§8純潔へのこだわり

 二人は食事をレストランで済ませ、七海は温泉に入って部屋に戻った。和室の部屋には二組の布団が並べて敷かれていて、それを見た彼女はあわてて間を空けた。しばらくして彼が部屋にやって来て、

「やっぱり、まずいよね!僕はロビーで寝るから、ここは一人で使って!」と恐縮しながら言ってきた。私は、彼の日頃の態度から何も起こらないだろうと思い、

「わたしは、肇さんと一緒でもこだわらないし、心配もしていないから!」と告げたが、頑固にも譲らないので、彼の気配りを有り難く受ける事にした。

「気遣ってくれて、ありがとう!ただ、眠るまでは寂しいから、嫌でなければ一緒に居てください!肇さんはわたしと二人切りでいても、何とも思わないんですか?」

「僕も男の端くれだから、女の子に興味がないと言ったら嘘になる。正直に言えば、七海さんと一緒に居ておかしな気持ちになる事だってあるよ。」

「そんな時はどうするんですか?男の人の欲求は、おさえられるんですか?」

「そ、そんな事を聞いてどうするの?抑える方法は、いろいろだよ。」

「でも、手をつなごうともしないし、当然そこから先にも進まないですよね!」

 私は先へ進む事を望んではいなかったが、こうまで欲望を表に出さない男性に会ったのは初めてで、私に魅力がないのかと勘違いするほどだった。

「僕は、女性に純潔を求めているんだ。だから、僕も抑える努力をしている。」

「えっ?ジュンケツ?あのサラブレットの意味で使う純血ですか?」

「いや、血ではなくて清潔の潔、英語ではピュアリティとかチャスティティと言って、キリスト教の教えでもあるんだ。日本でも明治・大正時代に提唱された。」

 私は彼が何を言い出したのか分からず、ぽかんとして聞いていた。

「僕はキリスト教の信者でもないし純潔主義者でもないから、他人の考えを正そうとか、行動を改めさせようとかではなく、自分自身の問題なんだ。」

「よく分からないけど、そもそも純潔とはどういう事なんですか?」

 私の素朴な質問に対して、彼は水を得た魚のように語り出した。

 

 純潔とは、結婚による相手以外と性的な関係を持たない事で、結婚するまではお互いに清さを保つ事だ、と肇は説明した。そして貞操という概念にも触れ、彼氏彼女になってすぐに肉体関係を持つ風潮を批判した。

「僕の考え方は、偏っているのかな?七海さんは、どう思う?」

「偏ってるというより、時代に逆行してませんか?女子高はどんどん共学化してるし、もはや純潔教育が通用する時代じゃないですよ。聖海せいかい女子大はキリスト教系で、かつてはそうした教育をモットーにしてたでしょうが、女子学生の大半は自由な恋愛をしていて、結婚まではバージンでなんて子は、今や稀有けうな存在ですよ。」

 私は思っている事を、遠慮なく彼にぶつけてみた。

「ちょっと前までは、『潮騒』みたいに結婚までは純潔を通すのが当たり前だったのに、いつからこんな風になったんだろう。男女の関係は、崇高なものでありたい!」

「確かに結婚という契約を結んだなら、貞操?貞節?を守るのは当然です。だからと言って、恋愛を否定するような言い方は賛成できません!」

「恋愛を否定している訳ではなくて、結婚するまでは肉体関係は必要ないと思う。」

 彼が私に迫って来ない理由は理解できたが、恋愛に対して臆病な彼ゆえの屁理屈だと思った。私が誘惑したらたらどうするか、挑発してみたくなったが、彼の純粋な思いを汚す事になると思い辞めておいた。


 議論はかみ合わないまま、肇はいつの間にか布団の上で眠っていた。七海は彼の寝息を聞きながら、中々寝付けなかった。

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