地球シミュレーション

@syusyu101

地球シミュレーション

 あの広い大空、その向こうに広がる大宇宙。

 人類の文明は日夜進歩を続け、ついにそこまで手を伸ばしていた。

 先人たちが築き上げてくれた階段を登り、俺は火星へ行く。

 新型ロケット『アウストラロピテクス』……その第一期パイロットに、俺は選ばれたのだ。

 銀の宇宙服を着こみ、最新鋭の設備を揃えたコックピットに乗り込み、俺は、今か今かと発進の時を待ちわびていた。

 ついにその時が来るのだ。

 現在時刻2030/08/29/13:25。あと3分で発進する。

 それからおおよそ12時間で、人類は火星の土を初めて踏む事になる。

 これは疑うまでもなく大いなる一歩、俺たちのデータをもとに、食糧危機に瀕しつつある地球人類は宇宙への脱出手段を手に入れ、そして、これからもその文明を発展させていくだろう。

 そこまで人類は進歩した。

 そして、それに後押しされた俺たちが、さらに遠くまで人類を連れていく。

 使命感で胸がいっぱいになる。

 誇りと緊張で足が震える。

 俺を育ててくれた両親に感謝する。

 メンタルトレーニングをしていなければ、今頃発汗と過呼吸でしどろもどろになっていただろう。

 そして。

 俺が胸の前で十字架を3回切った所で、その時が来る。


『第一ハッチ解放』

『第二、第三ハッチ解放』

『機器類オールグリーン』

『風向き問題なし』

『エンジン点火用意』

『点火まで、3、2、1……』

『今!』


 ごぉおおおおぉぉおとロケット燃料に火がついて、爆音と閃光と共に全身に重力がかかる。

 加速は順調。

 全て問題なし。

 ロケットは飛んだ。

 今にも大気圏を突き抜けて、宇宙へ!人類が夢見た宇宙世紀へ!

 未来が、今から始まる!


『グッド・エンド12______地球からの脱出』


 その時だった。

 目の前に、その不可解な表示が現れたのは。


『クリアタイム:12030年8カ月』


 まぼろしではない。

 いつの間にか、全身にかかるGはその気配を消していた。

 俺はまるでプールに浮かんでいるかのような軽やかな身体で、その表示を見ていた。

 夢見心地。

 けれど、目を幾度こすっても、その表示が消える事はない。

 あくびも出ない。

 訓練を受けた宇宙飛行士が、ミッション中に寝ぼける事はあり得ない。

 精神的な病気を持つものや、重力によって変調が来るような体を持つものは、宇宙飛行士になれない。

 つまり、今目に映るそれは、幻ではない。


『地球文明は進歩し、ついにその種子を宇宙へと吐き出しました』

『彼らの歴史はこれから、地球ではなく宇宙で展開していきます』

『続きは“宇宙世紀シミュレーション”をご購入ください』

『“地球シミュレーション”はこれにて終了です』

『THANK YOU FOR PLAYING!!』


 それはまるで、ゲームの表示のようだった。

 ゲームをクリアした時に、プレイヤーに向けて流されるメッセージのよう。

 ついには、製作者らしき人名の群れが流れる……エンドロールだ。

 どこかから、拍手喝采があがる。

 俺は振り向く。

 ロケットのコクピットの中だった筈だ。

 けれど、俺が振り返った先には、まるでオペラのステージから観客席を眺めるような光景があった。

 無数の人間が、立ち上がり、拍手を送っている。

 視界の端にメッセージが流れる。

 それはカラフルなテキストメッセージ。


『アーモンドピーナッツさんが\500をプレゼントしました』

『ダイナモ感覚さんが¥30000をプレゼントしました。“クリアおめでとう!!”』

『ぽんぽこりーなさんが¥2000をプレゼントしました。“次回作希望”』

『サンダーバードさんが¥500をプレゼントしました』

『アーモンドピーナッツさんが¥600をプレゼントしました“長時間お疲れ様”』


 動画配信で見たことがある。

 それは、ゲームをプレイしたりする動画を生配信し。

 視聴者はその配信者にお金をメッセージと共に送ることができる……ちょうど目の前に映る、カラフルな光景のように。

 俺は困惑する。

 俺が正気でなくなったように感じる。

 これはなんだ。

 この光景はなんだ。

 戸惑う俺の耳に、全く新しい音が聞こえる。


『スパチャありがとー!いやぁ12030年ぶっ遠しはさすがに無謀だったね。

 今回は技術革新も連続したから本当運が良かったです。

 面白かったから皆もやろう!』


 若い女の声だ。

 それこそ、本当に動画配信をする配信者のような軽い語り口調。

 まるで遊んだゲームの感想を、動画を通して語っているような……。

 俺は、理解しようとしていた。

 宇宙飛行士として長年訓練してきた判断力が、そう結論づけようとしていた。


『まま、とにかく今回遊んだ“地球シミュレーション”ね。

 今回のEDも中々感動的だったけど、実は実は、これマルチエンディングなのさ!』


 この世界はもしや、ゲームなのではないか、と。

 馬鹿げた結論だ。

 しかし、その声はあまりにも、あまりにもリアルに聞こえる。


『つまり……まだまだ遊べるドン!!』


 拍手喝采が再び巻き起こる。

 カラフルなテキストメッセージが濁流のように流れる。

 そして、俺の目の前に新たなテキストが浮かぶ。


『▶はじめから  ▷ゲームを終了する』

『でね、私はエナドリを既に3本開けている訳ですよ。

 そしてこれから1週間、世間は連休です……

 つまりだ』


 女の声は言葉を区切る。

 そして、徹夜明けの妙にハイテンションな大声で宣言した。


『もう一周するぞおらぁ!!!』


『  ▶はじめから  』


 世界がブレる。

 観客席が遠ざかる。

 カラフルなメッセージが弾ける。

 そして、最後。

 俺の視界が、暗転した。



 ピピピ。

 ピピピピピ。

 ピピピピピピピピピ____


「うるせぇ!」


 俺はベッドから跳ね起き、枕元の目覚まし時計のスイッチを上から叩きつけるように押し、その煩わしい音を止めた。

 懐かしい感覚だ。

 宇宙飛行士として訓練をはじめてから、時間感覚は完璧になり、このように寝坊する事も殆どなくなった。

 今では、もう自室に目覚まし時計なんてない。

 ……目覚まし時計なんて、無い筈だ。

 それが今、俺の枕元にあった。


 俺は恐る恐る、時計の画面をのぞき込む。

 宇宙的でかっこいいと思ったから欲しがって、そして小学生の時に両親に買ってもらった、緑色の光で文字が映るデジタル時計だ。

 それは実家にある筈だった。

 それは、そんな日時を伝えていた。


『2010/08/29/13:30』

「……20年前………?」


 俺は2030年、NASAのロケット発射場に居た筈だ。

 そこは種子島の、パイロット用の綺麗な部屋。

 けれど、今いる場所は違う。

 窓辺にベッドがあって、そのマットレスやシーツはロケットや星々、UFOがデザインされた子供むけのもの。

 見える床はフローリング、シールを貼ってはがした跡が目立ち、宇宙船を模した玩具が端っこに押し固められている。

 窓辺には映画に出た宇宙人のフィギュアが並んで、狭い部屋に見合わないサイズの望遠鏡が置いてあった。

 そして、ひどく懐かしい香りに満ちている。

 ここは実家だ。

 俺が生まれ育ち、宇宙飛行士を志す事になった、東京にある実家だ。

 俺は、19歳になった時にこの家を出た。

 そして、俺の身体は18歳の時のそれに若返り、鍛えあげた肉体は細いそれに戻っていた。

 何かがおかしい。


 あの15年に及ぶ辛く厳しい訓練の時間はどこへ行ったのか。

 肉体を鍛え、精神を鍛え、苦手だった勉強もトップレベルまで鍛えて、宇宙飛行士になったこの記憶は、一体なんだったのか。

 答えはほどなくして分かる。

 夢を見ていたのだ。

 とてつもなくリアルで、途方もない長さの夢を。


 部屋の至る所に置いた、ロケットモチーフのグッズがそれを証明している。

 夢の中のロケットに翼は無かった。

 目の前のロケットには、しっかり鳥のような翼が生えている。

 翼の無いものは空を飛ばない。

 小学生でも知っている原理だ。

 でなければ、かつての先人が人工翼を作ろうと四苦八苦した果てに完成した飛行機技術たちはいったいなんだというのか。

 歴史が言っているのだ。

 数々の先人が言っているのだ。

 翼の無い機械は飛べない。

 未だ宇宙へ行けるような乗り物は発明されていないが、それにもきっと翼は生えているだろう。


 _____それが積み上げられてきた常識だ。


 日々が過ぎる。俺は高校生だった。

 ひどく懐かしい日常に思えるが、錯覚だ。俺が大人になったのは夢の中だけの事。

 現実と錯覚するほどリアルな夢だった。

 けれど、論理的に考えれば現実とは程遠い。

 俺は理系で、筋肉を鍛えるのはあまり好きではないし。

 宇宙飛行士よりも、宇宙へ飛んでいく技術の発明家を目指したい。

 俺は宇宙が好きだ。

 宇宙には未知が、希望が満ちている。

 その点だけは夢の中の俺と一致していて、だから俺はあんな夢を見たのだろう。

 夢を見るほど俺は宇宙が好きなのだ。

 そんな思いは際限なく膨らみ、進路選択の季節に。

 俺は理工系の大学に進み、そのまま研究を続け、いつしか国連の宇宙開発局___NAGAに入局した。

 夢の中の俺は、ロケットに乗り込む事で拍手喝采を浴びた。

 俺はロケットを完成させて、拍手喝采を浴びるとしよう。

 そんな考えが、俺に無限の努力をさせた。


 2030年。

 まだ大気圏から抜け出せるような翼は、発明できていない。

 さらに言えば、宇宙には空気が存在しないらしいという事が分かって来た。

 翼は空気を蹴るようにして飛ぶ。空気が無くては、飛べない。


 2031年。

 食糧危機の件がニュースになりはじめた。

 近いうちに限界が来ると世界中の有識者が言うが、未だ具体的な解決策は見つかっていない。

 解決策を宇宙に求める者も居る。

 俺の研究資金が増えた。


 2032年。

 翼は必要なかった。

 答えはあの夢の中にあった。

 筒状で、中で燃料を燃やし、その炎の勢いと爆発で空を飛ぼうなんて考え、まるで正気じゃない。

 けれど小型モデルでの実験は成功した。

 これならきっと、俺たちを宇宙へ連れていける。

 俺は夢の光景を思い出し、その設計図に『アウストラロピテクス』と名付けた。

 夢は現実になる。

 俺は、あの夢が神様からのメッセージだったんじゃないかとすら考えるようになっていた。そこにたどり着いた時、神々は我々を拍手喝采で宇宙に迎えるに違いない。

 設計図に描かれたロケット……アウストラロピテクスは、きっと飛ぶ。

 俺は各国を飛び回り、設計図を見せて、計画への支援を求めた。


 2035年。

 戦争が始まった。


 食糧危機はどんどん深刻化し、各国は互いに、自国だけが豊かになろうとにらみ合う膠着状態に陥り、それがたった一つの設計図で破れた。

 アウストラロピテクスの完成。

 宇宙を目指すために作りだされたそれに詰め込まれたのは、異星を開拓する冒険家ではなく、万物を焼き尽くさんとする爆弾だった。

 設計通りアウストラロピテクスは飛んだ。

 設計と違ったのは、目的地が地球上だったというだけ。

 一夜にして各国の首都は炎に沈み、その報復のためにも無数のアウストラロピテクスが飛び交い、飛び交い、爆ぜて、燃やして。

 今、俺は上半身の無くなった自由の女神を眺めている。


『バッド・エンド04______ミサイルの夜』

『クリアタイム:12045年8カ月』

『食糧危機はついに臨界点を迎え、人類はいがみ合うようになりました』

『結果発生した大量破壊兵器により、この地球で新たな生命が誕生する可能性は0になりました』

『宇宙開発食料開発倫理観その他のステータスが期間内に成長しなかった事が原因です』

『続きは“世紀末シミュレーション”をご購入ください』

『“地球シミュレーション”はこれにて終了です』

『THANK YOU FOR PLAYING!!』


 煤に汚れた顔をぬぐって、俺は振り向く。

 ニューヨークのがれきの海が広がる筈のそこには、オペラを観劇する観客席のようなものが広がっている。

 俺はそれを、夢の中で見たことがあると思った。

 あの日の俺は、ロケットのコクピット、きらきらした宇宙服を着ていた。

 今の俺は、煤けた白衣を羽織り、無精ひげを蓄えて、特に鍛えてもいない身体は枯れ木のようにニューヨークの風にさらされている。

 アウストラロピテクスの設計図を持ち、長く続いた逃亡生活___無意味だったが___を通して、俺は完全に憔悴していた。

 そんな俺を見て。観客席に人々が立ち上がる。

 そして拍手喝采を浴びせるのだ。

 笑顔で。

 底抜けに明るい笑顔で。

 悪魔だとしか思えなかった。

 カラフルなテキストメッセージが雪のように降る。

 女の楽し気な声が聞こえる。


『宇宙到達以外のエンド見ようと思ったんだよぉ……わざとじゃないって。

 いやでもさ、宇宙開発関係の技術抑えめにしてたらこんななるって、なんかもう鬼畜じゃない!?』

『アーモンドピーナッツさんが¥600をプレゼントしました“これぞ地球シミュ”』

『わぁんもうバッドとか萎えるわぁ……どうせならさ、ネットに前あがってた大革命エンドとか見たいよね。そこへのルートとか知ってる人いない?』

『サンディエゴさんが¥800をプレゼントしました“100周必須であとは確率”』

『マジくそげーじゃん』


 和気あいあいとしている。

 彼らの目の前には、荒廃したニューヨークと、その原因たる兵器を作った俺が居るというのに。

 彼らはまるで、テレビで芸人でも見るかのように笑うのだ。

 ここで理解する。

 あの日見た夢は、夢では無かったのだと理解する。

 この世界はゲームだ、と宇宙飛行士である俺は言った。

 間違いない。俺は、俺たちの世界は弄ばれている。

 ならば、彼らは何者だ?

 神か、悪魔か、それよりもっと恐ろしいものか。

 その先を想像し、俺は膝を屈する。

 女の楽し気な声が響く。


『へへっ!こうなりゃ意地だ。大革命エンドまで突っ走るぞ野郎どもー!』

『  ▶はじめから  』


 また、全てはじめから。



 目覚めた俺はタヌキだった。

 目覚まし時計の音に驚いて、苔むしたベッドから転げるように逃げ出す。

 その勢いのまま、廃墟と化した家から抜け出して、至る所に蔦が這う街を駆ける。

 そして見上げた。

 半ばから折れ、植物に侵蝕された東京タワーを。


『グッド・エンド01______自然の勝利』

『クリアタイム:12010年8カ月』

『人類は生物兵器“アウストラロピテクス”によって滅亡し、地球に自然を返却しました』

『生態系や気候は完璧なバランスで静止し、今後地球の動物たちが住処を脅かされる事はないでしょう』

『続きは“のんびり自然シミュレーター”をご購入ください』

『“地球シミュレーション”はこれにて終了です』

『THANK YOU FOR PLAYING!!』



 俺は彼女と共に、東京タワーを駆けのぼった。

 最期に行きたい場所はどこか、尋ねた結果だった。

 彼女はもうすぐ死んでしまうだろう。……奴らに噛まれたのだ。

「ねぇ」

 彼女が何かを囁く。

 消えてしまいそうなほど小さな声を、少しも聞き逃す事の無いように耳を傾ける。

「お願い……生きて」

 彼女の細い肩が震える。

 発熱していた細い腕が、さぁっと冷たくなっていく。

 俺は苦悶に顔をゆがめ、彼女を弾き飛ばした。

 弾き飛ばされても、立っているのがやっとの筈の彼女は、少しも揺るがない。

 あぁ、そうだ。彼女はもう病人でもなんでもない。


 それは歩く死体だ。

 皮膚は青白く染まり、口が裂けんばかりに顎を開き、そしてぶちぶちと皮膚が裂けていく。

 目は白濁し、死臭を漂わせ、その爪と牙は生者を喰らわんと蠢く。

 _____ゾンビだ。

 これが、東京タワーの下。広がる東京という地に、無限に存在している。

 世界は、終わった。


『バッド・エンド25______死者の王国』

『クリアタイム:12021年6カ月』

『人類は未知のウイルス“アウストラロピテクス”に感染してしまいました』

『世界中の死体がウイルスに操られ、この世に生きとし生ける全てを貪るでしょう』

『現代文明では、これに対抗する技術を発明できません』

『続きは“ゾンビバスターシミュレーター”をご購入ください』

『“地球シミュレーション”はこれにて終了です』

『THANK YOU FOR PLAYING!!』



『グッド・エンド18______不老不死の達成』

『グッド・エンド13______海洋への帰還』

『バッド・エンド21______歴史消滅』

『バッド・エンド___________』

『グッド・エンド__________』

『バッド・エンド_________』

『バッド・エンド________』

『______________』

『_____________』

『____________』

『___________』

『_________』

『________』

『_______』

『______』

『_____』

『____』



 私は何度も一生を生きた。

 一つ一つの一生は、それぞれ違っていた。

 政治家が存在しない地球があった。

 ロケットが存在しない地球があった。

 地球が円盤状だと主張する地球があった。

 飛行機に鳥の翼が生えている地球があった。

 私はまるで運命に翻弄されるように、ただひたすらに無数の一生を生きてきた。

 一度として死ぬ事なく。

 一度として死ぬ事なく、だ。


 宇宙に行きたいと願っていた時代がある。

 今や遠い昔の事で、私もはっきりとは覚えていない。

 けれど、あぁ、あの日々は楽しかったに違いない。

 そこには情熱があったに違いない。

 今は、もう何もない。


 宇宙へ行きたいと願った。

 しかし、開発した技術のほとんどは軍事転用され、多くを殺した。

 私はとてつもなく後悔した。


 万人を死の恐怖から解き放ちたいと願った。

 一生をかけ理論を完成させ。

 次の一生でそれを世界に広め。

 幾度とない軍事転用による戦争を見つめながら、ついに万人に不老不死を与える事に成功した事もあった。

 けれど、それが達成された瞬間に、あれが流れる。

 『エンド』『エンド』『エンド』。

 その瞬間、全ては消えてなくなる。


 無限に思えた死者も、永遠に思えた栄光も、完全と思えた幸せも。


『  ▶はじめから  』


 これは神の所業だろうか。

 私を永遠の罪人と断じ、無限の栄光と苦難を味合わせ、そしてくびり殺そうとしているのだろうか。

 私はなんと罪深い事をしたのだろう。

 そんな事をした覚えはない。

 しかし、私は既に50を超える一生を生きてきた。

 なにか忘れているに違いない。

 けれどそれは、本当に私に責任があるのだろうか。

 責任を取るには、今のままで良いのだろうか。


『エンド』『エンド』『エンド』『エンド』『エンド』

『“地球シミュレーション”はこれにて終了です』

『THANK YOU FOR PLAYING!!』『THANK YOU FOR PLAYING!!』

『いやぁ今回は惜しかった気がする』『スパチャありがとー!』『じゃぁもう一周だぁ……逃げんなよ!』


 考える内に、また無数の一生を生きた。

 あぁ、私は許されない事をしたのかもしれない。

 けれど、けれどもう耐えられない。

 栄光を得ては奪われ、罪を得ては奪われ、愛を知っては奪われ、愛を喪っては喪失すら奪われて。

 もう、耐え切れない。


 いつしか、新たな願いを抱えるようになった。

 願ってしまうようになった。

 生物としては在ってはいけない形に。


「しにたい」


 子を抱き上げた事もあった。愛に喜び悲しむ事は、これ以上ない喜びで、苦しみだった。

 私は充分に生きた。

 人が一つの寿命では得られないような素晴らしい体験の数々を乗り越えてきた。

 だからこそ、もう生きたくない。

 大きすぎる悲しみも、苦しみも、喜びも、もういらない。

 人間には心の器というものがある。喜びも悲しみも、受け止める限界があるのだ。

 私には限界が訪れていた。

 多くの人間がその足元すら見る事が叶わない、感情の限界というものに立ち会っていた。

 私は、もう生きてはいけない。


 死ぬための旅が始まった。


『グッド・エンド14______精神的超越』


 自殺を試みた。

 けれど隣人の愛や情が、天文学的確率が、私を殺さなかった。

 自殺を試みたいずれもの世界で、私は精神医学的にとてつもない発見をして、英雄として祭り上げられた。

 そして世界が精神の病を無くしたころ、『エンド』が訪れた。


『バッド・エンド17______最悪の一個人』

『バッド・エンド01______終末戦争』

『バッド・エンド22______乾燥』


 戦争をいくつも起こした。無数の一生を生きたこの身では、演説も国家のコントロールも容易かった。

 戦火がどさくさの内に私を殺してくれるだろうと思った。

 だが死ななかった。

 地球の全てが死滅しても、私が全てを殺すためだけに作りだした仲間や部下が私を助けた。

 私だけが生き残り続け、ひとりになれば『エンド』が訪れた。


『グッド・エンド02______完全なる停滞』

『バッド・エンド07______隕石落下』

『バッド・エンド03______エイリアン襲来』


 逆に何もしないでいたらどうなるのか気になった。

 変わらず時間は進み、勝手に戦争でほろぶ事もあった。

 逆に何も起こらな過ぎて『エンド』がやって来ることもあった。

 何も起こらなかった時には、隕石や宇宙人が全てをかっさらっていく事もあった。

 隕石が目前に迫る。

 ようやく死ねるかと思った。

 けれど、私が苦痛を味わうより早く、『エンド』の字が現れる。

 どうやら、私はどう足掻いても死ねないらしい。


 その内、怒りがふつふつと湧いてきた。

 なぜこんな状況にあるのか。

 なぜ無限に繰り返す世界で、わざわざ死ぬために苦しみ続けなくてはならないのか。

 それは酷い苦痛だ。

 世界が色を無くす。食事が味を無くす。妻子が死ぬ。

 そういった苦痛だ。

 私は、私をこんな状況に落としただろう神に対して怒り狂った。

 そして結論をたたき出した。


 神に逆らうのだ。



 アウストラロピテクス。

 それは太古に滅んだ人類の一種だ。

 しかし、私が生きてきた無数の一生の前では、別の意味を持つ。

 ある時は火星に向かうロケット。

 ある時は世界を滅ぼした弾道ミサイル。

 またある時は生物兵器や感染症で、そして隕石や宇宙人の名前でもある。

 “それ”はいつだって終わりに現れた。

 いつだって『エンド』の始まりに現れた。

 私はようやく気付いた。アウストラロピテクスがエンドを呼ぶのだと!

 私は、アウストラロピテクスを破壊する事に決めた。


『____文化の栄』

 アウストラロピテクスは壮大なオペラだった。

 全人類を幸福の渦に沈め、全ての経済活動及び技術発展を停止させ、緩やかな滅亡を、そして『エンド』を呼んだ。


『____隕石落下』

 アウストラロピテクスは隕石の名前だった。

 しかし、その隕石が発生する地球では、それを破壊する手段はどう足掻いても手に入らなかった。

 破壊できる世界もあったが、その世界で隕石は“アウストラロピテクス”の名前を持っていなかった。


『___最悪の一個人』

 アウストラロピテクスは私だった。

 私が私自身を殺す事ができないのは、既に証明された通りだった。


 神への反逆は生易しい道では無かった。

 アウストラロピテクスは不変の終末として世界に存在し続け、幾度も『エンド』を呼び、例外は無かった。

 200回目の人生が『エンド』を迎え。

 そして、機会が訪れる。



 あの広い大空、その向こうに広がる大宇宙。

 人類の文明は日夜進歩を続け、ついにそこまで手を伸ばしていた。

 先人たちが築き上げてくれた階段、積み上げてきた奇跡と偶然の道を登って、私は火星へ行く事を全地球人類に期待された。

 新型ロケット『アウストラロピテクス』。

 その第一期パイロットに、私は選ばれたのだ。

 ひどく懐かしい気分だった。

 宇宙が良いものだと、ものすごい久しぶりに考えていた。

 宇宙には未知が、希望が溢れている。

 いつしかここを訪れた時とは全く別種のものだが、私の胸には希望が満ち溢れていた。


 銀の宇宙服を着る。

 時計を見る。デジタル表示。『2030/08/29/13:25』。発進まで3分。

 息を吸う。

 酸素で胸が満たされる。

 育ててくれた両親を想う。

 ここまで道を繋げてきてくれた、数多くの先人を想う。

 ともに苦しみを分かち合い、そして成長してきた開発チームやNASAの面々を想う。

 許してくれとは言わない。

 こうでもしなければ、俺たちは一生籠の中の鳥だ。

 ゲームの中のドットだ。

 永劫の奴隷だ。

 ピピピ。

 ピピピピピ。

 ピピピピピピピピピ____そして、時間が訪れる。


『第一ハッチ解放』

『第二、第三ハッチ解放』

『機器類オールグリーン』

『風向き問題なし』

『エンジン点火用意』

『点火まで、3、2、1……』

『今!』


 ごぉおおおおぉぉおとロケット燃料に火がついて、爆音と閃光と共に全身に重力がかかる。

 加速は順調。

 全て問題なし。

 ロケットは飛んだ。

 何も問題は無い。順調に飛べば、火星にはきっとたどり着けるだろう。

 その証拠がすぐに目の前に現れる。


『グッド・エンド12______地球からの脱出』


 私は興奮もなく、手元のレバーの感触や、機材類を確認する。


『クリアタイム:12030年8カ月』


 機材に問題は無い。

 NASAは地球のトップレベルの技術者集団で、私は彼らが選んだ地球最高の宇宙飛行士だ。

 天文学的な確率でも、これからする事は止められない。


『地球文明は進歩し、ついにその種子を宇宙へと吐き出しました』

『彼らの歴史はこれから、地球ではなく宇宙で展開していきます』

『続きは“宇宙世紀シミュレーション”をご購入ください』

『“地球シミュレーション”はこれにて_____』

「ここから始まるんだ」


 私は血を吐くように叫んで、目の前に広がるメッセージを無視した。

 手元のレバーを必死で握りしめ、そしてぐいんっと動かす。

 瞬く間にコクピットに点滅する無数のボタンを正しく操作して、最後。

 技術が結集した銀色の宇宙服。

 その拳で、ガラスケースに守られた、真っ赤なボタンを殴りつける!


 ガラスが割れる。

 メッセージが停止する。

 ごおぉぉぉおおとなっていたエンジンの噴射が止まる。

 そして管制室から悲鳴が聞こえた。

「落ちる!!」


 地球の重力はすさまじいものだ。

 もう地球の丸い輪郭まで見えるのに、その重力は、エンジンを停止したロケットぐらい容易く引き付けて、大地に叩きつけバラバラにしてしまう。

 コクピットの中を、真っ赤な警告ランプとアラートが埋める。

 このロケットは落下する。

 私がエンジンを急停止したから。


 ここに来るまで、一体どれだけの人間が、一回しかない一生を費やしてきたのだろう。

 宇宙の圧力に耐えきれる素材を発明した人々。

 地球の重力に負けないパワーを生み出す燃料を発明した人々。

 宇宙飛行士に必要な訓練を考え出した人々、ロケットを寸分の狂いなく組み立てようと努力した人々、宇宙という場所に夢を見た人々。

 俺は今、その全てを犠牲にする。

 積み上げられたものをぶっ壊す。

 私が、俺自身がかつて願った火星への旅路。人類救済への旅路を全てぶち壊す。


 重力はアウストラロピテクスを完全に破壊するだろう。

 そして俺も殺すだろう。

 落下したアウストラロピテクスは少なくない被害を出して、そして地球全体で宇宙開発はもう少し先延ばしされるだろう。

 そうすれば、世界は『エンド』から少しだけ遠ざかる。

 俺は『エンド』に逆らう。

 『エンド』なんで無粋なものに逆らうため、夢を持った全ての人々を裏切る!


 俺は反逆した!

 世界に、神に!


『トゥルー・エンド______大革命』


 そのたった一行のテキストで、高揚が失せた。


『クリアタイム:12030年8カ月』

『地球文明は“神”の存在に気付きました』


 レバーを握る手が、震えて、ほどけた。

 俺はエンドを乗り越えた筈だ。

 神が想像もしない行動を起こして、この運命から逃れた筈だ。

 だが、そんな俺の内心を置き去りにして、メッセージは無慈悲に流れていく。


『彼らは世界の有限に気付き、全ての生物は生の無意味を理解し、全ては発展を止めるでしょう』


 やめてくれ。


『“地球シミュレーション”はこれにて終了です』

『THANK YOU FOR PLAYING!!』


 ロケットのコクピット、そのハッチが開く。

 俺は呆然としたまま梯子を上り、そして外に出る。

 ステージの上だ。

 360度、クラシックな観客席に取り囲まれて。

 そして人々が立っている。

 立ち上がり、むせび泣き、鼻をすすり、満面の笑みで、拍手喝采を俺に浴びせている。

 そして、俺の隣に女が立つ。


「みんな!ありがとー!!!今までありがとぉー!!!!」


 美しい女だった。

 アンティーク調の劇場の中で、その銀の長い髪が際立っている。

 赤い瞳、すらりとした身体、真っ赤な薔薇のようなドレスが、ステージのスポットライトを浴びてきらきらと輝いている。

 俺もまた、スポットライトを浴びていた。

 ロケットはいつの間にか消えていて、カラフルなメッセージが紙吹雪のように降って来る。

 女はくるくると回ってポーズをとり、呆然としたままの俺を放って、語りだす。


「完走した感想ですが、くぅ~疲れました!

 結局連休全部使っちゃったねぇ。もう午前4時!明日ってか今日から学校だよ」


 その表情は晴れやかだ。

 学校という単語、徹夜明けのような、疲れていても眩しい笑顔、ゲームをクリアした子供のような、達成感にあふれた笑顔。

 そうだ。

 彼女たちにとって、あれは、本当にゲームのようなものだったのだろう。

 地球人類の興亡も。

 人の愛も苦しみも。

 栄光も後悔も。

 歴史も未来も。

 全てはゲーム。

 俺たちは盤上の駒だった。

 それが悔しかった。妬ましかった。憤怒の情にかられた。

 俺の口が勝手に動き出す。


「お前たち……一体、何者なんだ……?」


 女は一瞬呆気にとられたような顔をする。

 だがすぐにカラフルなメッセージが答える。


『アーモンドピーナッツさんが\500をプレゼントしました“悪魔”』

『ダイナモ感覚さんが¥300をプレゼントしました。“人間”』

『ぽんぽこりーなさんが¥1000をプレゼントしました。“神様って言ったら?”』

『サンディエゴさんが¥500をプレゼントしました“多分人間”』

『ダイナモ感覚さんが¥600をプレゼントしました“中二病多いなぁ”』

「こらー!NPCいじめちゃだめー!」


 少女の声が制す。メッセージは『サーセン』一色に染まる。

 女はなぜかふんぞり返って言う。


「教えてあげやう。この観客はみぃんな人間!

 でもでも私は清楚派ヴァーチャルアイドル■■■■■■ちゃーん!!」

『嘘つけドルオタOL』『清楚()』「だまれおまえらー♪」


 腑に、落ちてしまった。

 ゲームを遊ぶ神や悪魔を直接見た事がある人間はどれだけいるだろうか?

 殆どいないに違いない。

 ならば、今目の前に居るのは。

 ____俺と同じ、人間。


「しっかしまー、すごいよね!このゲーム。

 作り込みがエグくてー、全部ただのプログラムなのに、本当の人間みたい

 エンドロール後にプレイヤーと喋るNPCなんて初めてじゃない?」

「えぬ、ぴー、しー……」

「そう!YOU ARE Non Player Character!!

 皆お礼してー!」

『乙』『乙でした』『ファンアートしぶに上げました!』『絵師だ!囲め囲め!』


 NPC。ゲームに登場する、プレイヤーが操作しない完全にプログラムでできた存在。

 それが、俺。

 そんな筈はない。

 俺は俺だ。

 俺は俺の意志で行動して、プログラムから逃れようと、必死に足掻いた!

 俺は、俺は……


「……俺は、誰、だ?」


 否定しようとして、その先の言葉が出なかった。

 俺は、俺の名前を知らなかった。

 唯一名前らしきものは、一度『最悪の一個人』エンドの時に名付けられたアウストラロピテクスだけ。

 戦場を作り出さなかった俺は、誰だ?

 俺は今、宇宙飛行士の服を着ている。

 けれど、一度だって宇宙を飛行しなかった。


「……私これ以上考察しない!あとは頑張って視聴者さーん!!」


 女が声を張り上げる。

 その瞳は、もう俺を見てはいない。

 観客席の方へ媚びたポーズを取り、そして愛らしい声で鳴くのだ。


「ということで、一週間ぶっ通し!“地球シミュレーション”実況生配信でした!!

 お疲れ様ー!

 面白かったらチャンネル登録よろしくぅ!無理なら高評価だけでも押せ!!」


 それが別れの挨拶だと分かった。

 配信を終える挨拶。

 女は手を振る。

 俺もまた、何か見えない力に動かされるように、手を振る。

 観客席へ。


「それじゃあ」

「やめろ…………」


『▷はじめから  ▶ゲームを終了する』


「さーよおーならー!!」

「やめてくれ!!」


『  ▶ゲームを終了する  』

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地球シミュレーション @syusyu101

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