第813話_歩き心地

 会話中にもせっせと髪を整えてくれたカンナに感謝を述べ、ようやく買い物に向かう。

 しかし、意気揚々とご機嫌な足取りでアパートの一階に下り、エントランスの扉を出たところで。思いがけず、ヘレナと遭遇した。

「あ……おはようございます。お出掛けでしょうか」

「ちょっと買い物。私に用事かな?」

「はい、一分ほど宜しいですか?」

「構わないよ」

 実際は一分も掛からない用事だった。

 レッドオラム支部の統括ゾラから手紙が届いた為、それを届けに来たみたい。大事な手紙の場合、『本人のみ受け取り可能』の制限が掛けることができて、基本はギルド内での受け渡しになる。前回がそうだった。

 でも正規職員の場合は、直接本人に届けることが出来るらしい。以前は正規職員の手が空いていなかった為に呼び出しだったそう。今回はヘレナが他にも近くに所用があり、そのついで、という口実で来てくれたとのこと。『口実』ね。つまり、主従関係を結ぶ前だったら此処まではしなかったのだろう。

 とにかく私が書類にサインをして、手紙を受け取った。

「きっとこの間、ヘレナが教えてくれた件だね」

 魔物が北部へ移動した後、国境を越えてマディスに入っている件ね。私達はヘレナからのリークで既に知っているが、ゾラも少しの遅れはあれど約束を果たしてくれたのだと思う。忙しいだろうに本当にありがたい。

「あ、待ってヘレナ。そういえば、まだ紹介してなかったっけ」

 立ち去ろうとしていたヘレナを呼び止める。一分の用件を無遠慮に引き延ばします。そしてカンナを傍に呼んだ。

「私の侍女さん。新しい家族」

「カンナと申します」

 街中ではラストネームを伏せ、貴族らしい丁寧な挨拶も全て省略して名乗ってくれる。私は一度もそのような指示をしていないのだけど、きちんと察して対応してくれる賢い侍女様が今日も愛おしい。カンナが頭を下げると、ヘレナも応じるように深々と頭を下げて挨拶していた。

「ギルドにいらした時に、ご一緒の姿をお見掛けしておりました。侍女様だったのですね」

 そうなんだよね、以前カンナを連れてギルド支部を訪れている。でもあの時はヘレナの受付じゃなかったから、紹介する暇がなかった。

「私が忙しい時には手紙を代筆させることもあると思う。サインがカンナだったら、あまり気にしないで受け取って」

「畏まりました」

 その為の紹介でした。こんな理由や事情がなければ、私の家族が増えたからってヘレナに都度教える必要は無いからね。とにかくこれで私の要件も済んだ為、ヘレナを解放する。彼女も一応『口実』にしてきた別件があるはずだし。

「待たせてごめん、行こう」

 振り返り、少し離れた場所で待っていたナディアを呼ぶ。尻尾が大きくふさりと揺れて、彼女が傍に寄ってくる。最初から傍に居たらいいのに。そんなにヘレナが苦手かい。段々可愛く思えてきちゃったよ、その苦手っぷり。

 今日の見張りは日中にも拘わらず、ナディアが来ている。そんな稀な時にヘレナと遭遇する彼女の不遇さたるや。まあ、リコットもあんまり好きじゃないらしいので……見張り役の中で気にせず会わせられるのはラターシャだけなんだけどね。

 ちなみに誰も何も言わないし私も聞くつもりは無いけど、ヘレナに対する嫌悪は実のところカンナが最も強そうで怖いなと思っています。でも知りたくない触れたくない。私の侍女様は怒ると怖いんだもの。

「まずは布を見に行きま~す」

 気を取り直すようにわざわざ宣言をして、歩き出した。

 スラン村に納品するものは布、工具と資材、日用雑貨、それと食材。今回はその中にお菓子とワインも少し含まれている。誕生月の人に振舞うらしい。良いことだ。今まではささやかなお祝いしか出来なかったんだろうけど、これからは盛大にお祝いしてほしいよね。

 しばらくスラン村からの依頼は衣服と本が多かったものの、どちらも一通り揃えてしまえば、贅沢思考ではない彼女らが続けて欲しがるものでもない。一定の水準まで生活が整ったから、最近は日々消費されるものを補充している感じだね。石鹸や筆記具が多いかな。今まではそれらも手作りしていたようだけど、生産に手間や時間が掛かるものだから、お金で解決する方向に舵を切ったようだ。良い判断だと思う。

 思考が逸れたが、宣言通りにまずは手芸店で発注通りに布を買い揃えた。

「ナディが来てくれてる時で良かった。布、一緒に見てくれてありがとう」

「どういたしまして」

 布もそうだけれど、糸や針など裁縫に関するものの場合、ナディアが一緒に見てくれると間違いがなくていい。

「ところでカンナ、歩き心地はどうかしら? 違和感はない?」

 店を出て少しすると、ナディアが後ろから声を掛けてきた。私にではない。話し掛けられたカンナが、歩きながらも危なげなく振り返って答える。

「ございません。むしろ『以前の職場』で支給されていたブーツよりも心地良く、足の負担が少なく感じます」

「そう、良かった。そうね、フルオーダーだから」

 今日のカンナは、ナディアお手製のブーツを履いている。スラン村の滞在中にかなり集中して作業できたとのことで、私のブーツもあと少しで出来るらしい。楽しみだ。魔物素材を扱うのはまだ先だけど、お試しの通常素材でも、ナディアの手作りってだけで嬉しいに決まっているよね。

 しかし昨日も一日中カンナはそのブーツを履いていて問題なかったのに、なおも心配で外まで付いてきちゃうナディアが可愛い。久しぶりに作った靴だから、妙に不安みたい。振り返る度に視線はカンナの足元です。でもそれを見つめてニコニコしちゃう私のことはしっかり睨んでくる。目ざといな。

「城も、流石に支給品まではフルオーダーじゃないんだね」

 盗聴防止魔法を掛けながら会話を継続した。カンナが『以前の職場』と言うように、私らが城や貴族社会と深く関わっていると分かる内容を往来で話すべきじゃないからね。カンナは唐突な魔法に驚いた様子で一度だけ目を瞬いたが、すぐに飲み込んで頷く。

「はい、男女それぞれ十通りのサイズから選びます。支給品でフルオーダーの品はあまり聞きません」

 サイズ内に収まらない者は別途注文になるらしいけれど、それでもプラス・マイナスのサイズを指定するのみで、フルオーダーではないらしい。

「ドレスなどに合わせる靴であればフルオーダーも珍しくありませんが、外歩き用になると、貴族であっても既製品に頼ることは多くあります」

「へ~、そうなんだ」

 貴族様の服って何でもかんでもフルオーダーかと思っていたが、カンナの言うようなケースだと、既製品をそのまま使うか、身体に合わせてちょっと調整するパターンオーダー形式が精々だそうだ。

「そちらの方が使用頻度は低く、汚れてしまうから、という考えですが」

「ああ……それは私達とは違う感覚だね」

 一瞬でも「庶民的なところもあるんだな」と思った私が間違いだった。

 正装に合わせた靴の方がよく使うなんて、流石の私にも無い感覚だ。スーツと革靴って言われれば社会人にとっては分かりやすいけれど、その程度じゃなくて、タキシードとエナメルシューズくらいの水準の話でしょ。それを毎日使うって……「すごいね」みたいな中身のない言葉しか出てこないな。

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