第3話
「まずは服選びね。今回は私の服を貸してあげるけど……こういうのがいいとかある?」
「どういうのと言われても……何も分からないです」
「じゃあ、私がみずきに着せた……じゃなくて、合いそうなの適当に持ってくるからこれならいいかも!っていうの、教えてね」
なこさんがぱたぱたとクローゼットに向かう。
俺はその背中を目で追いながら、ため息をついた。
貴之と遊びに出かける当日の、朝五時。
なこさんに叩き起こされた俺は、再びなこさんの家に招かれ……連れ込まれ、なこさんの着せ替え人形になろうとしていた。
ちなみに俺は今、パンイチで、アパートの畳の部屋に似つかわしくない、なこさん家の立派な鏡の前に正座させられている。朝五時にだぞ。
どうしてこうなったのか──それは数日前のこと。
『みずき、私からの最初の『研修』よ。その『デート』──これで行きなさい』
『な、何言ってるんですか』
女装して、貴之と遊びに行け。
その突拍子もない思いつきに、いくら『研修』とはいえ、俺ははじめ、抵抗の意を示した。
しかし。
『素晴らしい思いつきですね、なこ。その研修は間違いなく、みずき君にとって良い経験になるでしょう。ひいては、みずき君の【愛しの彼】のためでもあります。もちろん、やりますよね?』
『いや、こんなの……役に立つわけないじゃないですか。面白がってるだけじゃ……』
『そうですか……。まあ、みずき君がこの研修を役に立つわけないと思うのは構いませんが、それなら私は卒業公演のステージに立つのを考え直さなくてはなりませんね』
『やりますやりますやります!ごめんなさい、何でもありません、やります。やらせてください』
なこさんが小牧さんに連絡し、電話越しに和臣を人質に取られたら……いや、『研修』を受けるよう背中を押していただいたら、断れない。
かくして、俺は貴之と遊びに行くため、なこさんに「おめかし」してもらうことになったのだ。
もちろん、貴之は当日になるまで、そんなことになるとは知らない。
──どんな反応するんだろ。
というか、俺、外を歩いて大丈夫なんだろうか。
あの『姉』が、日頃世に放たれてることを思えば、その姉に女装姿がそっくりな俺は一応、社会に溶け込めるということだ。
でも、色々どうしたらいいんだ?
「何だか難しい顔してるわね」
声に振り返ると、いつの間にか戻ってきたなこさんが俺の顔を覗きこんでいた。
「えっと……何か、未知のことが多すぎて……」
「例えば?」
「し、下着は……どうするんですか?」
「穿くに決まってるじゃない」
「捕まりません?!」
「捕まんないわよ!警察だっていちいちスカート捲って『はい男なのにパンティー、現行犯逮捕』とかやってらんないでしょ!」
「それはそうですけど……!なんていうか……『収まり』具合とか色々大丈夫なんですか……?どうなるんですかその辺は……」
「大丈夫よ!私が何とかしてあげるから!心配なら、どうやってるか見る?」
「え、なこさん!な、何で……下を……いや、やめてください!見ません!見たくないです」
「見たくないって何よ!じゃあ聞くなっての!」
「見せたかったんですか?!」
互いに息を切らし、じっと睨み合う。
そのうちになんだか脱力してしまい、やがてなこさんが口を開いた。
「……まあ、みずきは、ただでさえ慣れない服着て疲れるだろうから。見えないとこくらい、最初はいつも通りでいいわよ。こだわるなら、『タック』とか……おススメできないけど、『コツカケ』とか、その辺も教えるけど」
「遠慮します」
何故か、体の一箇所が危険を感じて急速に縮んでいくのを感じた。うん、無理はよくない。
なこさんは俺の前にしゃがむと、ふっと笑って言った。
「そんなに難しいことじゃないわよ。女装っていうか、ただ、可愛くなるだけ。……あのね、みずき」
俺の両頬に手を伸ばして、なこさんは続ける。
「みずきは、すっごく可愛いわよ」
「……何言ってるんですか」
俺がそう言うと、なこさんが「ほらね」と首を振る。
「これが私の限界なの。あとはみずき次第」
「お、俺……?」
なこさんが頷く。
「……私ができるのは、服をコーディネートしたり、メイクしてあげることだけ。その後は、みずき自身が『可愛い』になりきらないと、みずきの『可愛い』は完成しないのよ」
「なりきるって……どうしたらいいんですか?」
「それが今日の研修よ。自分で自分を『可愛い』って思うのが難しいなら──」
肩にぽん、と手を置き、満面の笑みを浮かべて、なこさんは言った。
「誰かにめちゃくちゃ可愛いって言ってもらえばいいのよ」
○
「そう言われてもなあ……」
午前九時。
貴之と待ち合わせをしている駅のトイレ(言うまでもないが、男子トイレだ。今は他に誰もいない)にて。
手洗い場の鏡を見て、ため息をつく。
──俺、可愛いのかな?
鏡に映っているのは、俺でもなく、そして「姉」でもなく、出会ったことがない「誰か」だった。
ゆるくウェーブのかかった、肩に少しつくくらいの長さの髪──というか、ウィッグ。
化粧のことは説明されても、よく分からなかったが、なこさんがこの前以上に時間をかけて「姉」に似ないよう、工夫してくれたらしい。
おかげで、今日の俺は姉に似ていない全くの別人だった。
元の俺の顔さえ、言われなければ、その面影を探すのは難しいだろう。恐るべし、化粧マジック。
服は、ラッフルフリル(幅の広いひだ飾りのことらしい)がついた、淡い水色を基調としたトップスに、揃いのショートパンツ。いわゆる(と言っても、なこさんの受け売りだが)セットアップだ。
しかし、このショートパンツは、太腿が半分以上露わになるくらい丈が短い。
『スカートで外に行くのは、中が見えないようにすごく気を使うから、今日はやめておきましょ』と、なこさんがショートパンツを選んでくれたのだが……これはこれで気になってしまう。
外で脚をこんなに出したのは初めてかもしれない。昔、体育の授業で履いていたハーフパンツよりも、これは短いし、すうすうする。
なこさんは『今日はみずきが世界一可愛いわよ』と送り出してくれたが、とてもそんな自信はない。
というか、俺は別に可愛いくなりたいわけじゃない。わけじゃない、けど。
家を出る時になこさんに言われたことを思い出す。
『……私はね。何でもいいから、みずきが自分に自信を持てることを見つけてほしいの。今日の研修は、そのため』
『それが……この格好と関係あるんですか?』
『うん。だって今、私がみずきのことで知ってるのは【みずきが実は可愛い】ってことくらいだから。まずは、それに気づいて、自信を持ってほしい。その自信が……ステージに立つときに絶対必要だから』
──ステージに立つ。
そうだ、和臣のために……なれるように、俺は変わると決めたんだから。
せめて可愛いくないと、小牧さんの後任なんて到底務まらないのだし。
自分を奮い立たせるため、ぐっと両拳を握る。よし。
自分のことはまだ信じられないけど、せめて今は……俺を可愛いと言ってくれたなこさんの言葉を信じよう。
「俺は可愛い、俺は可愛い、俺は可愛い……」
呪文のようにそう呟きながら、トイレを出ようとすると、前から来た誰かとぶつかってしまう。
「す、すみませ──」
「みずき?」
慌てて顔を上げると、そこにいたのは目を丸くしている貴之だった。
「た、貴之……」
嘘だろ。
不意打ちに、この姿を見られるなんて。
一体どんな反応が──思わず、体が強張る。
すると、貴之はさらりとこう言った。
「おはよう、みずき。こんなところで合流できるとは奇遇だな」
「用を足してくるから少し待っててくれ」と、何事もなかったかのように、貴之は俺と入れ違いにトイレへ入っていく。
え???
何の感想もないのか?この姿に?
何の予告もなく、女装してきた友人に?
ていうか、何で、すぐ俺だと分かった?
俺は咄嗟にスマホを取り出し、電話をかけた。
『何?』
「なこさん!どうしたらいいんですか?!貴之が……無反応です。やっぱり何かまずかったんじゃ……」
『えー?大丈夫よ。可愛すぎて、どうしたらいいか分かんなくて平静を装ってるだけじゃないかしら?』
「あいつ、意外と分かりやすいし、そんな装ったりできないと思います……可愛いくないんですか、俺」
『可愛いわよ!それはもう間違いなく。私の名にかけて保証するわ』
「無名じゃないですか、なこさん」
『シバくわよ。……はあ、先が思いやられるわね』
「はい……」
『みずきの方よ』
「へ?」
「待たせたな……どうかしたか?」
「あ、貴之……」
ハンカチで手を拭きながら、再び現れた貴之に動揺し、慌ててスマホをショートパンツの尻ポケットに突っ込む。
挙動不審な俺に、首を傾げる貴之の方は全くいつも通りだ。いつも通りすぎる。
おかしい、何で俺の方が、こんなに焦ってるんだよ……?
だが、憎たらしいほど涼しい顔の貴之は、さらにこう言った。
「予定より早く合流できたな。折角だ、一本早い電車に乗ろうか──」
「た、貴之は、さあ……」
「ん?」
あまりにも平然としている貴之に、我慢できず、俺は言った。
「き、今日の俺……どう、思う?」
「今日のみずき?」
「うん」
言ってから、貴之の顔を直視できなくなり、俯く。
「今日のみずき……そうだな」
頭の少し上から貴之の視線を感じる。
さすがに、こんなストレートに聞いたら、貴之だって何らかの反応を示すだろう。
──怖い。
こんなに怖くなるくらいなら、何の反応もない方が、やっぱりマシだったのかな。
思わず、ブラウスの裾をぎゅっと握る。
ややあってから、貴之が口を開いた。
「特に……みずきはみずきじゃないか?」
「そんなわけねえだろ」
「むっ……?!」
思わず、貴之の頬を両手で挟むように、ぐりぐりと押し潰す。
俺が手を離した後も、ぱちぱちと瞬きを繰り返す貴之は、何が悪かったのか分かっていない様子だ。
いや、別に貴之は悪くないし、何か言ってほしかったってわけじゃない、けど……。
「どう見てもいつもの俺じゃないだろ!」
「え?もしかして人違いだったのか……?」
「合ってるよ!」
「じゃあどういうことだ……?何が違うんだ?」
「いや、何かもういい……」
一歩も進まないやり取りに、俺はついに折れた。
いいや。貴之に気にされても、それはそれでやりづらいし。
まあ、こうなったら、なこさんの考えた『研修』の意味は、あまりないかもしれないけど。
そう思いながらも、どこか、がっかりしている自分に気づく。変だな。
──期待なんかしてたわけじゃないのに。
頭を振って気を取り直し、「行こう」と貴之を促す。
待ち合わせをしていたホームから階段を上がり、向かいのホームへと歩く。
「みずき」
「ん?」
ふいに、半歩後ろを歩く貴之に呼ばれ、振り返る。
「……」
「なんだよ、貴之……?」
ところが、貴之は、胸に手を当てて首を傾げるばかりで、何も言わない。
貴之。
痺れを切らして、そう口にしようとした瞬間、階下のホームから、がたんごとんと電車が近づく音が響いた。
すると、我に返ったのか、ようやく貴之が口を開く。
「あれに乗ろう、みずき」
「え?」
ぱっと、貴之が俺の手を取る。
「わ、待ってよ」
手首を柔らかく握る貴之の手のひらの感触に、気を取られたのも束の間、貴之に引っ張られるように、俺はホームへと続く階段を駆け降りた。
○
「何ですか、急に呼び出して。ていうか何してるんですか?こんなところで」
私を見つけるなり、怪訝な顔でユキが言った。
今日は本来、Vine☆girlの活動がない日だ。
好きで女装をしている私とは違い、女装は完全に「ビジネス」なユキは今、「幸弥」として、年相応にカジュアルな服装でここに来た。
ここ──「動物園」のエントランスへ。
「みずきの研修よ。一緒に見守りましょ?」
「研修?」
「そう。見て、あそこ」
眉を顰めるユキにそう言って、数メートル先のチケット売り場に並ぶ、みずきとその友人(たかゆき、だっけ)を指差す。
ちなみに今、私達は入場口付近に生えた茂みの陰に身を隠している。よかった、クソ田舎で。
土曜日だというのに、この動物園のエントランスは、家族連れが二、三組いるくらいでほとんどガラガラだから。
おかげでちっとも怪しまれない。
「見守るっていうか覗きじゃないですか……」
「保護って言って!……ユキ?」
呆れるユキに、そう返すと、なんだかユキの様子がおかしい。
私の差した方を見つめ、固まっている。
「どうしたのよ、ユキ。私がプロデュースしたみずきが可愛すぎてびっくりした?」
「いえ。それはまあ、特に驚かないですけど……あれ?みずきさんと一緒にいるのって……」
「ああ、『たかゆき』のこと?みずきの友達だって言ってたけど」
「たかゆき?!」
今まで見たことがないくらい、ユキが狼狽えている。どうしたんだろう。
「ねえユキ、何をそんなに慌ててるの。もしかして、たかゆきと知り合いなの?先輩だったとか?」
「兄です」
「は?」
「だから、あの人──僕の兄なんです。まさか、みずきさんの友人だったなんて……」
呆然とするユキの声に導かれるように、みずきとたかゆきを見遣る。
チケットを持って、入場口に向かう二人の後姿は、何も知らなければ恋人同士に見えるかもしれない。
ユキ、もしかして──。
「もしかして、みずきさんの好きな人って──兄さん、なのか……?」
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