第118話

 デザートや最後のコーヒーに至るまで、王城のディナーには非の打ちどころなく、本当に楽しませてもらった。

 しかもこの国は結構ワイン産業も盛んであるとのことで、何種類か出してくれたワインも最高。いくつか産地の話もしてもらったし、美味しいワインの旅も良いなぁ。

 私がお酒好きと知った彼らは次回も良いものを用意してくれるとのことだから、楽しみにしていよう。うーん、見事に食事で絆されているね。

 さて、食後は更にお楽しみです。

 王様とベルクとクラウディアに別れを告げて、侍女さんの案内で私が今夜休める部屋に向かう。

 いやはやこれは客室の区画なんだろうけど、美術館さながらですね。花瓶や装飾、絵画がどれも見応えがあって、歩いているだけで楽しいよ。

「これは?」

 一際、大きな絵画の前で足を止める。中央には黄色の花畑、周囲は緑豊かな森や山。真っ青な空。美しい風景を描いた優しい絵だと思った。

「そちらは王妃殿下の故郷の風景を描いたものでございます。王妃殿下がいらっしゃいました初年に作成されたものであったかと」

 随分と、奥さんの故郷を大事にしているんだな。いや、奥さんを、かな。彼女が故郷を離れて城に来たことの慰めであるように感じた。結局、病に臥せってからは故郷に帰してあげてることから、奥さんはとても故郷を愛していて、離れてしまったことを寂しがっていたんだろうか。

「でも此処は客室に通じる廊下でしょ? 王妃さんの私室に飾らなくて良かったの?」

「いえ、此方は以前、王妃殿下とまだ幼かった王子、王女殿下がご使用になっていた区画でございます。今はどなたもご使用ではなく、極めて尊いお客様にお休み頂く部屋としております」

 つまり昔は子供らと共にこれを眺めていたと。そして今から案内を受ける部屋。元は王族の私室だったってことだ。これは思っているより豪勢な部屋に通されそうだな。

 事前に覚悟が出来て良かった。部屋に案内されてから、改めてそう思った。今レッドオラムで取っている五人部屋が四つは入りそうな寝室だ。うける。

 そんなだだっ広い部屋に一人の女性が待ってくれていた。私へと向き直り、優雅に礼をしてくれる。

「こんばんは、カンナ。長く待ってもらってたのかな」

「いいえ。必要な準備をしておりましたので」

 案内してくれた侍女さんは、「何かございましたらいつでもお呼びください」と言い、恭しく一礼の後、静かに退室した。

「ふう」

「お疲れでございますか」

 やべ。色々と気が抜けて、思わず息を吐いてしまった。

「ごめん。女性を前に失礼だったね」

「とんでもございません。お茶をお淹れ致しましょうか?」

「あー、いいね。でも、先にお風呂に入るよ」

 温かい飲み物でリラックスしたらそのままベッドに行きたくなる気がしたので。

 やっぱり少し疲れているのかもしれない。今日は討伐に出たわけではなく、ただ気楽に晩餐に招かれただけだったんだけど。まあ驚きは沢山あったかな。この部屋の広さとか。

「浴室はあちらです。準備は整っておりますので、どうぞ。お手伝い致します」

「おー」

 そっか。身分の高いお貴族様ってそうだよな。

 カンナは私の妙な反応に一瞬だけ不思議そうにしたけれど、すぐに戸惑いの理由に気付いたのか、私の動きと言葉を待っている。きっと私が要らないって言えば、この子は素直に引き下がるのだろう。

「うん、じゃあお願いしようかな」

 折角だから、この国の貴族の気分を存分に味わってしまいましょう。カンナに導かれるまま、浴室へと入り込む。脱ぐところから手伝って――っていうか全て脱がせてくれるみたい。すごいね。

「は~、これは贅沢だ~、気持ちいい」

 そして今、私は髪を洗ってもらっている。これは楽だわ。

 しかもこの世界、結構ちゃんとした石鹸が出回っているんだよね。中世ヨーロッパみたいな雰囲気の暮らしである一方で、現代日本にも引けを取らないものも多くある。液体石鹸は今のところ見ていないので、今もカンナが丁寧に固形石鹸から泡立てて私を洗ってくれているが。それにしても城で使われる石鹸は流石、上等そうだ。いい匂いもするし、肌触りも滑らか。

「カンナはもうお風呂に入ったの?」

「はい、アキラ様にお会いする前に、身体は清めております」

 彼女の言葉に少し笑う。「清めた」という言葉が、単にお風呂に入ったというだけの意味じゃないと思ったから。

「私は神様じゃないよ、カンナ」

 見上げると、カンナは少し驚いたような、戸惑ったような様子で目を丸める。

「……私共にとっては、等しく尊い御方です」

 落ち着いた声でそう返した後、洗い終えた髪から泡を流していく。根付いた『信仰』は容易く崩れないかもしれないな。ナディア達は私に気安くしてくれるけれど、彼女達と貴族では、立場も違えば教育も違う。貴族なんて特に、厳しい教育の中に救世主信仰が盛り込まれていそうだ。アーモスみたいな奴も居るだろうけど。

 しかし本当に気分が良いなこれは。髪の後は顔も身体も洗ってくれて、最後は拭くところまで全部やってくれる。じっとしていれば終わるっていうのがね。でもカンナは大変そう。

「本来は一人じゃなくて、数名でやるのかな、しんどくない?」

「いいえ。支度が急ぎである場合は数名が付きますが、指示がない限りは一名のみで行うことがこの城では通例ですので、問題ありません」

「へえ」

 もしかしたら、こういう世話もさせようと思ったから、相手を侍女から募ったのかな。まあ、何でも良いか。

「着替えは自分でするよ。浴室の片付けあるでしょ? そっちをお願い」

「畏まりました。お手伝いが必要でしたらお呼び下さい」

「はーい」

 浴室の隣に脱衣所みたいなスペースがある。置いてある着替えはただの寝間着なので一人で着れますよ。ドレスは物によりけりだね。今日の晩餐会もラフで良かったから助かった。ドレス自体は別に嫌いじゃないけど、彼らの為に着飾りたくはない。そういえばマナーについては何も言われなかったな。と言うか、三人のマナーを見ながら食べていたけど、多分フレンチのマナーと一緒だね。

「お待たせ致しました。問題ございませんでしょうか」

「うん、大丈夫。お片付け早いね」

「……慣れた仕事の一環ですので」

 ずっと無表情で淡々としていたカンナが、答える瞬間だけ少し表情を緩めた。「優秀だね」と笑えば、短く「恐縮です」と言い、微かに俯く。照れたみたい。可愛い。

「お茶をお願い。あ、カンナも一緒に飲んで」

「畏まりました」

 好みの茶葉を尋ねられたけれど、よく分からないからカンナのお勧めにしてもらった。丁寧に茶器を扱い、手慣れた様子でお茶を淹れてくれる。漂い始めたお茶の香りをゆっくりと吸い込み、静かに吐き出すだけで、心が緩む気がした。

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