第160話:別れ
ユングフラウ。前の戦争で旅人と称しオイレンブルクとビンデバルトを戦争状態にさせた元凶。その時の年齢はわからないが、20年以上たった今と考えて、見た目が若すぎる。立ち姿は背筋が伸びて、衣服の着こなしも良い。肌艶も30代のように見える。
「あら?……私の顔に何か?」
じっくり眺めていたのが気に障ったのか、こちらに視線を落とす。目を細めて見られると、気持ち筋肉が硬直するような冷たい感じがした。
「……」
返事は返せなかった。気になるというか、気に入らない存在。今までの話の流れから、どう考えてもこいつが周囲の国を不幸に陥れている。
ただ、俺の怒りを上回るであろう、エルフリーデからは歯ぎしりが聞こえる。身を乗り出しそうな筋肉の入れ方から、瞬時に手が剣に伸ばせるよう整えている。
そしてもう一人、クリスティアン。我慢して押さえているのは場数を踏んでいるからなのだろうけど、深くゆっくりとした息遣いが怒りを抑えているのを感じられる。
もちろん、リリアンヌも同じだが、このユングフラウの睨みは俺たちを押さえつけるだけの重圧があった。誰も動けない。
ダニエマは怒りではなく恐怖で動けないように見える。呼吸は早くなっていて、さっきまで夫へ向けて威勢良かったのが感じられない。
それらを見て、すぐに何かされると感じなかったのか、ユングフラウは話を戻した。
「さて、そのダメな人」
夫の人に向かっての話の続きだ。
「名前はなんだっけ……ま、いいか」
何のために聞くのかわからない。夫の人は答えようとしたが、その時にはすでに答える必要が無かった。
ユングフラウが首を傾けたところ、その背後から空気を切るような音と共に、矢がすり抜けて、夫の人の頭から体を貫通し、エルフリーデに向かってきた。
「!」
俺が気付くよりも先に、クリスティアンが大鉈で壁を作り、跳ね返り壁に当たった。
高さは3メートル、幅は2メートルほどの通路ということもあり、警戒してくれいたのだろう。命拾いした。もしかしたら、別の時間軸で俺が死ぬ可能性があったから常に警戒態勢なのかもしれない。反応が早かった。
しかし、それは一瞬の出来事だった。夫の体はビクっと跳ね、小刻みに震え、止まり、地面に血が広がっていく。
呆気に取られていたところ、真っ先に動いたのはダニエマだった。
夫の遺体に歩み寄り、触れて、動かなくなったことを認識すると、崩れてしまっている顔にお構いなしに頬を摺り寄せて大声を上げ、泣き始めた。
「ダニエマ……」
さっきまであんなに毛嫌いしているようだったのだが、亡骸となるとまた別の感情が沸いてきたのだろうか。夫婦とはわからない。
ただ、その光景を見ていた中で、それを感情が無くどうでも良いと思う人物がいる。ユングフラウだ。
「男の死体には興味が無いんだ。投げといて」
ユングフラウはハンカチで口元を押さえ、嫌悪感を見せた。そして、護衛の者に川へ投棄するように指示した。
泣いて抱き着いているダニエマを引きはがした。血があふれ出し止まらない。護衛の者たちは服に飛び散るのを気にせずに、いつものことのように表情を変えず川へ投げ込む。
「ヴィルナン!」
流れていく遺体を見てダニエマが叫び崩れる。それが夫の名前だったのだろう。疎遠であったとはいえ、何かの情はあったのだろうと、その姿を見て色々な形があるのだと感じた。
「さてさて、ところで、キミたちは何なのかな? 王の夜伽相手? ……じゃないよね? 男どもは新しい供物でもなさそうだし?」
ヴィルナン関係なので、女の子たちに関することで、この雁木まで迎えに来たんだろう。周りを見渡しているが、俺たちしかいない。明らかに不快感を示している。
「残念だけど、私たちは、その貴方が連れて行った女の子たちを取り戻しに来ただけ。不快で結構」
リリアンヌが我慢の限界だったのか、下から舐めるように睨みを利かせ、ユングフラウの前を立ちふさがった。
ユングフラウは考えてる。手を口に当て、天井を見、首を傾げ、眉をひそめて。
「どういう意味なの?」
馬鹿にしているような態度にしか見えない。この世界でも貧弱な俺でさえ立ち上がって「おい!」と声をかけようとしたが、早かったのは目の前にいるリリアンヌ。
「ちょ、あんた馬鹿にするのも――」
さらに近寄って突っかかろうとしたところ、ユングフラウの護衛が左右から槍を突き出し、それ以上踏み込めないよう距離を取らせた。
「ぜんぜん、私は、あなた方を、馬鹿になんて、して、ません」
手を左右に広げ、区切っていうところがまた馬鹿にしているとしか思えない。いらいらが募るが、それ以上踏み込むことができない。下手に手を出して助け出すことができなくなることを考えると。
「……あんたが言う夜伽の相手のことだよ」
リリアンヌが言葉をつづけられなかったので、俺が答えた。女の子と言っても通じないということは、ユングフラウが人として見ていない可能性があった。そこに考えが至るまで、俺が早かったから言っただけだ。嫌なことだが、それで伝わった。
「王の相手なんだから、返せるわけないでしょ? お馬鹿なの?」
だろうな、としか言いようがない。ユングフラウ、こいつの思考と感情は俺たちとは異なる回路を持っているのだろう。これらの話は永久に平行線になると感じる。何かこちらに興味を持たせることで隙を作れたら良いんだが。
そのユングフラウの態度は、エルフリーデ、クリスティアンや他の同行者全員が呆気にとられた後、すぐに我に返り、反撃のため、剣に手を伸ばした。
すると、武装しているユングフラウの護衛は、すでに剣を抜いていたこともあり、こちらよりも先に、壁をふさぐよう4人が剣先を向けてきた。
「はぁ~、もらったものは、返せない。これ常識だよね?」
ユングフラウは場が白けるような欠伸を一つして、剣を収めるように指示をした。
「白けちゃったよ。このまま帰るならキミたちは不問で良いよ。帰ってもどうせ何もできないだろうし」
そう告げて、振り返り奥に戻っていった。追いかけるにも、奥に消えてくたびに、護衛の警備兵が1列に4名ずつ壁を作っていく。
俺たちは取り残された。
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