第821話_女遊び
「ところで、アキラ」
「んー?」
「今から言うのは、あくまでもたとえ話で、あなたに何を求めるつもりでもないのだけど」
「え、うん。うん?」
妙に慎重な前置きだな。私は新たに違う組み合わせでカクテルを入れていたのだが、とりあえず姿勢を変え、聞く体勢を取った。直感的に今からする話こそ、ナディアが今夜に予定を差し込んだ理由なのではないかと思ったから。
「私達がもし、『外での女遊びをやめて』と求めたら、聞ける?」
「おぉ……」
思わぬ話題に変な声が最初に出た。そうして戸惑った私が回答を考えるより先に、ナディアも少し考える顔をして「いえ」と言葉を挟む。
「相手が獣人族の場合は一旦、除外にしましょう。既に『馴染みの子』も居るものね。だから、人族との女遊び」
「うん……?」
私はまだ困惑の中にいて言葉が出てこない。しかしナディアはそこで言葉を止め、こちらをじっと見て回答を待っている。ええと。たとえ話、だよね。
「二つ返事での了承は難しいな……どうしてそれを求めるのかを聞いて、解決を考える」
「じゃあリコットが、アキラを『知らない女に触られたくない』と言ったとしたら」
「ううーん」
いつの間にか私は真剣に考え始めていた。リコットがそんなことを言うかはさておき、本当に言われてしまったら、私はどうするのだろう。
「何故そう思うのか、聞く」
やや馬鹿な対応だという自覚もあったし、ナディアも明らかに呆れた顔をしていた。身を縮める。ごめんなさい。だけど何が不満でそんな事態になるのか、誤解なく明確にしなければならないと思うので詳細を教えてほしいです。
「……自分へ向けられる愛情が減る、あなたの興味が外に向いて、此方を見てくれなくなるから、とか?」
「減らない!」
思わず強い声を返した私はこれがたとえ話ということを、ちょっと忘れていた。
「一度好きになった子への愛情が減ることなんか無いよ! 特にリコは毎日一緒にいて、毎日更新されて、毎日新しく好きなところを見付けちゃう。むしろ増える!」
「……そうね」
勢いよく早口で返した私に少しナディアは仰け反りつつも、肯定的な言葉を返してくれた。リコットはあんなにも可愛いんだから、毎日可愛くて、毎日新しく好きになっちゃうのは自然の摂理だよね。
理解を得られたような気持ちで満足して頷く私の横で、ナディアはお酒を傾けてしばし沈黙した。
「つまりアキラは、女遊びをやめることは難しいのね」
む。少し頭が冷えて、ようやくこれがたとえ話だということを思い出した。私の行動に不満を告げるリコットは実在しないんだ。ふう。息を一つ吐き出してから、ナディアの言葉に頷く。
「まあ、そう、だね。完全にやめろって言われるのは、うーん、難しいね」
もし女の子から「別の人と遊んでる場面に遭遇したくない」って言われれば、場所を分けるとか、出現場所をあらかじめ伝えておいて互いに避けるとか色々できるけど。一切誰とも遊ぶなって言われたら、うーん。どうしよう。ちょっと話し合おう、ってなる。
「あなたに『女遊び』は、どうして必要なのかしら」
字面は最低なんだけど。その言葉を紡いでいるとは思えないくらい優しい響きの声に、思わず顔を上げる。ナディアの声も表情も私を責めているようではなくて、むしろ甘やかされている感覚すらあった。情けない顔をしていたんだと思う。ナディアは少し口角を上げ、私の眉尻を軽く撫でた。
「一昨日はカンナ、今夜が私で、明日にはリコット。順番待ちまでされても、足りないの?」
今回のこれを『順番待ち』って言うのかな? 分からないけど。でも確かに今の私は、ほとんど途切れず夜を過ごしてくれる女性が複数居て、その後には可愛い子供達とのデートもある。……それでも、彼女達だけでは駄目だという明確な理由が、私の中にはあった。
「正解だけど……多分、ナディが思うのとは逆の意味」
「どういう意味?」
苦笑する私に、彼女は怪訝か顔で首を傾ける。一緒に猫耳も少し横に垂れたのが可愛かった。
「ナディは、注げる愛に上限があるって思う?」
「……そうね、リコット達へ注ぐほどの思いを、もう十人に注げと言われたら目が回りそうよ」
回答が愛らしくて頬が緩む。そうだよね、ナディアは本当に深く深く彼女達を愛しているから、他に沢山居たら、大変だよね。肯定するように二度頷いた。
「私にもね、流石に上限はあるだろうなって思う。だけど今のところ感じてない。元の世界の子達も含めてみんなが愛おしくて、まだまだ沢山の人を愛せる」
ちょっと呆れた顔をしつつもナディアは「でしょうね」と相槌をしてくれた。
こっちの世界では、懐の中に入れている人数が少ないくらいだ。元の世界で、愛した人はもっと沢山居る。忘れられないし、忘れたくない。何も変わらずに愛している。それでも私の心はまだ、『他の』愛すべき人を求めていた。もしも彼女達が今も触れられる場所に居たとしても、その性質は変えられないだろう。
「私ね、逆の上限もあると思ってるんだ。受け止められる愛情の上限」
ナディアはハッとした様子で、私の顔を凝視した。言わんとすることを察してくれたらしい。
「君達だけで、私の愛の全ては受け止められないよ」
私にとって足りないのは、受け取る愛じゃない。注ぐ方の愛だ。
どれだけ愛すべき人を得ても、注げる愛情が、いつまでも枯渇しない。まだまだ足りない。もっと、もっと、もっと愛したい。
そんな愛情の容量を、ナディア達だけで受け止めることなんて到底できないだろう。今だってこの過多な愛情を『過保護』と怒られているんだから。私は過保護じゃない。注ぐ愛情が多いだけ。
「受け止めようともしなくていい。しんどくなってほしくない。そんなことの為に愛してるんじゃないんだよ」
私が足りないからって、無理にでも受け止めてほしいなんて、とても言えない。愛している人に『無理』を願えるはずもない。
「……だからあなたは、発散の為に女遊びをするのね」
「発散と言うか……気を紛らわせるって方が、近いかなぁ」
疑似恋愛で、他にも愛情を注ぐ先があると自らを錯覚させて、意識を逸らす。やっていることは発散と何にも変わらないな。言い方だけの問題だね。
「もしも際限なく受け止められる人が居たら、外をうろうろしなくて済むのかしら」
「そうだねぇ、どれだけ注いでもいいなら」
土台無理な話だから、妄想でだって願おうと思わなかった。だけど。酔ってしまったのかな。促されるままにそんな夢を心に描く。
「……それができたら、どんなに」
自分だけで留めていられないほどの大きな思いが、いつも私の身体の中に溢れている。想像するだけで、それらが行き場を求めて膨れ上がりそうになって、ぐっと飲み込んだ。軽く頭を振る。
「危ないな。あんまり刺激しちゃだめだよ、ナディ。今夜の君がつらくなるね」
どういう意味かは、ナディアなら分かるだろう。彼女は目を瞬いてから、軽く肩を竦めていた。
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