第717話 「暴れる」「雄牛」

「兄上怒ってる?」


 ひょこ、と天幕の入り口からアグニッシモの顔が覗いた。


「母上みたいだった」


 その下に、これまたひょこっとスペランツァの顔が覗く。


 マシディリは、苦笑を浮かべながらパピルス紙を下げた。書かれているのは、家族自慢である。要するに、つい持ち上げてしまった父エスピラからの手紙だ。


「母上を何だと思っているんだい?」


 にゅ、と覗いていた二つの顔が、互いを見合わせる。それから、図ったわけでは無いのだろうが息ぴったりにマシディリに顔が戻ってきた。


「暴れる」


 アグニッシモが頭に角を作った。


「雄牛」


 スペランツァも、立てた両の人差し指を頭にのせる。


 にょき、と角をはやした二人が、「もー」と鳴きながら天幕に入ってきた。頭を前に、角で空気を切り裂きながら。


「怒られるよ」


 どちらに、とは言わない。

 にょ、と頭の角をとったアグニッシモが、その角の手のままマシディリに指先を向けてきた。


「大丈夫! 母上へのお土産は良いものを選んだから!」

「盗まれるよ?」

「まだ買うし! 母上だって、楽しみね、って言ってたよ!」


 ほら! とアグニッシモが懐からパピルス紙を取り出した。

 確かに母の文字でたった二語。

『ありがとう。楽しみね』と書かれている。


「お土産見繕わないと」


 言いながら、双子の兄と同じく角をやめたスペランツァがマシディリの荷物をあさり始めた。マシディリは、その様子をまずは眺めるだけにする。


「お、りんご酒はっけん。おっちゃん、これいくら?」

「お代はお客様の命となっております」


「アグニッシモのじゃだめですか?」

「勝手に兄弟を売らないの」


「同意なら?」

「私が同意しないから駄目」


 そうだそうだ! 勝手に売るな! 

 とアグニッシモがマシディリの横で騒ぐ。


 その騒ぎに隠れるように、天幕がまた開いた。するり、とすぐ下の弟クイリッタが天幕内に入ってくる。


「兄貴!」


 すぐさまアグニッシモがクイリッタに飛びついた。

 迷惑そうな顔をしながらもよけるそぶりも見せず、クイリッタがアグニッシモの勢いに押される。まるで大型犬とその飼い主のようだ。


 そんなことを思いながら、マシディリもクイリッタにしっかりと視線を合わせる。


「珍しいね。大丈夫?」

「それはこちらの台詞です、兄上。指揮官の話は、降りたほうがよろしいかと」


 クイリッタの硬質な目がしっかりとマシディリの胸に届く。

 マシディリは、相も変わらず柔和な笑みを浮かべ続けた。


「心配してくれてありがとう。でも、母上を愚弄されたんだ。引き下がるわけにはいかないよ」

「セルクラウスですよ! 私たちはウェラテヌスです」


「母上を、だよ。クイリッタ」

「それならジュラメントに言ってやれば良かったでは無いですか!

 子をなすのが、産むのが如何に大変なことでどれだけの功があるのか。そんなことも分からないから妻に逃げられているのだと。それを言えば叔父上なんて顔を真っ赤にして怒るだけですよ」


 一応、話しながらも呼び捨てから叔父上呼びに戻るだけの冷静さはあるらしい。

 いや、それも演出だろうか。


(演出だろうね)


 一人完結しながら口を開こうとしたマシディリの上から、クイリッタがさらに言葉を重ねてくる。


「兄上には悪いですが、ルッカリア様の気持ちは私のほうが近くまで見えております。

 兄をたてたい、役に立ちたいとは思ってはおりますが『代役』にはなりたくない。そんなところでしょう。

 今回の執政官、メガロバシラス戦争での高官。ルッカリア様は功を欲しているはずです。兄の傀儡としてではなく、自らの力を示せる功を」


「若輩者に過ぎない私を抜擢し、力の足りない私を補助することでイフェメラ様とは違う力を示そうとしていると、言いたいのかい?」


 それぐらいマシディリも分かっている。

 そう考えていたのか、クイリッタの勢いは止まらない。


「他の人の思惑だって入っています。

 叔父上なんて兄上を調べ上げていたでしょう? 兄上が得意なのは音と光による攪乱。あるいは、山地や霧の中などの視認しづらい地勢。それ以外では圧倒的に優勢な兵力でもって叩き潰しております。


 いずれも、マルハイマナでは使えません。


 山もなく、天気も良い日が多い。敵も多く、決戦になれば兵力が互角になることも無いでしょう。エレンホイネスは、既に八万とも十万とも言える大軍勢の招集をかけているのですよ。


 そして、イフェメラ様ならばどれだけの兵が残っていれば勝てるかも把握しているでしょうね。ディーリー様を下げたのも、兄上を指揮官に押しやすくする他にその後を考えての温存だとも思っております!」


「兄さん、それはちょっと違う」


 スペランツァが、寝ぼけているようにも見える目でつぶやいた。

 ただし、声はしっかりとしていて、簡単に聞き取れるモノである。


「確かに、エレンホイネス二世は八万の大号令をかけたけど、賦役に答えないところもある。来ても、数が少ないところだって珍しくない。号して、七万強。でも、そんなにいるわけがない。動かないところもある。兄上式に言うのなら、実数は六万ほど」


 兄上式、と言うのはマシディリがカルド島でアイネイエウスの軍団の兵数を伝えた時のことだろう。どれだけの兵が実際に動くのか。集まった数ではなく、命令に従う数。


「八万から六万と聞けば、だいぶ減った気がしてしまいますね」

「減ってない。こっちは最大でも五万も集まらないのですよ。大体、どこまでが協力するか。


 ええ。兄上と父上では、兄上の方が軍才はおありでしょう。ですが、エリポス方面軍を指揮する父上には何をしたって勝てません。


 あの軍団は、しっかりと意図が伝わる軍団でした。


 第一列にジャンパオロ様とヴィエレ様。これは激しい攻撃を加える意図があります。この時に第二列がピエトロ様とファリチェ様ならば猛攻はいけるところまで。少しでも無理を感じたら引く。プラチドとアルホールなら攻め続ける。そこまで意図が伝わります。


 少数部隊の指揮官がカウヴァッロ様なら速攻のち退却も視野に。土地に固執しない戦い方を。ルカッチャーノ様ならば何かを保持するための先行部隊または独立戦隊。


 組み合わせと起用によってしっかりと軍団が目的を持てたのです。


 で、ここは? 


 敵を前にしていがみ合っている雑魚じゃないか!

 兄上。やめた方が良い。やめとこう。母上が悪く言われるのはいつものことじゃないか」


「兄貴さいてー」


 アグニッシモが唇を尖らせた。さいてー、とやや低い声でスペランツァも続いている。


「何とでも言えよ。さっきは弟だから兄の代わりは嫌だと言ったけど、偉大な兄がいるからこそ支えたいと思うのもまた一つ乗り越えた弟の特徴だ。少なくとも、ルッカリアも執政官なんだろ。偉大な兄のために、が最前に来ていてもおかしくは無い」


 偉大な兄のために? とアグニッシモが自分を指さしながらスペランツァを見る。

 偉大な兄? と、スペランツァが目の上に手で屋根を作り、周囲を見渡した。


「私が偉大になれるかはわからないけど、少なくとも今のままでは偉大とは言えないよ。父上の後だって、汲々さ」

「兄上」

「叔父上のことは私もそれなりに知っているよ。今回はうまくかわせたとしても、次はどうなるかわからないこともね」


「ええ。あの男はヴィンド様が死ぬまで何度も父上を危険にさらすような男ですから」

「クイリッタ」

「ヴィンド様が死んで一番喜んだのはあの男でしょう? 叔母上への執着を見れば誰だってわかりますよ」


「推測で人を中傷しては駄目だよ、クイリッタ」

「ああはいはい。もう! どうなったって知りませんからね」


 クイリッタの言葉に、マシディリはやさしげな苦笑を深めた。


(これも一種の甘えかな)


 兄から弟への。そして、弟も兄へ。


「サルトゥーラ様も罪の監査役になるように都合してもらっても良いかな。あの人は法規を大事にするから、適役だとも思うんだ」

「なんだってやりますよ! 周りを煽ればよいんでしょ、煽れば」


 マシディリは、さらに苦笑の色を濃くした。


「ごめんね」

「兄上のばーかばーか! あんぽんたん! 帰ったら良い歳して母上の抱き枕になっちゃえ!」


 べー、と舌を出すと、クイリッタが大股でずかずかと出て行った。

 天幕が捲れた直後に足音が整然とした静かで律せられたモノに変わる。


 それはご褒美だよね、というアグニッシモの言葉は、取り残されてしまった。


「兄貴、めっちゃ餓鬼っぽかった」


 取り残された言葉を回収するようにアグニッシモが言う。


「ちゃんとした罵倒だと意味合いが変わってきちゃうからね」


 マシディリはそう返し、父からの手紙を机の上に置く。

 代わりに、別の山から資料を取り出した。詳しい賦役の割り当てである。兵数から、物資まで。マルハイマナの軍団のすべて。微妙に情報の違う二つの載った資料である。


「交換条件でグライオ様の招集も呑ませようか。ユリアンナにも動いてもらわないとね」


 そして、目を細める。


(六万)


 まともにやりあうべき数字では無い。

 こちらだってまとまりも欠いている。

 マルハイマナの最大版図はエレンホイネス二世が築き上げたモノだ。


 即ち。

(中規模以下の戦闘で勝利を収め、イフェメラ様の復帰を待つべきか)


 そのためにも。

「父上とイフェメラ様を彷彿とさせる作戦で行こうか」


 マシディリが呟けば、双子が姿勢を正し、力強い返答をしてくれたのであった。

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