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此の面はかまうことなく続ける。
「力と炎を持つ彼の面、そして僕。柔軟性が高く自由に表現のできる天ノ川桐詠。同じ実力者ではあるが……今年のふとん太鼓の猛威とその数を鑑みるに、それだけじゃ足りない。それだけじゃだめなんだ。僕たちは、個々の基礎力から脱し、チームプレーの応用へと転換しなければならないとは思わないか? その統率は、すずこそが、やるべきだと、僕は思う」
風向きを変える――そんなこと、私にできるのだろうか。
たしかに、私は風を操る才を得たけれど、聞くからに大変そうな役を、私が。私なんかが……私なんか、でも。
「……わ、わかった。やってみる」
けれど、私は、やりたかった。
全力で務めて、全力で楽しみたい。
頷いてみせた私に、「そうでなくっちゃ!」と声を上げる此の面。
弧八田彼の面は訝しそうに「なにを企んでいるんだ」と尋ねた。
「企んでいるだなんて、人聞きの悪い。楽しいことだよ。そして、仲のいいことだ」
「仲のいいこと?」
「頭湧いてんじゃないの?」
桐詠の毒舌に肩を竦めたあと、此の面は言葉を続けた。
「僕はなんの端末も持ち合わせてない代わりにこの耳がある」また此の面は狐面の耳に両手を寄せてくいっくいっと折り曲げた。「けど、君たちは別だ。惜しくも我が兄弟には耳はなく、天上天下の天ノ川桐詠も然り。すずの風にしたって音までは運べない。そこで!」
人差し指を一つ。此の面は名案だというような声音で高らかに言った。
「君たち、連絡先交換しない?」
呆れることなかれ。
こう見えて、彼は頼りになる。多分。
▲▽
私は透明な流線形を思い描く。そして舞い上がる、竹のような一直線。すると足元からゆるりと吹き巻き、髪や浴衣を揺らす、一陣の風。少し力を、また一つ力を。念じるだけでその風は思い通りに動き、私の足を地上から離す。途端に全身に流れる浮遊感。
祭りを見下げれば、煌びやかな熱と光。
彩度の強い賑わいに雑踏。
その遠く離れた中から三人の姿を見つける。全員持ち場にはついていた。
――これでいつでも始められる。
『いっやあ、驚きですねー、お局さん。こんなこと前代未聞ですよ。各端末で公式に発表されましたが、どうやら今年のふとん太鼓はバグの一種として分裂するようです』
『各所に派遣され、通報を受けては足を運び、もう大変でしたよ』
『お疲れ様です』
『検証にも時間がかかってしまいました。皆さまにお伝えするのが遅れてしまったことを、深く、お詫び申し上げます』
『……さて! 辛気臭い話は以上にして! いよいよ神夏祭! クライマックスに近づいてまいりました! 実況は引き続きこの韋駄天が務めさせていただきます!』
『えーっと。今年の才の主、前年、前々年度の神化主たちが集っているという目撃情報が多数寄せられたわけですが……もういないみたいですね』
『ふとん太鼓もこのあたりにはいません。しかし……どこか妖しい風が吹いています』
どこからか嗅ぎつけたらしい実況の声も聞こえる。
これほど熱気は最高潮に達し、宴もたけなわ、祭りの賑やかさは燦爛としているのに、私の耳にはゆるりとした空気しか流れていない。
嵐の前の静けさ。
まさしくその通りだと思った。
『おや、あれは……』
実況の声が不安げに揺れる。
私は視線を漂わせ、その不安の正体をつきとめた。
金色の注連縄や房を揺らす、ウイルス――我らがふとん太鼓。
即座にスマートフォンからアプリを起動しマップを開く。見える方角に映るアイコンは他のものよりも大きい。間違いなく親玉。正真正銘のふとん太鼓。
この方角から来たのはラッキーだった。私は端末を操作して電話帳を開く。ついさきほど交換したばかりの電話番号の相手にコールをかけた。おそらく待機してくれていたのだろう、ワンコールが終わる前に、相手は応答してくれる。
「――桐詠、そっちに向かった。任せたよ」
遠くのほうで、耳に受話器を当てた桐詠が、短冊を携えて強気に笑むのが見える。
「
桐詠は草履の音をカラリと立て、戦場いくさばへと躍り出た。
ああ、思えば彼女は、一目見たときからずっと、輝いていた。それはまるで綺羅星のように、憧れずにはいられないほど、美しく。けれど、彼女も普通の女の子だったのだ。私とそう変わらない、きっと、彼女にしかわからないことで悩んだりするような、そんな等身大の人間。もしかしたら彼女も、うじうじといじけたり、前へ進めなかったことが、あるのだろうか。そして、彼女も、いま、楽しんでいるのだろうか。私と同じように。
ふとん太鼓は、桐詠のいる方角へ、流星のように飛来する。徐々に低空を彷徨うようになるその猛威の塊に、木々や屋台は軋んでいた。一歩間違えれば阿鼻叫喚。
バグを撒き散らしながら見物客を轢きずり回すよりも先に、桐詠の歌は高らかに響く。
「夏の夜の 我らが
短冊がひらりと舞うと、氷の壁が現れた。
それは暴君から人々を守る、祭りの光を受けた実に美しい盾だった。
屋台や群衆の前に現れてぐるんっとカーブを描く。夏の暑さを物ともせずにしたたかに顕在している。その大きさと言ったらない。
『み、見事です! さすがは天ノ川桐詠! なんと涼しげな力なのでしょう!』
『しかし、あれを使っていったいどうするつもりなのでしょうか……』
桐詠は応えるようににやりと笑った。
ふとん太鼓は氷の壁にぶつかり、勢い余ってスケルトン競技のように氷の上を滑る。凄まじいスピードに冷たい火花が散った。けれど、氷の壁はそんなものでは崩れない。これならいける。私は追い風を送り、滑る速さに更なる勢いを加える。桐詠の読み通り、鮮やかに氷の壁を伝わされたふとん太鼓は、その冷たいレールに従って軌道を描き、目的の方向へと放り出された。
『天ノ川桐詠が才で観衆を救いました! ふとん太鼓は宙へ投げ出されます!』
『いやああ、痺れましたねー! あたりは拍手喝采です!』
『ふとん太鼓をどこへ飛ばしたのかが気になりますね』
私はふとん太鼓を目で追う。順調だと思ったのも束の間、そのコース上には予期せぬ障害。子機のふとん太鼓が二台、ちょうど通りがかっていたのだ。
「あっ!」
ぶつかった!
雷が落ちたかのような大きな音が鳴り、三台はそれぞれが四散した。
親玉のふとん太鼓の勢いをもろに食らい、子機のうちの一台は完全に破壊。一台と親玉は完全に進路外へと飛んでしまった。
破壊されてバラバラと地上に落ちていくふとん太鼓を、風を使って回収する。誰かが怪我をするよりも前に対応できた。
しかし、そればっかりに意識を遣ってしまい、明後日の方向へと飛んでいった二台のふとん太鼓を処理することは叶わなかった。
『おおっと! 親のふとん太鼓、子のふとん太鼓、両方とも吹っ飛んでしまいましたね』
『特に子のふとん太鼓が落ちる地点には屋台がたくさん出ていますからね。まずいんじゃないでしょうか』
私は即座に手を翳した。引っぱり戻すような力、カーブを思い描き、向かい風を送る。
けれど、ふとん太鼓の勢いが留まることはなかった。
これはまずい。
『おや……? そういえば、あの落下地点は……』
しかし、そのとき、私は目を見張った。
ふとん太鼓が直撃するであろう屋台の暖簾から、長く伸びる健康的な足が潜る。ホットパンツから伸びたその足の勇ましさ。かっこいいと、素直に思った。赤茶けた髪を気だるげにかきあげて、強気な目でふとん太鼓を見据える。
「おいたがすぎるねえ。あたしの神域を狙おうなんて、いい根性してんじゃないの」
型抜きの女王だ。
彼女の手の平に乗っていた一本の釘が眩く光る。その釘は虹彩を強く焦がした後、徐々に光を収めて一本の武器を生みだした。それは、もう小さい釘などではなかった。彼女の身の丈ほどの大きさの釘。それこそまるで鈍器のような、彼女のためだけの力。
型抜きの女王は、まるでバターボックスに立ったイチローのようなポーズで、その大釘を構えた。脇を締めて手にギュッと力をこめる。絹を裂くような音を立てて向かってくるふとん太鼓を、見事なフォームで打ち返した。
『これはすごおおおおおい!! 特大のホームランだあああ!! 型抜きの女王があのふとん太鼓を自らの才で撃退しました!!』
「へんっ、まだあたしの腕も鈍っちゃいないね」型抜きの女王は手首をほぐすようにぶらぶらと振る。「伊達に第五十六回神化主やってないってことさ。あんたはどうだーい? 射的小僧!」
少し離れた射的場で景品狩りに勤しんでいたヒットマンが、眉を顰めて振り向いた。
彼は持っていたコルク銃を構えなおし、型抜きの女王が打ち上げたふとん太鼓に銃口を向ける。引き金を引いた途端、本物の銃声のような乾いた音が響いた。瑞々しい火薬の匂いがそこらじゅうを取り巻く。放った弾丸は壮絶な光をまとい、見事にふとん太鼓に命中。たった一発で殴りつけられたかのような衝撃を受けたふとん太鼓は、呆気なく大破していった。
「馬鹿にすんなよな。俺だって、その翌年には神化主になったんだ」
「そんで次の年にはキリヨが神化主になって、最年少記録を更新されたんだっけねー」
「うるせえ、表出ろ! ぶち抜いてやる!」
「残念、ここは表だ!」
喧嘩を始める二人を映しながら実況は賛美の言葉を羅列する。しかし、大破したふとん太鼓の破片は自律を失い落ちるだけだ。それでは被害が別の場所に移っただけである。
どうしたものかとあたふたしている私の視界に、異様なものが映った。
吹っ飛ばされたふとん太鼓の破片をたくさんの亀が回収していた。
「あー、もうやだやだ。最近の若い子って楽しむだけ楽しんで後片づけだってしないんだから。発つ鳥跡を濁しまくってんじゃないのよ! 十三年前にアタシがふとん太鼓を成敗したときはね、こうじゃなかったわ。今度あの二人に会ったら拳骨ぐらいじゃ済まないから。ジェニファーちゃん、あとはよろしくね」
あの自称・乙姫の奇特な店主が、亀に指示を出していた。
よちよちと歩く亀は器用に人間を避け、降りかかる木片や装飾物を回収する。いっそ不気味で目を疑ったが、周りは店主に礼を言っていた。氏子にとってはそう珍しい光景でないのかもしれない。
そのとき、各所での行動を追うのに必死で忘れていたが、私はようやっと思い出した。
親玉のふとん太鼓が行方知れずのままだ。
目を離すんじゃなかった。どこにいるんだろう。
きょろきょろと見回している私のスマートフォンに、桐詠同様、ついさきほど連絡先を交換した相手からコールがかかる――弧八田彼の面だ。
「焦らなくていい。表参道のほうだ、僕が追っている」
ハッと視線を向けると、比較的人口密度の低い表参道のほうに、ふとん太鼓はいた。そしてそれを追従する彼の姿。近くを張っていたので柔軟に対処してくれたのだろう。
私は受話器から離して声を張り上げる。
「此の面! 表参道!」
聞こえている、と言わんばかりに、弧八田彼の面と逆の方向を張ってくれていた此の面がヒラヒラと手を振った。野獣的なスピードで現場へと向かう。
私は二人の助けになるように追い風を送る。
さらに速度の上がった二人はほぼ同時に、表参道の鳥居のあたりでふとん太鼓を待ちかまえることに成功した。
二人の速さと私の風を受けた風車が、合唱するように高速で回っていく。
「僕、彼の面と違って、こっちの力はあんまり使ったことないんだけどなあ」
「まさしく、神の宝の持ち腐れだな」
二人の周りに青と赤の狐火が灯る。その炎は互いに融合し、大きな紫の炎になった。
向かってくるふとん太鼓と恐れもせずに対峙する。
この双子の兄弟は、その方法こそ相違えど、真正の氏子らしく、ひたむきに祭りを楽しんでいた。特に此の面は、うじうじといじけていた私の手を取り、こんなに素晴らしい体験をさせてくれた。彼の望むような極上の成敗劇の一員に、私はちゃんとなれているのだろうか。なれていたら、いいな。
二人とも、半分ずつの同じ顔で、楽しそうに笑っていた。
紫の炎は二人に指揮され、ふとん太鼓を襲う。二人分の火力とは凄まじいもので、これまであまり効果を見せなかった炎の攻撃が、初めて有効だと感じた。ふとんを焦がし、担ぎ棒を黒く染め上げ、燃やしつくそうと激烈に輝く。一歩間違えれば火事になるだろう激しさだったが、二人は炎を抑えなかった。
逃げ惑うようにふとん太鼓は引き返す。
それを二人は逃がさない。その足でふとん太鼓を追い、炎の攻撃を浴びせる。
ふとん太鼓が暴れて建物や人に接触しそうになったときには、私が風を送って軌道を反らす。弱まった火を再度灯すように二人は追従する。灼熱地獄だ。
命や知能こそないだろうが、ふとん太鼓もただプログラミングされた玩具ではない。纏わりつく炎を消すために水を求めるはず。此の面のその読みは正しかった。桐詠は歌を詠み、陰ながらサポートすることで、動きやすいように道を開けていた。その道を辿るようにして、ふとん太鼓は轟々と燃えながら、神池に現れる。そして、自ら沈みこむように、水面に突撃した。
そして、その上空では、私が待ちかまえていた。
「すず!」
立ち昇る飛沫。勢いで割れた水の中で、弧八田兄弟はふとん太鼓を押さえつける。怪力の二人がかりでやっと為せる技だった。
いましかない――ずっと前から決められていたかのように、私の体は動いてくれた。手を翳し、目を閉じる――私は、祭り全体の空気を掻き混ぜるイメージで、一心に風を集める。叩きつけるように、ふとん太鼓へとその風を送った。
それは凄まじい圧力となる。
鋭いドリルのように。
貫く槍のように。
神池の水は完全に割れ、一面が干からびたように潤いを失くす。紫の炎と融合して蒸気のヴェールがたなびく。提灯と月明かりに乱反射した薄暗い虹が、まるで太い縄のように、ふとん太鼓を大きく覆っていた。
私の風は重みを持って、ふとん太鼓を磔にした。
けれど――足りない。
もっと強く、鋭く。
「はああああああ「ああああああああああ「ああああああああああ「あああああ「ああああああ「ああああああああああ「ああああああああ!!」
交わす剣のように震えて、私の声はビブラートした。
反響するように風は威力を増し、ふとん太鼓を抉っていく。
いつのまにか、弧八田兄弟はいなくなっていた。風の被害に遭わないよう、逃げてくれたのかもしれない。けれど、その分、ふとん太鼓は解放されている。
ふとん太鼓の抵抗を感じた。私の風を押し戻すように力をこめている。させない。私はありったけの風を掻き集め、それを全てふとん太鼓へとぶつけた。暴風は水や木の葉や砂埃を舞い上げて、災害のようにそこらじゅうを渦巻く。
メキッ。
ふとん太鼓が崩れていく音がした。
私は力を緩めずに更なる圧をかけ続ける。
「あああああああ「ああああああああ「ああああああああ「ああああああああ「あああああああ「ああああああああ「ああああああああ!!」
メキ、メキメキ。
剥がれたり、潰れたり、ひしゃげてしまったりする音。
もう一押しだということは嫌でもわかる。
永遠にも感じられた刹那世界。麻酔を打たれたかのような精神世界。私の世界には、私とふとん太鼓しかいなかった。それ以外のことは、自身の熱量により、焦がされていた。焼き切れていた。灰になって、吹き飛ばされていた。ただ一直線に、倒すことだけを考えていた。それくらい楽しいの。それくらい強く、夢中なの!
「ああああ「ああああああ「あああ「あああああ「あああああああ――――っっ!!」
終わりは呆気なかった。
太くしなやかな骨が折れるように、けたたましく響く破壊音。
鳴り響いた瞬間にふとん太鼓は粉々になり、蛍のような光となって霧散する。行き場を失くした私の風はぶわりと波紋を生み、境内に広がりながら消えていった。私はへたりと地べたにしゃがみこむ。足元の、水を失くしたクリスタル液晶パネルが光りだした。
『成敗が完遂されました』
その機械的な声が響いた瞬間、大きな花火が夜空に上がった。
ギャラリーがわっと賑わい、花火以上の音の波を生む。手を打ち鳴らし、口笛を吹き、まさしくお祭り騒ぎだった。ふとん太鼓が残した光の粒を見つめながら、私は呆然とその様子を眺めていた。
そう、呆然とだ。視界にははっきりくっきりと映っているのに、私の脳みそは、いったい自分がなにを成し遂げてしまったのか、理解できないままでいた。
実況が熱っぽい声で高らかに語る。
『み……皆さま! ご覧ください! ふとん太鼓の成敗が、無事、完了いたしました! 勇ましい成敗劇でしたね! 彼女こそが第六十回神夏祭の覇者――今年の神化主です!』
戦いの末に
私だ。正真正銘、御風すずだ。
倒してししまったのだ。ふとん太鼓を。
この、私が。
「やったじゃないか、すず!」
此の面が駆け寄ってきた。ぐいっと顔を覗きこんで、浮かれた声音で言う。
「見事だよ……素晴らしい力だ、思わず鳥肌が立った。纏代周枳尊も満足しているに違いない。
「え、え……わた、私なの? 私がやったことなの?」
「当たり前だろう!」此の面は一オクターブも声を跳ね上げて叫んだ。「疑いようもない事実だ、どれだけすごいことをしたのかわかってないのかい?」
此の面の賛美は止まらなかった。それどころか、ギャラリーをさらに煽るような動作までする。いくらなんでもやめてほしい。私は助けを求めるつもりで弧八田彼の面を見たのだが、彼も彼で「おめでとう」と私を称えた。
私は身を震わせた。彼みたいなすごいひとに、ありがとうと言われるなんて。
「ど、どうして?」思わず私は尋ねてしまった。「貴方のおかげでもあることなんだよ?」
「そう言ってもらえて光栄だが、とどめを刺したのは間違いなく君だし、まとめ役になったのも君だろ?」
送られる拍手に動揺する。
そんな……嬉しいけど、嬉しいけど、とんでもないことになってしまった。
いや、やっぱ嬉しい!
「やった――」
「すずっ!」
ハッとなって、叫びかけた言葉を飲みこんだ。
突然鳴った、切羽詰ったようなその声に振り向くと、案の定、神池の石の柵から桐詠が下りてきているところだった。走ってきてくれたのだろう、彼女の息は上がっている。
私たちは互いに駆け寄って、肩を抱きしめ合った。
「ふとん太鼓を倒したのね!」
桐詠は上擦った声で言った。
そうなの、とは、返せなくなった。桐詠にだけは、返せなかった。
私は「あの、その」と言い訳を考えるけれど、桐詠はそれを居心地の悪さから来る嗚咽とでも勘違いしたようだ。ぽんぽんと私の腕を撫でた後、堂々とした表情に戻る。
「ふん。今年もいとし子の座をもらうつもりでいたけど……まあいいわ。今年は譲ってあげる。まあ、ほら、お互いに、よくがんばったじゃない? 私たち。あの、なんていうか、ほら、あんたと手を組むのも、けっこう、楽しかったしね」
「でもね、あのね、待って、聞いてよ……その、ごめん」
交錯してぶつ切りになった言葉で、私は桐詠に訴えた。
桐詠は訝しげに首を傾げる。それから、少し拗ねたように、「冗談よ。譲るもなにも、全てはあんたの手柄だった!」と喚く。
私はそのことにショックを受けた。
なによりも、誰よりも、桐詠にそのことを言わせてしまったのが心苦しかった。
私なんて、最後の最後にちょっと出張っただけ。とどのつまりはいいとこどりだ。四人で力を合わせて、被害を最小限に抑えて、やっとこさ成敗できたのに、運よく私だけが取り上げられてしまった。すごく嫌な子。
さようならをしたはずの醜い自分が、またひょっこりと顔を出し、私自身を罵った。
「すず、あんた、また自分にはもったいないとか、思ってない?」
「……それは、思ってない」
「〝それは〟?」
「もったいないとは、思ってない。そうじゃなくて……楽しかったの! 楽しかったから、みんなでふとん太鼓を倒して、楽しかったから、私のものじゃないから……なのに」
なのに、みんな、それを私に差しだすなんて。それがあまりにも心苦しい。
「……勘違いしないでよ、すず」
桐詠は強く言った。
え。しませんよ。してないですけど。
揺れる私を、桐詠はきらめく眼差しで貫いて、教えこむように言葉を続ける。
「いい? お情けだなんて、二度と思わないことね。どんなに優しくったって、栄光や名誉は譲ったりしないわ。誰も差しださない。私は知っている。認めないかぎり」
「…………」
「ここまで言っても……あんたは勘違いをするつもり?」
桐詠はきれいな目でそう言った。
もう、どう勘違いしてほしくないのか、わからない私ではなかった。
桐詠の不遜な誇り高さは、私にはない輝きだ。私は、私にはないものに憧れる。だからこそ一番知っている。それを得られる機会を手放すようなこと、できるわけがない。絶対にしない。認めないかぎり。認められないかぎり。
「……うん」私の声は、ほんのりと震えていた。「私、やったの」
私は認められた――初めて、私自身が、そう認めてあげられた。
桐詠は「ほら、見てよ、すず」と小さく手を仰ぐ。
「やっぱり清少納言の言うとおりだ」桐詠は舞い上がる光を見て微笑んだ。「夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」
歌うように紡ぎながら、桐詠は去っていく。その凛然とした後ろ姿を眺めていると、肩にぽんと手を置かれる感覚。反応するよりも先に、弧八田彼の面が「お疲れ」と言って去っていった。私はそれすらも音もなく見送る。
ゆっくりと、実感が私に追いついてきた。
光が滲むほど目が熱い。
泣きたいわけじゃない。
ただ、心が震えてどうしようもない。
これほどまでに高揚したことが未だかつてあっただろうか。
カランコロンと下駄の鳴る音が背後から忍び寄る。その足音の主はもう私を囃したてなどしなかった。ただ一言、しみじみとした声で。そっと寄り添うように、此の面は通りすぎざまに言うのだ。
「楽しかったねえ」
それは、彼らしい言葉だった。この祭りに来て、もう何度、彼からその言葉を聞いただろうか。彼の中ではそれが全て、きっとそれ以外なにもない。それぐらい夢中だったのだ。彼も、そして私も。
「うん」
私は噛み締めるように目を瞑った。
瞼の裏までもが眩しくて、それが痺れるほど心地好い。
「すごく、すごく、楽しかった」
終わってしまうのが寂しいくらい、楽しかったよ。
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