第719話
引き続き昼食を進めながら、ちらりとソファの方を窺う。リコットはソファの肘置きに頬杖を付いて、そっぽを向いている。表情は見えない。代わりにルーイと目が合った。ちょっと落ち着かない顔をしている。多分ルーイは、リコットの様子がおかしいから心配して、傍に残っているんだな。
さて。一体どうしてあんなことになっているんだか。
気にはなるが、食事中に慌てて突いても「良いから食べなよ」と言われそう。とりあえず、食うか。
視線をテーブルに戻したら、ナディアが私の方を見ていた。顔を上げると逸らされてしまう。うーん。みんな妙に窺い合っていますね!
そうと知りながらも私は食後、まだリコットには何もちょっかいを掛けず、キッチンに留まった。おやつの準備である。
昼食直後からもう何か調理を始める私にナディア達は呆れ顔だ。
「手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。お昼の用意もお片付けも、ありがとうね」
私の言葉にラターシャは少し笑って、「いつもしてもらってるから」と言った。その辺りは私の勝手であり、私が好きでやっていることだよ。
生地を作りながら、ふと振り返ったらカンナはダイニングテーブルの方に座っていた。私の動きに応じてパッと顔を上げる。
「カンナ、ちょっと隣においで」
「はい」
少し不思議そうな顔で立ち上がったカンナが、言われるまま隣に立つ。私は逆側に用意していた材料の一つを小さいスプーンで掬った。
「あーん」
「え」
味見させようとしているのだが、私が手ずから与えようとするのでカンナが珍しいくらいぎょっとしている。でも「早く~」と求めたら、躊躇いながら小さいお口を開いてくれた。そっとスプーンを差し込めば、すぐさまカンナの目がきらきらと輝いて、私を見上げる。
「美味しい?」
「はい! ……し、失礼いたしました」
「ふふ」
大きいお返事をしちゃった時、カンナはいつも身を縮めちゃうね。可愛い君の声に怒ったりしないのに。カンナを宥めるつもりで小さい肩をひと撫でする。
「今日はこの、お酒に漬けたドライフルーツを使ってパウンドケーキを作るから。いいお茶、考えておいて」
「畏まりました」
ドライフルーツの酒漬けは、以前にカンナから聞いていた『好きなお菓子』だ。このパウンドケーキをいつか作ろうとは思っていたものの、長く機を逃してしまっていた。
しかしお酒っぽさが強くて苦手に思う子もいるかもしれないので、二種類作ろうかな。
もう一つはチョコレート生地とのマーブルにしよう。簡単だし。カンナにもそれを告げておく。可能なら、両方に合うお茶がいい。カンナが真剣な顔で頷いた。可愛い。
そうして二つのパウンドケーキを焼いている間に。私はいそいそとソファに移動する。さっきまでリコットは誰とも会話をせず、ずっと雑誌に視線を落としていたけれど。私がソファに座るとすぐに顔を上げて私を見た。目が合ったら、一瞬驚いた様子で目を瞬き、そのまま気まずそうに俯く。
「どうしたの、リコ」
私の端的な問いに、リコットの隣に座るナディアがちょっと呆れた顔をした。率直過ぎだと思っているのだろうが、私にそんなスマートさを求められても困る。
そしてリコットは本当なら「何でもない」って言いたいところなのだろうが、私にタグが見えるせいか、口を尖らせるだけだった。
「私より、アキラちゃんがまた何かあったんじゃないの」
「うん?」
「帰ってたのに寝室に居ないし。全然起きないし」
少し首を傾ける。私の気まぐれな行動の一つ一つに、明確な理由はあんまりないんだよなぁ。帰った時に、寝室に入らなかった理由か。
「夜が明ける寸前くらいに帰ったからなぁ、すぐに起きるつもりだったんだよ」
結局は昼過ぎまで寝てしまったので、リコットにも言われたように、寝室のベッドに入っていた方がむしろすぐに疲れも取れて早く起きたかもしれない。
「それと、何か、うーん。……悪いことをしてきた、ので、みんなの傍で寝ることに、気後れをした?」
寝室を覗いた時の妙な感情を言語化すれば、そういう感じだなぁ。しみじみと思い返していると、ナディアが眉を寄せた。
「また人でも殺してきたの?」
「しょっちゅう殺してるみたいなのやめてねぇ」
人生の内で一人も殺さないのが当たり前であろうことを考えれば、沢山、しょっちゅう、殺してる気はするけど。
「……行為の中でした『悪いこと』って、報告義務ある?」
神妙な顔で私が問う。静かにラターシャが耳を塞いだのを見て、隣のルーイが肩を震わせて笑った。
「向こうの部屋で聞くわ」
「義務はあるんだ……」
別にいいんだけどさ。私はちょっと肩を竦めてから、立ち上がる。耳を塞いでいるラターシャには、ルーイがとんとんして「大丈夫だよ」って教えてあげていた。リコットはすぐには動かなかったんだけど、私とナディアが部屋に入り込む頃には滑り込んできた。
「私も聞く」
「……あの、アキラ様、同席しても問題ないでしょうか」
カンナまで来ちゃったよ。大人組が勢ぞろいじゃん。まあ、断る理由は無かったのでどちらにも頷いて了承する。
「こんな大袈裟にする話じゃないんだけど」
何だよこの謝罪会見みたいな状況は……と思いながら、前置きをした。
「あー、行為の痕を付けるのを許してもらう代わりに、金貨二枚を渡した」
端的に述べた言葉に、部屋に少しの沈黙が落ちる。最初に口を開いたのは、ナディアだった。
「相手は素人?」
「いや、娼館の子」
再び短く沈黙しながら、リコットとナディアが軽く視線を交わす。
「別に……良くない? 相手は同意したんでしょ」
「まあ、うん」
同意してくれるなら受け取って、と言って置いた金貨を彼女が収納空間に取り込んだから、言葉にはしていないが同意なのは間違いない。そう説明したら、また二人が軽く視線を交わす。
「金貨二枚もの大金を一般の娼婦に軽く渡すような相手を、恐ろしく思った可能性は、ゼロではないわ」
そうなんだよねぇ。一瞬だけど、トリシアは怯えた目を見せた。
大金を持つ人種で一番可能性が高いのは権力者。貴族などの血筋がなくたって、めちゃくちゃ稼いでいる商人なら扱いは準貴族だったり、お金によって何かしら権力を持っていたりするだろう。そうじゃなかったら、次に高い可能性は犯罪者だ。どちらであったとしても、お金を返すだけでは断れないかもしれないって考えてもおかしくない。
……ちなみに私はどっちにも当てはまる為、気休めの言い訳も思い付かない。
「それでも、あなたのことだから酷い怪我を負わせたわけでも、痛め付けたわけでもないんでしょう」
「当たり前だよ。そんなことはしない」
言葉尻が苛立ったみたいな色になったせいか、みんなが微かに緊張した。だけど疑われたことを怒ったわけじゃなかった。お金で我儘を通すような人間が、人間性を疑われたくないと願うのはあまりにも愚かで、そんな自分にちょっと苛立っただけ。「ごめん」と言えば、ナディア達は少し心配そうに目を細めていた。
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