二日目

1

 天気が良かったので、汗を吸いこんだ浴衣は洗って干すことができた。朝にはちゃんと乾いていたし、靴擦れも思ったよりひどくなった。絆創膏を貼れば草履も怖くない。

 たっぷりと麻酔を受けて蕩けた脳は、目を覚ましたころには覚醒していた。

 昨日のことは本当に起きた出来事なのだろうか。あんなに浮かれてしまったけど、もしなにかの間違いだったらどうしよう。あれは私の妄想で、まだどこかのラムネの中に眠っていたとしたら。やだ。私の宝物、とられちゃう。私、ちゃんと天恵受け取りましたよねって、運営に確認したほうがいいのかもしれない。

 午前中はずっと項垂れていたけど、その検証は存外すぐに終わった。インストールした祭り専用アプリを起動してみたところ、神池のクリスタル液晶パネルに映しだされた私の動画がアップされていたからだ。新しい項目が更新されていると思ったらこれである。あまりの視聴者数に私は数時間に渡り、悶絶した。

 部屋に浴衣を取りこみながら、自分の胸を撫でる。

 もうあの光や熱量はない。

 祭りの帰り際に表参道で巻き起こった風も、鳴りを潜めていた。

 どうしてだろう。

アプリから祭りの詳細を見る。Q&Aで天恵制度の項目があったので目を通すと、才能は祭りの二日間、それも神禍神宮内でしか使用できないらしい。なんとまぼろしい力だ。

 ブブッとスマートフォンがバイブする。祭り専用アプリから通知が来ていた。どうやらふとん太鼓の成敗の中継が動いているらしい。

 私はタップして様子を確認する。


『ふとん太鼓の猛威は止まることを知りませんね。これは凄まじい光景です……』

『ここ一帯の屋台はほとんど全滅ですね』


 映し出された光景に驚く。屋台が見事に潰れていた。ふとん太鼓が荒したのだろう。この緩やかな坂道には見覚えがあった。たった一日でこんなありさまになるとは。


『おや、一件だけ無事なものがあるようですが……』

『おそらく型抜き屋でしょう。ここには運よく型抜きの女王がいましたから』

『なるほど。たしかに彼女がいればなんの問題もないでしょうね』

『惜しむは向かいの射的場ですね。残念ながら、このときヒットマンはいませんでした』

『あああ、ぺしゃんこだ! でも、昨日のうちにほとんどの商品を落とされていたので、ある意味被害はないのでは?』

『間違いないです』


 私はくすっと笑ってしまった。


『おーっと、新たなバグの情報が入ってきました! どうやらお化け屋敷に本物のお化けがでるようになったとのことです! もちろん、ふとん太鼓によるただのバグですよ!』

『むしろ面白がって行列ができるんじゃないですか?』

『気になってきましたね。続報をお待ちしております!』


 まだ日も落ちきっていないのに、神夏祭はたいへん賑わっている。ふとん太鼓の成敗も終わっていない。

 私はハンガーにかけてあった浴衣を手に取り、お母さんに着つけを頼んだ。

 かくして、私は再び、神夏祭へと赴いた。

 神禍神宮までの道中、ちらちらとこちらを伺うような視線が多く感じられた。最初は気のせいだと思っていたが、神宮に近づくにつれて、追いかけてくる目の数が多くなっていく。これは気のせいではない。確実に、私は見られている。

 思い当たるとすれば、昨日、神様の宝物を見つけた件だ。

 動画としてアプリで配信されているのだから、そりゃあ、みんな、私の顔を知っていて当たり前だ。

 有名人になったみたいでむず痒いけれど、それと同時に恐ろしい。いたたまれない。こういうの、慣れてないんだってば。

 境内に一歩足を踏み入れると、淡い発光体が出迎えてくれる。まだ夕方なのに祭りの灯りは忙しなかった。ディスコみたいに鮮やかに光っている。

 私は此の面を探す。

 紺色の浴衣を着た、瞬きのような男の子。

 彼は縁も所縁もないこの神夏祭にで、ほとんど唯一の糸だった。

 彼なら今日も祭りに来ているはずだ。


「……うっ、わ」


 人の行列にまみれながら歩いていると、むわっとした独特の匂いが鼻孔を撫でる。

 いい匂いではない。どちらかと言えば臭い。

 なんだなんだと匂いのほうを見遣ると、どこかズレた水色をした暖簾に赤い字で〝カメすくい〟と書いてある露店があった。白いテーブルのようなケースには水が張られ、中では悠々と亀が泳いでいる。それもたくさん。小さな手足はかわいらしいが、こうして見るとちょっと気持ち悪かった。青と紫の波模様のライトが澄んだ大海を思わせる。BGMは祭りの雰囲気に似つかわしくない、色っぽいピアノとサックスのスロージャズだった。まるで煙草の煙が満ちたバーのようだ。神夏祭にはいろんな出店があるけど、これは群を抜いてへんてこだった。


「あら、お嬢ちゃん。こういう店は初めて?」


 でも、もっとへんてこなのはそこの店主だ。

 思わずビクッと震えてしまった。

 面長な顔には剃りたての青髭。肌の色が白いから少し目立ってしまう。私より一回りも二回りも歳をとった大の大人で、表情だって達観しきっていた。白いポロシャツにジーンズと、そこまではどこにでもいそうないでたちだったのだが、男にしては長い髪を高い位置で二つ括りにしたヘアスタイルが、おののくほど異彩を放っている。似合う似合わないで言うなら似合っていない。だって彼は男だ。なのに、口調も動作も妙に女性じみていて、一目で彼がオカマと呼ばれる人種であることがわかった。

 私は引き気味に返事をする。


「どうせならやっていかない? うちの子たち、みんなかわいいでしょ? 特にこの子、ジェニファーちゃんなんて、甲羅から出た後ろ足のラインがすごくセクシーでね」


 一匹の亀を掬い上げて見せてくれたけど、紹介されるまでどの亀がジェニファーちゃんなのかわからなかったし、今でさえその魅力が理解できない。

 どうしようかな、と心中でこの状況を思案していると、店主は「あらら?」となにかに気づいたように、硬そうな頬に手を当てた。


「もしかして貴女、昨日、神様の宝物を見つけた子じゃない?」


 ほあっ。

 こんなひとも私のことを知ってるんだ。


「すごいわ。おめでとう。今年は、ラムネの中のビー玉だったんですってね」

「ありがとうございます……今年はってことは、宝物の在り処って、毎年違うんですか?」

「違うわねえ」店主は顎に人差し指を添える。「去年は狛犬の裏、一昨年はおみくじの中、その前は射的の景品に紛れこんでたのよ」

「へえ」

「昨日一緒にいたのに、此の面ちゃんったら、教えてくれなかったのね」


 ぽんと出てきた名前に私は目を瞬かせた。


「此の面を知ってるんですか?」

「当ったり前じゃない」店主はフフンと鼻を鳴らして続ける。「毎年神夏祭に来ている氏子であの子を知らない人間はいないもの。去年来てたならなおさらよ。弧八田兄弟。異例の同時発見で、二人して天恵を受けたんだからね」


 私はその言葉に目を見開いた。

 しゅるりと紐を解くように、得心がいった。

 ずっと此の面のことが不思議だった。鳥居からひょいと飛び降りたり、息だって切らさずに、簡単に私に追いつけてしまえたりする身体能力。あと、やけに主張してくる聴力。そして、去年の神化主である弧八田彼の面と対になったような狐のお面。きっとあれこそが、此の面が受け取った才能なのだ。


「立ち話もなんだわ。どうせなら、いらっしゃいよ、お嬢ちゃん。お金は取らないから、今夜くらいハッチャケちゃいましょ」


 いよいよ夜のお店っぽくなってきた。初対面の相手ということもあってか、若干鳥肌が立ったが、それ以上の拒絶反応はない。本音を漏らすと、この店主に嫌悪感は抱いていなかった。あるのは、不慣れな自分の不甲斐なさから来る躊躇いだけ。


「あの、でも、私、カメすくいとか初めてで……」

「お嬢ちゃんにはまだ早い感覚だったかしら。この際一歩踏み出すのも悪くないわよ。ちょっと大人な気分、味わってみない?」


 茶目っ気たっぷりにウインクされた。近くで見るとヌルヌルと赤く光沢しているリップが美しく持ち上げられる。

 心細い気持ちもあるけれど、私はふわふわと、また浮かれてしまっていたらしい。

 一歩、踏み出すのも悪くないかも。

 そう思い、屋台の暖簾を潜った。

 ポイとステンレスの鉢を受け取った私は、狙いやすそうなカメを見定めながら口を開く。


「二人一緒に発見なんて、そんなこと、あるんですね」

「弧八田兄弟で初めてよ。前例がないから審議に時間がかかったんだけど、結局は二人に才能を授けようって纏代周枳尊がお決めになって、あんな形に」


 元は一つであっただろう彼らの半分ずつの狐面が頭に浮かぶ。

 片割れのようだと思った私の感覚は正しかった。

 彼らは二人で見つけだした才能を均等に割譲したのだ。


「でも、ふとん太鼓を成敗したのは、弧八田彼の面のほうだったんだ……」

「そうね。でも、別に此の面ちゃんの力不足だったわけじゃないのよ? 能力的には同じくらいで、あるいは、耳と目を持つ此の面ちゃんのほうが強かったと思うんだけど……成敗はいいやって見てるだけだったのよ」

「あっ……ぽそう」


 此の面は実際になにかに携わるよりも、眺めることを好む。ただ純粋に面白いことを間近で楽しみたいだけだ。彼はその力を、目を、耳を、楽しむことに使っているのではないだろうか。だから、楽しむこともなく、不貞腐れて帰ろうとしている私の前に現れた。もったいないよ、楽しいよ、って。


「祭りが好きなんですね」

「あの子にとっては、それが一番楽しいことなのね」店主は肩を竦めた。「彼の面ちゃんやスタープリンセスみたいに、神化主になることは、誇らしいことなのに。ま、そういう地位や名誉に靡なびかないところ、アタシは嫌いじゃないけど」


 太い腕をそっと組んで、妖艶に口角を吊り上げる店主。どこかおぞましく、ぞっとする絵面だろうに、視覚的に慣れてしまった私はなんとも思わなかった。


「祭りにはね、いろんな楽しみかたがあるのよ。型抜きの女王やヒットマンみたいに、露店で遊ぶのも楽しいし、此の面ちゃんみたいに、雰囲気を眺める楽しさもある。ふとん太鼓の成敗だって、みんなが夢中になるくらい、楽しいことなのよね。貴女も、この祭りを存分に楽しみなさいな」


 私は、自分のすぐ近くまで寄ってきたカメへとポイを向けた。すくおうとして、ポイが破れた。一瞬の出来事に、ちょっと真剣にショック……もうカメすくいなんて一生やってやんない。


「それで?」店主は首を傾げる。「今日は此の面ちゃんとは遊ばないのかしら?」

「わかんないです。まだ、今日、会ってなくて」


 私はびりびりになったポイをくるくると回した。

 そもそも、此の面は連絡できるような通信端末を持っていなかった。だから、連絡先の交換もできていない。そんな状態で、このだだっ広い夏祭りの中、たった一人の人間を探すなんて、うわ、絶対無理だ……昨日の夜、またおいで、なんて言っておいて、いったいどういうつもりなの。私、此の面以外に知り合いなんていないのに。


「心配しなくとも、あっちから勝手に寄ってくるわよ。楽しいこと好きのあの子が、今年の才能のもらい子のそばなんて、楽しいポジションを逃すはずはないもの」

「……本当に?」

「ここは神様の足元よ。嘘はつけないわ」


 おどおどしながら尋ねる私に、店主は当然のように言った。このひとも立派な氏子だ。

 気が少し楽になったとき、私の左肩にぽんと手が置かれる。


「くしゃみがひどいと思ったら君たちが原因か」


 突然のことに驚いて、素っ頓狂な声が漏れた。

 耳元で聞こえた声は此の面だった。

 さきほどまで話題の中心でもあった彼の登場に、私の動悸は早くなる。びっくりした。此の面は「驚かせたかな」と爽やかに笑んだ。その柔らかな弧が小憎らしかった。


「あら、此の面ちゃん。去年ぶりかしら」

「昨日会ったろ、乙姫」

「あれは会ったとは言わないわ。アタシが一方的に見ただけよ。ていうか、気づいてのね。声をかけてくれればよかったのに」

「すまないね。それにしても、すずとは知り合いだったのかい?」

「いいえ、さっき知り合ったところ。ちょっとガールズトークをしてたの」

「僕を肴に? おかげですずの声を見つけられたけど」


 此の面は私に振り向いて「すずって引っ込み思案のくせに人見知りはしないよね」と言った。店主――此の面は乙姫と呼んだけれど源氏名かなにかだろうか――の彼と話していたことを言われているのだろう。

 たしかにそうかもしれない。私は昔から人見知りはしなかった。会話が詰まったりどもったりするのも、目の前に立つことの申し訳なさから来るものであり、恥ずかしさから来るものではない。自分が恥ずかしいという気持ちがそれにあたるならまた話は別だろうが。

 私はそのことをいいことだと思ったことはなかった。

 だって、それって厚かましいやつってことでしょう?

 けれど、此の面はまるで美徳であるかのように私に微笑みかける。

 だから私も、もしかしたらそうなのかな、と思ったりする。


「そういえば……彼の面ちゃんは?」


 店主は目を瞬かせていった。

 彼の面ちゃん。此の面の双子の兄弟のことだろう。

 私はすっかり此の面とお祭りを回る気でいたけど、彼は去年、兄弟で一緒に御物を見つけたらしいし、もしかしたら、二人で回るのが習慣だったんじゃないだろうか。だとしたら、悪いことしちゃったかも。


「今年は放っておくつもり」しかし、此の面はうんざりといった声音で言った。「あいつ、去年味をしめたからって、今年もふとん太鼓の成敗に乗り気なんだ。あいつといたら、お前もやれーって巻きこまれるよ。わかんないのかなあ、僕は見て楽しむタイプなのに。いったい何年双子やってんだよって感じ」

「はいはい、そうよねえ」


 此の面の男の子らしい兄弟の悩みにも、店主は慣れたような態度で宥めてやった。


「今年のふとん太鼓は気性が荒いから、あいつも苦労するだろうけどね」

「そうそう。だから、もし会ったら、彼の面ちゃんにも伝えといてほしいのよ」店主は神妙な顔つきになる。「荒っぽいのはふとん太鼓だけじゃないらしいの。どうやら討伐隊も、今年はけっこうやばいらしいのよ……気をつけなきゃだめよっ」


 へえ、と此の面は頷いた。


「それ、なに情報?」

「亀の噂よ」


 風の噂の次は亀の噂かあ。

 微妙な反応をする私の隣で、此の面は「危険だってことはわかった」と返していた。


「そうよ。だからこそ、ちゃんとその子を守ってやるのよ」


 半ば睨みつけるように忠告した店主に、此の面は「イヌ科は番犬に最適だろ?」とおどけて言ってみせる。ずっと思っていたけれど、此の面は自分の狐面をジョークのネタにすることが多い。


「じゃあね、二人とも。お嬢ちゃんも、またどこかで会ったらお話しましょ」


 最初は怖気の勝ったウインクも、今では茶目っ気の溢れるかわいいものに思えてならない。私はその店主に手を振った。先に振り返りながら歩いていた此の面の後に続く。

 場違いなBGMが雑踏に掻き消されてしまうまで離れたときに、私は此の面に尋ねた。


「ねえ、乙姫って?」

「あのひとの通称。むしろ自称かな。自分は乙姫だって公言してるんだ。愛亀のジェニファーを助けてくれた浦島を探して、もう何年もあそこでカメすくいの店を出してる」

「その話って本当なの?」

「うーん、どうだろう……神前で嘘はつけないはずだけど、僕にはなんとも」

「ツインテール、似合ってないですよって、言ってあげるべきだったかな」

「やめておこう。去年の髪型に比べれば、たいぶ落ち着いたほうなんだ」


 去年はどんな髪型だったんだろう……。

 やはり相当へんてこな人間に出会ってしまったらしい。あの自称・乙姫の店主にまた会う日は来るのだろうか。もう一度、改めて話してみたい気持ちもある。


「まあ、そうだね、ぜひ話してみるといい」此の面は笑うような声で言った。「神夏祭に来る大人は、面白くて変なやつらばっかりだから」

「そうなの?」

「そうなんだ。あの歳にもなって祭りを全力で楽しんでるんだから、まあ、そういうひとたちばかりになるのも頷けるけれどね」いや、と――此の面は自分の言ったことを軽々と否定した。「どんなひとでも、楽しまずにはいられないんだろうな、この祭りは」


 此の面も、祭りが終わってしまえば、案外普通の男の子だったりするんだろうか。

 だとしたら、それはつまらないことなのかも。

 そう思ってしまう程度には、私も毒されてしまったようだ。

 祭りを行き交う人々の行列に混じる。進度は遅くなるし、熱気だってすごいけど、この雰囲気がいかにも祭りらしい。昨日も来たはずなのに、なんだかうきうきしてしまってくる。しばらくすると「来てくれてよかった」と此の面が言った。此の面も私を探していたのかもしれない。自称・乙姫の言うとおりだった。


「やっぱり神夏祭はちゃんとふとん太鼓の成敗まで見なきゃ面白くないからね。それに、もしかしたら、すずが今年の神化主になるかもしれない」


 なんでそういうことを言うんだろう。考えないようにしていた、今でも時折感じる視線を、意識せざるを得なくなった。私はその視線から隠れるように俯いた。


「そ、そういうのやめてってば」

「嫌よ嫌よも好きのうち、ってね」

「もし本当にそう思ってるなら、此の面のこといじめっ子って呼ぶ」

「おやおや。気を悪くしたなら謝るよ」此の面は続ける。「けれど実際、一番すずが今年の神化主に近いんじゃないかな。その年の御物を見つけた人間が神化主になる確率が高い。去年の彼の面然り、一昨年の天ノ川桐詠然り」


 私は飲み物屋に入るために此の面から離れた。巾着から財布を取りだし、お金を払ってラムネを買う。パコンと栓のビー玉を落として口をつけた。


「すずは本当にラムネが好きだね」此の面はくすくすと笑う。「神様みたいだ」

「……そう言う此の面は、なにが好きなの?」

「バナナ味の金平糖」

「そんなのあるんだ」

「どんぐり飴の屋台のところにね。毎年帰りにはそこで金平糖を買うんだ。他にもスイカ味とかカルピス味なんてのもあるよ」


 祭りの食べ物について語り合っていた、まさにそのときだった。

 前方のほうで悲鳴が上がった。体を強張らせた瞬間に厳かな風圧が地面を這う。あたりが緊張で騒めき始めたとき、遠くのほうで鯨の潮吹きのような柱が立った。それも、人間の。まるで噴水のように吹っ飛ばされているのだ。


「ふとん太鼓だ!」

「ふとん太鼓が来るぞ!」


 狂乱に包まれる。行列も規律を失くし、逃げ惑う人々で溢れかえった。溺れないようにするのが精いっぱいで、私も此の面も上手く避難できなかった。

 そのとき、バグの発生。

 その一帯にいたひとのスマートフォンが、一斉に震え、アラームを鳴らした。けたたましい音はメロディーの破壊を起こし、チリチリとノイズが走っていく。ひどい騒音だった。どうやら、ふとん太鼓のバグにより、各端末のアラーム設定が、一分刻みで二十四時間分、登録されてしまったようだった。

 ふとん太鼓の近くにはいなかったはずなのに、私のスマートフォンも例に漏れず、アラーム設定がばかを起こしている。


「うわああっ、設定を消去するのめんどくさい……!」


 悲鳴を上げる私のそばで、此の面はげらげらと笑っていた。端末を持ち歩かない彼からしてみれば縁遠い被害なのだろう。小憎らしい。

 私以外のひとたちも必死になって設定を消去していた。しかし、そこへ容赦なく、ふとん太鼓が突撃してきた。逃げる余裕しかない。

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