Drop from Tokyo

無花果りんご

Drop from Tokyo

近くに時計は無いけれど、今はおおよそ七時四十五分だということを理解している。何故なら私は七時四十二分発の上りの電車に乗って、大体にして三分半の曲を聞き終わったからだ。

 規則正しく揺れる電車に乗っている私は、規則正しく制服を着こなしていない。スカートの丈は短いし、長い髪の毛はパーマを掛けたばかりだ。両耳にピアスを着けて、流行りの音楽を聴きながら学校へ向かう。好きなようにしていてもどこか憂鬱な気持ちがして、私ははあ、とため息を吐いた。こんな風に物憂げになるのを許されるのは、映画に出るような美男美女くらいで、ただの女子高生の私がしたところで二酸化炭素の無駄遣いだ。それでも本当に憂鬱で、今すぐ車窓をたたき割って脱出したいような衝動を、必死に押さえつける。

 私は学校なんて嫌いだ。中学校に上がった頃から、ずっとそう思い続けている。いじめがあるわけでも、成績が特別に悪いわけでもない。それでもこうやって、校則を守らない生徒に、先生は白い眼を向けてこっぴどく叱る。定型化された反省文も、もう何回書いたか覚えていない。

別に、勉強をさぼっているわけでもないし、試験で赤点を取ったことだって一度もないのだから、私がどんな格好をしようと自由じゃん。そういうことを生徒指導の先生に告げると、いつも「なら校則が緩い学校を受験すればよかったのに、お前がそれを選ばなかったんだろ」と言われてしまい、それ以上は何も言えなくなる。でも、そんなことで学校を選ぶなんて馬鹿らしいでしょ。私は可愛い制服が着たかったから、ここを受験しただけなのに。

「……だる」

 呟いてみる。それはガタンガタンという電車の音にかき消されて、自分の言葉はなんてちっぽけなんだろうと思い、瞼を閉じる。もう二、三度電車は揺れ、学校の最寄り駅を告げた。慣性の法則にしたがって、私の体は進行方向へ倒れそうになる。学校は、私の体が前に倒れそうになることの名前は教えてくれるくせに、私が自分らしく在るための方法は教えてくれない。むしろ、否定してくるくらいだ。

 アナウンスは私の降りるべき駅を告げる。ため息を吐いて電車は停車し、ドアの前にスーツや制服を着た人間たちが集まって、外の世界へと向かっていく。

『——ドアが閉まります。ご注意ください』

 私も、同じようにドアの外へ出なければならないのに、手はずっとつり革を掴んでいて、動く気になれなかった。

(まあ、今日一回くらい、目を瞑ってよね)

心の中で、どこかで見ているであろう神様に祈る。何も知らない電車はそのまま、仕方がないように再び発車して動き出した。明日はちゃんと行くからさ。付け加えても、電車は何も言わなかった。

 耳元で甘い言葉を囁くバラードとは裏腹、電車は乱れることなく定速で揺れる。駅に停車するたびに人という群れを減らしていくと思ったら、入れ替わりに別の群れが車内に侵入して、それを繰り返して都心へと向かう。

『次は、東京』

 電車のアナウンスが、日本人なら誰もが知る地名を告げた。今日の舞台は、なんとなくここかもしれない。ここなら、私がスカートを三回折っていたって、怒る人なんてきっといないはずだ。

私は人生初のサボりに、東京駅を選ぶ。先ほどとは比べ物にならないくらいの人の群れの

一員になって、外の世界に歩みを進めた。

 八重洲中央口を抜けると、開放感で胸がいっぱいになる。ピカピカとした綺麗で新しい建物を見ると、私は自分が特別な存在なんじゃあないかと錯覚する。

息を大きく吸って、吐く。感じた空気は何だかゴミ臭くて、私は顔をしかめた。ふいに目の前にある大きなビルを見つめた。隙間から見える空が、灰色だ。自分が特別な存在なんて嘘だ。世の中は、綺麗に見える部分と現実のバランスで成り立っているのだと思う。

駅に別れを告げようと、後ろを振り返る。ずっと鳴っていた音楽がやんで、思わずイヤホンを外す。


 目の前に、私が居た。私は、スカートを三回折って、髪の毛をふわふわと揺らして、両耳に銀色のピアスを着けている。同じ格好をする私は、私がしない、強気な笑顔を持っていた。


「……蒸発、しないじゃん」


 私は、ぼうっと私を眺めて、小さくつぶやいた。

 中学校三年生の私は、他の皆と同じように、受験勉強に励んでいた。

確か、そのときは理科の授業中で、天体か何かの話をしていたのだと思う。宇宙のどこかにもう一人の自分が存在して、お互いが出会ってしまうと、プラスとマイナスの反応でどちらとも蒸発してしまう。そんな嘘みたいなことを、先生は言った。私も目の前の私も、蒸発していないのだから先生は嘘吐きだ。

 私の言葉を聞いて、目の前にいる私は、軽くため息を吐いた。

「……やっぱり本物には適わないなあ」

 そう呟いた私の偽物は、よく見ると顔立ちはそんなに似ていなかった。髪の毛だって、私の傷んだものよりもツヤがある。同一人物じゃないのだから、そりゃあ蒸発もしないわけだ。私は納得しながら、目の前の女の子がどうして私と同じ格好をしているのかが分からなかった。それよりも、気になることがある。

「……誰ですか」

「……あぁ、あたしは黒田智子。貴女と同じ学校の生徒で、同級生。驚かして御免。……って、全然、驚いてる感じしなかったけどなあ」

「いや、驚きはしましたけど……」

 私の偽物は黒田さんと言うらしい。黒田さんは私と同じ学校のブレザーのポケットに手を入れ、残念そうに肩をすくめた。私の言葉に、黒田さんは嘘だあ、という顔をする。

「嘘だあ。普通だったらもっと、びっくりして気とか失っちゃうよ」

「気、失ったら黒田さんが大変ですよ……。それより、学校行かなくていいんですか?」

「それ、貴女が言う? 貴女が赤羽で下りなかったとき動揺したんだから」

 しょうがないから歩こうよ。黒田さんはそう言って、私の横を通り過ぎて、前を歩く。勝手に他人の真似をしておいて、何がしょうがないのだろう。そう思いつつも、私はその後を追って歩いた。

 私と黒田さんで、通勤ラッシュの通行の群れの中に紛れ込む。同じような二人が一緒に歩いているという状況に、人々は何も反応をしない。どうせ子供の遊びか何かだと思われているか、全く関心がないか。所詮、そんなものだ。私も私のことで精いっぱいだもん。皆私と同じなのだと思う。

 黒田さんに追いついた私は黒田さんの横に並んで、顔を覗き込んだ。

「歩くの早かった?」

「いや、あの……私、自己紹介とか」

「あぁ、知ってる知ってる。白谷頼香、白い谷に頼る香りで、しろたによりこ。校則破りの有名人だもんね」

「はあ」

 スクランブル交差点で、私と黒田さんは足を止める。車の往来を眺めていると、待ち時間は永遠のように長く感じられる。きっと、私が黒田さんのことを良く知らないからだろう。

「ね、あたしがどうして白谷さんのことを真似たか、気になる?」

 ふと、黒田さんは私に問いかける。そりゃ、気になるに決まっている。だって、普通に気味悪いし。私は黒田さんの言葉に頷くと、黒田さんは私と出会った時のように、強気に笑って見せた。

「……あたしさ、怪物になりたいんだよね」

 黒田さんは灰色の空を見つめて、息を吸った。私は、理由になっていないようなそれに、とりあえず何か返さなきゃと思って復唱した。

「……怪物?」

「そ、怪物」

 私は青になった信号を見つめた。黒田さんの足は動かない。だから私も動かないで、欠伸をしながら脳みそで怪物、と繰り返し呟いた。黒田さんの顔つきを眺める。私風に化粧をしているみたいだけど、私には無い高い鼻や丸い頬を見ると、やっぱこの人私と似てないなと感じる。

「あたし、役者になりたいの。老若男女問わず、何でもやる役者。あたしはなんにでもなりたいから、だから役者になりたいの。そうすれば、怪物になれるかもしれない」

 黒田さんの瞳は、キラキラと輝いていた。東京駅で降りて、八重洲口を出たときの、街の輝きのような眩しさがあった。それは、私が探しているものの答えのような気がする。私が私らしくあるのなら、きっとこんな風に夢を語ることが出来るんだと思う。

「……ごめん、どうでもいい」

 だから、そんな黒田さんなんて、心底どうでもいい。

 自分の答えを見つけている癖に、自分の答えを見つけられない私の真似をして、私の前に現れる、自分のことしか考えられない黒田さんに興味なんてない。

なんにでもなりたいって、それって結局何物にもならないということだ。それを回答にしてやりたいようにやるなんてずるい。私はもっと、私だけの価値を追求したい。

「……え?」

「誰かの真似をして何者かになった気でいるなんて、自己満足でしょ。見かけだけの人の真似なんて意味ないよ」

 私はどうして自分の口からこんな言葉が出るのか分からなかった。ただ、黒田さんが勉強もしないで、私のフリをして私の前に現れていること考えると、もっと現実を見なよ思ってしまう。黒田さんが、役者になるためにどんな努力をしているのかも、私は何も知らないくせに。

「自己満足、かあ」

「悪いけど私、自分の事なんて何も分かっていないから。そんな私の真似をしても、何の意味もない」

「確かに、自己満足だよ。でも、自分の人生なんて自己満足じゃない? 世の中にはヒーローだけが居るわけじゃない」

 黒田さんは、真っすぐに私の顔を見つめる。ただの高校生なのに、ただ者じゃないような表情をして、どうして私にそんなことを告げるのだろう。

「……でも、あたしが今日白谷さんのまねをして、迷惑であったとするのなら反省するし、謝る」

「……なんで、そんなに自信をもってそんな風に言えるの」

「そんなの簡単だよ。あたしはもう、怪物になるって決めたんだから」

 白谷さんは、都会の灰色の空をも青く変えてしまいそうなくらい、まっすぐだ。私の意志はあくまで変わらない。誰かの真似をしてるだけじゃ、怪物になんてなれない。それを変えるつもりはない。だけど、そんなことを小さなものだと思わせるくらい、白谷さんはまっすぐだった。


 信号が青に変わった。黒田さんはそれに気づかずにいたから、私は歩き出した。

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