第815話
一方で、カンナが前に出ようとしていた気配は拾えた為、制止するべく彼女の前に腕を出していた。今は私もデオンも居る。カンナが出る必要は無い。こちらに背を向けていたデオンは、カンナの動きには気付いていなかった。
「見てくるよ。アキラ達は必要に応じて避難してくれ」
「うん、気を付けてね、デオン」
「ありがとう」
デオンは応えると同時に駆け出して、音がした方へと消えて行った。いや、背中が大きいから遠くに行っても中々消えないが、人混みに紛れる形でようやく見えなくなった。
「ナディ、音は大丈夫だった?」
「……耳鳴りが止まないわ。最悪」
「あらら」
大きな音は、良く聞こえる猫耳には酷い刺激だったみたい。ぺたんこになるまで下がった猫耳を更に両手で押さえている。周囲の他の獣人も一緒だ。可哀相。
この状態のナディアに、何が起こっているのか聞いてもらうのは流石に難しそうだね。自分で聞くか?
「アキラ様、私の方で聴覚強化をいたします」
「んー、……分かった。お願い」
思考が読まれてしまった。正直、ナディアの二の舞になってほしくないから、カンナにさせるのも気が引けるんだけど。カンナが代わりに申し出てきたことも、それを懸念してのことだろう。従者としての誇りを穢さぬよう、受け入れておく。もし鼓膜に何かあったら私が即座に回復魔法します。
「既にデオンさんが収束されたようです。……酔っ払いの喧嘩のとばっちりを受けて、店の何かが破壊された音だった、と思われます。店主と思しき方が嘆いています」
「あ~」
ちなみに渦中の酔っ払いの声は全く聞こえないそうなので、もう眠らせたのではないかとの予想だ。さっき行ったばかりなのに既にその状態って、問答無用で殴ってない? あの紳士が暴力で問題を解決してるの、ちょっと面白い。
「デオンは無事そう?」
「はい、店主を宥めながら、駆け付けた警備兵とお話されています。お声に変化はございません」
良かった。傷だらけで捕えられている時のデオンの印象が私の中で強いせいだろうか。強い人なんだろうけど、変に心配になっちゃう。
そのまま五分ほど様子を見ていたら、デオンが戻ってきた。まだ私達が残っているのを見付けて、ふっと柔らかな笑みを見せる。
「避難しなかったのか。もう大丈夫だよ」
「ケガは無い?」
「私か? ああ、掠り傷一つ無いよ」
更に目尻を下げている。優しい顔立ちだよなぁ、本当に。気配を感じ取れないのにそれでも気を許してしまうのが、この優しい瞳のせいだと思う。罠に掛けられたら絶対に死ぬね、私。
さておき、デオンが改めて状況を説明してくれた。酔っ払いが三人争っていて、二対一で口論。しばらくはただの言葉での応酬だったのに、何かの折に一人だった方が激高して、相手の一人を殴り飛ばした。殴られた人は大きくぶっ飛んで店のカウンターに突っ込んでしまって、それを破壊。カウンターと繋がっていた屋根まで崩れた為、大きな音が鳴った。
その後は、殴った人と残った一人が取っ組み合い。そこへデオンが到着して一発ずつ殴って即座に眠らせたそう。やっぱり暴力で解決していた。
ちなみにカウンターの屋根の下敷きになった人は既に気を失っていたので、引きずり出しただけらしい。
「既に警備兵が到着しているし、間もなく連行するだろう。もう危険は無い」
「そっか、デオンが居てくれたから怖くなかったよ、ありがと」
私の言葉にデオンは嬉しそうに微笑んだ。
事情も分かって気が済んだので、雑談もそこそこに、デオンとは別れた。
以降は特に何のアクシデントにも遭遇せず、すんなりと残りの納品物および自宅用の買い足しをして帰宅した。
「ふわ~濃密な時間だったねぇ」
「おかえり。どしたの?」
変なことを呟く私に、リコットが苦笑している。子供達も家に居たみたいで、ソファから「おかえり」と言ってくれた。
「デオンと遭遇してどったんばったん」
「えぇ?」
私のあんまりな説明に、ナディアが呆れた様子で溜息を吐く。勿論、カンナと二人で説明し直してくれた。そうして補足してもらえることが分かっているから私の説明がどんどん横着になるんだよね~。反省していないから尚更だった。
さてと。買ってきたものを家用とスラン村用で仕分けするか。まずは食材から――と、キッチンに足を向けたところで。
「あの、アキラ様」
「ん?」
カンナが私を呼び止める。何処か躊躇いを含む声、緊張を帯びている気配。どうしたんだろう。きちんと足を止めて振り返った。他の子らも彼女の様子に違和感を抱いたようで、動きを止めてカンナを見ていた。
「以前、デオンさんから『殺気』が感じられないというお話でしたが、本日も同じでしたでしょうか?」
「え?」
私の顔には明らかに困惑の色が滲んだと思う。何故そんなことを問われるのか全く分からなかった。だってその問い方は、まるでカンナには。
「うん……今日の騒ぎの時も、全く感じなかったよ」
あの時、私が呑気に瞬きをしている隙にデオンはもう剣の柄に手を掛けていた。今回は騒動の音が遠かったからまだ抜いていなかっただけで、彼がそのままの勢いで動いていたら私が目を開ける時にはもう剣身は全て引き抜かれていたはずだ。私の全ての感知能力から、逃れたままで。
返答に、カンナの表情が、明らかに曇った。言葉を選ぶように唇を震わせている。
「――あったわよ」
その沈黙に、最初に声を挟んだのはナディアだった。
「私に戦いの素養はないけれど。あの人が音に反応した瞬間から、はっきり、殺気と言うか……勝手に身体が竦むような気配を感じたわ」
「えぇ……?」
私は困惑していた。そんなものは無かった。
デオンが反応を見せる前から、剣の柄に手を掛け、駆け出していくまでずっと。彼からそんな気配は一切感じていない。
だけど、多分この反応を見る限りカンナも感じていて、気配に敏感なナディアも『威圧』に近いものを感じ取ったと言う。
「アキラ様」
何度も何度も記憶を辿ってその気配を掴み取ろうとしている私を、カンナが優しい声で、宥めるみたいに呼んだ。
「私の方も、彼の動き出しを、気配から察知することが可能でした。デオンさんの方に特殊な要因があるものではないのかもしれません」
改めて告げられるその事実に、私の中の混乱が、不安に変わっていく。彼の方に無ければ、要因があるのは私しかいない。だけど心当たりが全く無い。出会った時からそうだったのに、どうしてそんなことが起こり得るんだ?
「……勝手な所感と、憶測ではございますが」
一つ呼吸を挟み、ゆっくりとカンナが続きを口にする。その声には、先程までよりも強い緊張が宿っていた。
「お二人は、ほんの少しだけ目元が似ていらっしゃいます。……御親族のどなたかに、彼と似た方がいらっしゃいませんか?」
似てるって、私と?
デオンは明らかに西洋に寄った端正な顔立ちだ。私の家族に――。西洋の。
優しくて柔らかな笑顔が、記憶の奥底で私に微笑んだ。
「じいちゃん」
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