泣かぬ蛍の、言の葉よ

くつや

第1話 跳躍の巻物


「お呼びでございますか、泰雅(たいが)様」


読み物に集中していたところに掛かった、優美で柔らかな声。

呼んだのは自分だが、国中の忍の中でも下手に使おうと思えば逆に寝首を掻かれかねない不安定さのあるこの男が背後にいると思うと背筋に寒気が走るというもの。


ふわりと微かな甘い香りが鼻腔をくすぐり、振り返ったすぐ後ろには涼しげな目元の見目麗しい青年が片膝をついてこちらを見上げていた。

名を宗谷 鳶丸(そうや とびまる)。


「あ、ああ。実はお前に頼みたいことがあってな」


任務帰りであるのだろう、その肩に僅かに血がついているのが見てとれた。こいつのことだ、きっと返り血なのだろう。任務遂行にあたってその冷静さと正確さ、容赦のなさは評判なのだ。

その視線を感じてか、「ああ」と指で残っていた血痕を拭う。大したものでないというその感じがまたヒヤリとした。


「なんなりとお申し付けくださいませ」


しかし、我が父でありこの国を治める王、漠山 泰山(ばくやま たいざん)に対する忠誠心は確かなもので、父もたいそう信頼を置いているようだ。

ならば、忍び頭の右腕と呼ばれるその手腕を今こそ見せてもらおうではないか。


「これから話すことは口外無用だ、よいか」

「かしこまりました」

「隣国の商人から仕入れたこの巻物なのだが、実に面妖なものであることが分かったのだ」

「……面妖、といいますと」


懐から取り出した藤色の巻物を「開いてみろ」と鼻先へ突きつける。それを開こうとするも、糊でくっついたかのようなそれに流石の鳶丸も怪訝そうな表情を見せた。

力を込めて開こうとするもびくともしない巻物を再度受け取り、本題へと入る。


「この巻物、魔力を喰わせると異国と繋がることが出来るようでな」

「泰雅様はその異国とやらに行かれたのですか?」

「いや、俺程度の力ではせいぜい夢を見ている間のみ異国を垣間見ることができる程度なのだ」

「夢……?」

「この巻物に寝る前に魔力を流すと、一番深い睡眠状態にある時にのみ、異国の少女が出てくるのだ」

「この世界との繋がりが薄くなるから繋がりやすくなると考えたら良いのでしょうか」

「ああ、俺はそう考えている」

「それで、その少女というのは?」


そう、これが本題なのだ。

俺の夢の中に出てくる異国の少女。艶やかな黒髪に柔らかな微笑み、書物が好きなのであろうか、没頭して読み物に耽る姿がなんといじらしく可愛いことか。

一度会ってみたい、そして出来ることならば妻として娶りたい、そんなささやかな願望があるのだが、何と伝えよう。


「……泰雅様、口に出ております」

「そうか、……なんだと!」

「ええ。つまり私はその巻物の中の少女を攫ってくれば宜しいので?」

「物騒な物言いだな、いや、まあそういうことなのだが」

「して彼女は泰雅様の存在を認知しているのでしょうか?」

「いや、俺が霊体のようになって彼女の部屋を訪れているようで、話しかけても聞こえずに目が合ったこともない。」


一瞬面倒そうに眉をしかめた鳶丸だったが、瞬きの間に普段の表情に戻っていた。俺の見間違いだったのだろうか、そうであって欲しい。


「鳶丸はこの国では珍しいくらいに魔力量に優れていると父上が誇らしげに仰っていたから、お前にしか頼めないんだ」

「泰山様が……そうですか」

「なぁ頼むよ、俺ずっと夢で見守ってたからいい加減この子に会いたいんだ、それで夫婦に……あ、でも本妻は許嫁がいるから妾として迎えることになるけど」

「……わかりました、命令とあれば遂行致しましょう」


この城の中にあっては喜怒哀楽をほぼ見せず、洒落た装飾品を集めることを唯一の楽しみとしているこの男なれば、夢の中の少女に対して邪な気持ちを持つこともないだろう。

そんな計算高さに流石次期王だと我ながら驚嘆する。


「身支度など済ませてから向かうか?」

「いえ、このままで構いません」

「では鳶丸。お前にこれを託そう、宜しく頼んだぞ」

「承知」


鳶丸が手にした巻物に魔力を込めていく。

隣の敵対国である魔法都市カガリでもこのような力を持っている者は稀であるらしい。その膨大な力が、淡い光を持って巻物と鳶丸をじわじわと包んでは広がってゆく。

その光はどんどん強くなっていき、次第には目が眩むほどの強い光となって部屋中に溢れていた。


「もっとか」


ーーそんな鳶丸の呟きが聞こえたと思った瞬間、爆風と共に光が弾けた。


「うわぁ!」


バサバサと周囲の書物や襖が風圧で弾け飛ぶ。俺もものすごい力で庭へと飛ばされ、地面に頭を打ち付けたと同時に意識が薄れていった。

覚えているのはそこまでだ。


意識が戻ってから聞いたところ、俺のいた部屋の物は殆どが周囲に飛ばされており、その部屋のどこにも鳶丸も巻物も見当たらなかったということである。


鳶丸は無事、向こうに行けたのであろうか。

もはやこの国にそれを知る者は誰一人としてのいないのであった。

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