第6話 温かな気持ち


蛍の住む丘ノ宮町(おかのみやちょう)は、都内に近くベッドタウンとして賑わいを見せているこの琳堂市(りんどうし)の中でも小高い場所に位置しており、市を見下ろせる丘や大きな森林公園があるほかは、閑静な住宅街であった。


映画館の併設してある大きなショッピングモールや、デパート、飲み屋街と賑わっているのが今回の目的地である「篝山駅」(かがりやまえき)となっており、蛍の家の最寄りの「丘の下駅」から電車で15分ほど。


丘の下駅までゆるやかな坂を下って15分。片道計30分の道のりを二人きりで向かうのは蛍にとってとてつもない試練である。

ーーと、少なくとも家を出るまではそう確信していた。


炎天下の中、所々ある日陰を渡り歩きながら「あれはなに?」「これは何ていうの?」という鳶丸の質問にポツポツと答え、話を広げられない自分に不甲斐なさと気まずさを感じていた時。

しばらく黙って物珍しそうにキョロキョロしていた鳶丸が、はたと気付いたように立ち止まった。


「蛍見たことある?」

「何をですか?」

「ああ、そうじゃなくて、夜に光る虫のこと。この世界にはいない?名前の由来かなと思ったんだけど」

「その蛍ならええっと、昔はこの辺りでも見れたらしいんですけどもういなくなっちゃって。だから見たことないです」

「ふぅん、そうなんだ」

「あ、えっと、……すみません」


この麻倉蛍という人間は、根が優しくて真面目、人の気持ちに敏感でシャイながらも責任感の強いところがあった。

しかし、機微に聡い彼女はつい人の顔色を伺って相手に合わせた反応をしたり、相手の喜ぶ答えを言おうとする節があり、今回も「つまらない答えになってしまった」とハッとして咄嗟に謝っていた。

考えてみれば、さっきから話しかけるのは鳶丸で自分は一言もコミュニケーションを取ろうとしていない。


「そんなに謝られたら萎える」「愛想笑いばかりだし八方美人だよね」「自分の考えとかないの?」「みんな言ってるよ、蛍ってつまらないって」


半年前、とあることをきっかけに友達だと思っていた子たちから詰め寄られたことがフラッシュバックし、つい体が強ばりギュッと両手を握りしめる。

暑いはずなのに背筋が凍り、心臓の音がとてもうるさい。その出来事は彼女にとって大きな心の傷となっていた。


反射で謝ってしまったことに気づいて、再び「あ、すみませ……」と呟いたと同時に、蛍の顔に影が掛かる。

大きな背を曲げて顔を覗き込んできた鳶丸は、涼しい顔で「名前になってるのに見た事ないの勿体ない。」と、蛍の頭をくしゃりと雑に撫で


「俺の国、蛍綺麗なんだ。見せてあげるよ」


と、ニヤリと笑った。

「あ、因みにこれ勧誘ね」と蛍の背中を軽く押して緩やかに歩いていく鳶丸は、淡白なのかと思いきや、他人と距離をあっという間に縮めたり、冗談を言ったり笑ったり。

本質が見えないのに爽やかで飄々とした態度が蛍には眩しくて、羨ましくて、同時にとても温かくて、胸が熱くなったのを感じた。


「あ、もしかして虫苦手だった?」

「……蛍、楽しみにしてます。」

「来てくれる気になったなら良かったよ、人攫いにならなくて済むし」

「ちょっと行ってすぐ帰るだけなら」

「それは無理だね。うちの馬鹿大将、蛍のこと嫁にするって言ってるから」

「ふふっ、私こそそれは無理です」


祖母や近所の人達のように事情を知らないにも関わらず、同情や気遣いなどではなく自然な態度で自分の話を聞いてくれる。

たったそれだけの事だったが、今の蛍にとってはそんな鳶丸とのやり取りが新鮮でじんわりと心に熱が広がっていた。


うっすらと目頭に溜まっていた涙を拭う。

気付けば、先程までのモヤモヤした気持ちは晴れて口元には笑みが溢れていたのだった。

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泣かぬ蛍の、言の葉よ くつや @shoes_op

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