第1605話 遠略

「は?」


 思考の空白と共に言葉が零れ落ちる。


 次に浮かんだのは、出航済みの三十艘。


「詳しくお願いします」

 ラエテルの言葉が聞こえ、マシディリの耳に戦場の喧騒が戻ってきた。


「大船団が現れ、次々と放火していき多くの輸送船を焼き払われてしまいました。一時は港にも上陸されるなどしましたが、グロブス様とピラストロ様が早急に戻ってきたこともあり市街に入り込まれるのだけは避けられました。


 敵は、第四軍団。

 足を引きずる隻眼の指揮官を視認した守備兵も数多くおります」


 足を引きずる隻眼の指揮官。

 そんな者、多くは無い。


「いや」

 思わず否定の声がすぐに漏れる。

「そんな訳が」


 この内乱の馬鹿らしさは、ティツィアーノが良く分かっているはずだ。

 第一、ディファ・マルティーマを攻撃されたらマシディリも黙ってはいられなくなる。攻撃せざるを得ないのだ。


 そんなこと、エスピラの弟子だったティツィアーノも良く知っているはずである。


「水夫の皆さんは?」

 質問者は、再びラエテル。


「申し訳ありませんが、熟練の水夫の多くは、殺されたか連れて行かれました」

「つれていかれた?」

「はい。目撃者もおります。第四軍団の狙いは、熟練の水夫と船の徹底的な破壊であった、と」


 右手で顔を押さえる。親指が右のこめかみに。中指が左のこめかみに。


 大きな息と共に、崩れるように椅子に着いた。


 肘も着いて、再び、息が落ちる。


「他の港でも、船が、奪われていましたね」


 アグリコーラ、メタルポリネイオ。その他の港湾都市でも、脱出に使われたか残骸となっていたか。救援に迎える船は、近場にいない状態となっていたのだ。


 その上、マシディリ側の多くの軍団は無傷のディファ・マルティーマを素通りしてフィルノルドまで北上している。ディオスティーニから非戦闘員を脱出させていたのも、囮のためか。軍船を減らして、ディファ・マルティーマを襲撃しやすくするために。


 フィルノルドの攻撃も、防御陣地群の健在によるモノではあるが、ディファ・マルティーマが十全な守りのある都市だと錯覚させるため。


(まさか)


 多大な運を孕む攻撃だ。

 フィルノルドとは離して考えるべきだろう。


 だが、テラノイズは?

 半島南部まで引き付けられた第三軍団が転進するには、船を使うのが一番。物資も同様に。


 そして、集まった物資を輸送船ごと焼けば、第三軍団は半島南部から動けなくなる。他の軍団もそうだ。何より、マシディリとティツィアーノの国力差も埋めることができる。マシディリが実権を握ったと言えど、大規模な造船が行えるほど国庫を使えば、どう思われるか。元がウェラテヌスの船団と言えるモノであれば、どうなるのか。


 利用など、幾らでもできる。


(徹底して直接の抗戦を避けていたのも、このためですか?)


 徹底的な逃げも。

 戦わない判断も。

 マレウスも雲隠れも。


 半島南西部のアスピデアウスに近い都市もまるまま残したのもそのためか。これで警戒をせざるを得なくなる。警戒が漏れれば不信につながり、本当に反乱が起こってしまうかもしれない。かと言ってしなければ、ティツィアーノとのやり取りを見逃してしまう。


 アビィティロの警戒していた通りだ。


(やられた、と思うのは、私だけ、ですかね)


 もう一つ大きく息を吐き。

 気は長く、雌伏は吉。慎重は美徳。短気は勇敢では無い、と三回唱える。


「マシディリ様」

 入ってきたのは、別の伝令の声。

 目を左右に動かしながらも、自分の仕事を果たそうと一歩踏み入れてくる。ざり、と砂が音を立てた。


「フィルノルド様が、降伏を申し込んで参りました」


 取り扱いだ。

 フィルノルド、正確には小フィルノルドが最高軍事命令権保有者からの命令が記された粘土板を破壊してしまっているのである。


 現状は、明確な反逆者だ。

 最高軍事命令権保有者が会う前ならば、まだ戦死として処理もできてしまう。


「降伏を認めます。丁重に扱うように。それから、少しだけかかりますので、その前に乱暴狼藉を行った者がいないかの確認も取っておいてください」


 重い腰を上げる。

 フィルノルドに会う場所は、多くの高官がいる前。


「父上」

 向かう途中で、ラエテルが触れ合うような距離にやってきた。


「アリスメノディオ様は、今回の戦いの後でしばらくは高官にならないのですよね?」

「かもしれないね」

「私にその伝達をやらせてはもらえませんか?」


 愛息に目をやる。

 確かに、ありがたい話だ。


 アリスメノディオも神経を使う話題である。が、どうしても考えざるを得ないのはティツィアーノのこと。本当に戦うつもりなのかと言う自問と、そうだったはずだと言う現実。否定したい自分の感情との戦いだ。


 将来的な禍根になりうるため早急に対処しておきたいが、アリスメノディオはどうしても後回しになりがちなのである。


「どう伝えるつもりだい?」


「イフェメラ様も、いきなり高官にはなっていなかったと言う話から行こうと思います。どうやって経験を積んでいったのかを話しながら、アリスメノディオ様は早急に積んだことでまた別の道を拓けると。私が、最初に一兵士としての初陣では無く父上の傍で秘書としての経験を積んだように、と、共感も抱かせられたら幸いです。


 それから、できればイフェメラ様最大の失敗は自分の功績だと驕ってしまったことであるとも、伝えられたらな、と。そのあたりはアミクス様と相談しようとも思っています。


 ただ、それはそれとして、今のままでは使えない。お叱りも当然の立場であるとも。指揮を執ったことのない私が言えることではありませんが、素人目から見てもアリスメノディオ様を上位八人の歩兵指揮官に挙げることは叶いません、とも伝えます」


「そうかい。じゃあ、渡りをつけると言う名目でアミクスと会ってからにしようか」

「なるほど。下から訪ねていく形、ですね」

「……まあ、そうともいうかな」

「遠慮なさらず! 大事なことですから」


 ふんす、とラエテルが胸を張った。

 思わず息が、先ほどとは全く違う息が漏れる。かわいい姿だ。どこか、愛妻をほうふつとさせる所作もある。


「ありがとうね、ラエテル」


 頭を撫で、助かったよ、と体の中の空気を入れ替えた。

 そこからは、いつも通り堂々とした所作で捕虜となっているフィルノルドを始めとする敵高官の前に。


 一部の味方は鼻息が荒かった。戦場の興奮が、そのまま目の前の捕虜の処刑へと向かっているらしい。


「さて」

 その中で全員を静かにさせるように、郎、と声を通す。


「一言だけ、聞きましょう」

 目をフィルノルドに。


「雄姿を残すため、と言って送り出したパックスに申し訳ないな」


 フィルノルドの言い方は、助命を確信している口調。

 はは、とマシディリも口を大きく開け、歯を見せて笑った。


 フィルノルドの言い方に怒りを募らせていたような兵からの視線が、マシディリに集まる。マシディリは視線を感じながらも豪快な笑いを続けた。


「とはいえ、マレウスの所に行くのは屈辱でしょう。

 構いませんよ。貴方がたには、最高軍事命令権保有者の命令を破壊した軍事高官としての側面があります。故に、拘束された。それだけ。


 ただし、フィルノルド様が命令を受け取ったのは当時の独裁官。この混乱では、どちらが正しい命令か判断を誤るのも、よろしくはありませんがあり得る話でしょう。


 ですから、フィルノルド様。皆さんが納得するだけの後ろ盾を得た後で、再び貴方に命令を下します。

 それは、是非受け取ってくださいね」


 会談でも持つべきか。

 本来であれば行うべきであろう。だが、今フィルノルドと会話をできる状態にあるかと言うと、警戒しなければならないと言う認識はマシディリの中でも働いていた。


 結果、ディファ・マルティーマに帰り次第行うこととする。


 マシディリ自身は、フィロラードに直接賞賛の言葉を伝えに行った。その足でポッツォ・ツィニョーラの様子も確認し、略奪や建物の損壊がほとんど無いことを確認したのちにエキュスもしっかりと褒める。


 その他の第十軍団の高官にも言葉を伝え、特に功ある兵士にもマシディリが直接赴いた。


 当然、ひたすら歩くことになる。


 歩き続けて、歩き続けて。


 一先ずの収束が見て取れると、マシディリはシニストラと第十軍団に戦後処理を任せ、メクウリオらと共にディファ・マルティーマへと帰還した。

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