刹那に輝く星


──手のひらに収まる小さなディスプレイの中で、その「星」は眩しく輝いていた。



華奢な体が跳ね踊るのに合わせて揺れる、黒く艶やかなツインテール。陶器のような白い肌にすらりと伸びた長い手足。


でも何よりも……一番好きなのは、人形みたいに綺麗な顔をくしゃくしゃにして笑う顔だった。


顔の輪郭が丸いのを気にしてる彼女は「笑うとあんぱんのヒーローみたいになるから」と否定するが、私はあの笑顔を見ると、胸の奥を指でぐっと押し込まれているみたいに苦しくて、でも幸せな──何というか、もう逆らいがたい感情でいっぱいになるのだ。


「可愛いかったなあ……すずりん」


この場に誰もいないのをいいことに、正直に胸の内を呟く。


手中のスマホに映る「すずりん」は、まさしく私にとっての「星」だった。


当時十四歳。朝の子ども向け番組発のユニットでの活動を中心に、ジュニアアイドルとして人気絶頂だった彼女は、あの頃、高校生だった私にとってやっと出会えた──胸の内を満たしてくれる存在だ。


けれどそれは、地上から見上げる私の両の目に、眩しい光ばかりを降らす、決して手の届かない星。


たとえ握手会ですぐそばまで近づいたって。


その柔らかくてすべすべな手で包まれるように、自分の手を握られたって。


帰りの電車に乗る頃には、さっき喋ったことも、手の感触も、まだ少し残る彼女のハンドクリームの匂いだけを残して、消えていく。


手のひらをすり抜けていく……砂みたいな夢。


時間は残酷だ。


ふと、映像の「すずりん」が、あの大好きな笑顔を見せる。

私はスマホの画面を短く二度タップして三十秒前に映像を巻き戻す。そしてそのシーンを繰り返した。


可愛い。


もう一回──そう思ってまた画面をタップした時、突然、背後から現れた誰かが、私にのしかかってきた。


「そんなに好きなんですか?その子が」


首を回して、振り返る。

そこにいたのは──ああ、なんて時間は残酷なんだろう。


今はもう「星」でも何でもない。


憎きチームメイト。

生意気な年下センター。


十九歳になった「すずりん」改め──「すずりせつな」だった。





「あれ?もう見ないんですか?」


見ていた映像を隠すように、スマホを机に伏せ、迷惑顔で一瞥したつもりだが、せつなには効かない。


どこまでも無邪気に微笑みながら、相変わらず、私に体重を預けてくる。 


硯せつな──元・ジュニアアイドル「すずりん」にして、現・アイドルグループ「Shine☆girl」の絶対センター「せつな」。


ジュニアアイドルとして活動していたユニットが解散した後、とある芸能事務所に移り、そこで立ち上げられたアイドルグループのメンバーとして、彼女は再デビューしていた。


そして私は、数奇な運命を辿り、この元・推しである「せつな」と、同じグループで──なんとアイドルをやっている。

……人生って本当に分からない。


「それにしても、まなは本当に私が好きですね。サインでもあげましょうか?」


「いらない」


「では、ハイタッチはどうですか?それとも握手?ハグがいいですか?」


「うざい」


すげなくあしらうけど、せつなは私から離れる気がないみたいだ。

それどころか、机に伏せた私のスマホを勝手に取り上げて、昔の自分が映った動画を見ている。


「Shine☆girl」のメンバーになった時こそ、元・推しであるせつなに対して多少……浮いた気持ちはあった。


でも実際に、メンバーとして、同業者として、一人の「人間」として──彼女に近づくほど、私の中からそういう気持ちはなくなっていった。


あれほど、焦がれて、憧れて──少なからず、今の私があるのは、彼女の影響だってあったのに。


もう昔みたいに彼女を見ても、胸が苦しくなるようなときめきを感じることはないし、むしろ、その言動に普通にイラついたり、妬いたり……まあ、素直に感心することだってある。


彼女はもう「星」じゃない。


私は半ば呆れ気味に言った。


「……ナルシスト」


「まなが好きだと言った私ですよ?嫌いになんてなれません」


「別に好きじゃない」


「握手会に来たこともあるのに?」


「よく覚えてるな……」


「アイドルって凄いんですよ」


にこ、と微笑むせつな。

その顔は五年前と変わらずとても綺麗だけど、あの頃は見せなかったような、含みのある笑みをたたえていて、どこか妖艶だ。


──やっぱり違う。


「前にも言ったけど」


私は言った。


「あんたはもう『すずりん』じゃない。私は、あんたには興味ない」


「そうですか」


何故か嬉しそうに笑うせつな。


「ちょっとしたこと」がきっかけで、私がかつてせつなのファンだったことは、彼女にバレている。


それ以来、こうやってよく絡まれているのだが、何度「もう興味ない」と言っても、せつなには無意味だ。

むしろ、言えば言う程、絡まれる頻度が増している気がする。


「あんた……意味分かってるの?」


「ええ。まなは私に興味がないんですよね?」


「そう。だから……こうやってひっつかれても迷惑なだけって言ってんの」


「それは良かった」


「はあ?」


「私はまなが迷惑そうにしてくれるのが嬉しいので」


さっき見せた笑顔を全く崩すことなく、さらりと言ってみせるせつな。


「……性格悪」


「すずりん」だった時もちょっとした「腹黒キャラいじり」みたいなのはあったけど、長くメンバーとして一緒にいると、それは決してネタなんかじゃなかったのだと感じる。こいつはガチだ。


もう慣れたことだけど……それでも少し引いている私に、せつなはこう続けた。


「まなは私にとって得難い存在です。特別な存在は、ちゃんとそこにあるか、いつも確認すべきでしょう。……まなが、私の動画を繰り返し何度も見てるみたいに」


「一緒にすんな。てか、特別って……元・ファンってことが、そんなに?」


「いいえ。ファンは皆平等です」


「じゃあ何」


「『興味がない』ということが、です。だって──」


そこで言葉を切ってから、せつなは笑顔でこう言った。



「あなたくらい私に興味がない人も、他にいませんから」



──違う。


せつなはいつも笑っているが、今の笑顔は少し違う。


綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて笑う、あの笑顔だった。


私が、一番好きな笑顔。


古傷を指先で押し込まれたみたいに鈍く、胸が痛んだ。




───……。






晴れた空の下、見渡す限りどこまでも続く田園地帯を割くように伸びる道路を、走っていく一台の車があった。


ハンドルを握るのは小牧だ。


助手席にも後部座席にも、今日は誰も乗せていない。彼女は一人で、ある場所へ向かっていた。


いつもなら、カーラジオをつけているのだが、今はつける気分ではない。

すれ違う車もほとんどないような田舎の一本道では、車の駆動音だけが耳に響く。


そんな中で、車を走らせていると、つい色々なことが頭の中をよぎった。



例えば、今頃「研修」という名目で友人と動物園で女装デートをしている、みずきくんのこととか。



その後をつけて、研修を見守っているだろう、なこと幸弥くんのこととか。



きっと、その友人をみずきくんの好きな人だと誤解してそうな二人のこととか。



今のところ、たぶん自分しか知らない──みずきくんが本当に好きな相手である「彼」のこととか。



三人にはまだ言ってない計画のこととか。



そんな最近のことや──この十年くらいの間に起きたことが浮かぶ。


「彼女」の前で話すことに困らなくてちょうどいい。


頭の中の様々な思いつきを歓迎するように、小牧はふっと口元を緩めた。


車は道の途中で脇に入り、細いあぜ道を慎重に進む。少しして見えてきた、小さな寺の駐車場に車を停めた。タイヤが砂利を踏むと、後部座席で花束が揺れた。





その墓石の前で、手を合わせて、目を閉じる。焚いた線香の香りが鼻腔をついた。


年を追うごとに、「彼女」に話すことは変わっていく。


ここへ来られるようになってから、最初は昔話ばかりだったが、最近はやっと、近況報告ができるようになった。


もしも、墓前ではなく、どこかお洒落なカフェなんかで会って、今頃、二十九歳だったはずの彼女に話していたら、どんな反応をするだろう。



「らしいね」と言って、笑うだろうか。



それとも、こんな話には興味がなくなってるだろうか。



どちらも、もう分からないことだけど。



今はただ、「小牧せつな」として。


「Shine☆girl」の──「まな」として。


それから、あの頃──自分と「同じ名前」のアイドルの存在に胸を躍らせ、彼女の活躍に「星」を見ていた「槙島まきしませつな」として。



「硯せつな」の墓前で祈った。

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