは、我々神に選ばれた民族であるアーリア人の使命に従い!!ユダヤ人がのさばっていた、かつての世界とは違う、高潔で高い意志、そして我々アーリア人民族の鉄の意思と!団結!そして優秀なる知能で!!真の理想郷をこれからこの新たなる新天地!!Neue Landにおいて築く事である!諸君!我々第三帝国の!そしてアーリア人による理想郷を、この世界でも建設する為に!力を合わせ、我が党と総統である私の領導のもと、アーリア人の課せられた使命を遂行しようではないか!!ジーク・ハイル!!!』


「ジーク・ハイル!!!」


「ジーク・ハイル!!!」


「ジーク・ハイル!!!」


「ジーク・ハイル!!!」


「ジーク・ハイル!!!」


「ジーク・ハイル!!!」


「ジーク・ハイル!!!」


最初は異世界や、神に選ばれたと言うワードに、全てのドイツ人や戸惑いを覚えていたが、ヒトラーの完成された演説に引き込まれた市民達は放送が終わると同時に皆それぞれ、そう叫び続け、状況も何も理解は出来て無いが、それでもヒトラーについて行く事を心に決めていた。


一方、連合軍が消えた事により、祖国開放の道が絶望的となった、各地のレジスタンス組織は、絶望の淵へと叩き込まれる事となった。


しかしそれでも、恐怖と人種ヘイト、そして独裁により固められたドイツ、そしてその同盟国や属国は今日この日より、新たなるこの世界で動き出す事となった。

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